50(颯) 本題
露木凛々花との激しい口論の末、わたしとあいつで対人パスをすることになった。いや、むしろ殺人パスと言うべきだろう。互いに相手の腕をへし折るつもりで渾身のスパイクを打ち込んだ。
「喰らえええええ!!」
「うおりゃあああ!!」
半ばホームラン競争の体となったパスは、当然、まるで続かなかった。攻守が二回入れ替わればいいほう。相手が栄夕里なら多少のコントロールミスはカバーしてくれるのだが、まあ所詮は露木凛々花。仕方ないと割り切ろう。
「でああああああっ!!」
ばしんっ!!
と音だけはいい感じに鳴った露木のスパイクは、まるで見当違いのところへ飛んでいく。
「あっ、お前、何やって――!?」
今は昼休みで、体育館の窓や扉は換気のために開放されている。露木のボールは、ごんっ、と一度壁に反射して、その開放されている扉の一つから、ひゅっ、と屋外へと消えていった。
「ちょ、今川颯!! あれくらい拾いなさいよ!!」
「手が三メートルくらい伸びないと無理だ!!」
言いながら、わたしたちは急いでボールを追いかける。シューズのまま屋外に出るのは躊躇われたが、幸い、飛んでいった先の地面は大部分が舗装されていた。戻る時に拭けば大丈夫だろう。
外に出ると、すぐ向こうにプールのフェンスが見えた。また、プールと体育館の間にはコンクリート造りの四角い更衣室があって、その無機質な背面をそっけなくこちらに向けている。
ボールの消えた方向に目を向けると、大分先にある用具倉庫の前まで転がっていた。わたしと露木は二人して走り出す。普通に考えて拾うのは露木に任せればよかったのだが、入学式の時がそうだったように、どうやらわたしたちは目標物があるとどちらが先に辿り着くか競ってしまう習性があるらしい。
そして、ボールの元へ同時に到着し、我先にと手を伸ばした、その時だった。
「もう……ええからはよ本題に入りや」
用具倉庫の横手から、聞き覚えのある声がした。栄の声だ。その突き放すような不機嫌な口調は、普段の栄のイメージとはあまりにかけ離れていて、聞いちゃいけないものを聞いてしまったのだと瞬時に悟った。
わたしと露木は咄嗟に気配を殺し、ボールを放置して用具倉庫の壁に張り付き、角の向こうにいると思われる栄のほうへ意識を傾ける。
「世間話するんなら、みんなと一緒でええはずや。こんな人気のないとこに呼び出したからには、なんやどえらい告白でもするつもりなんやろ」
どうやら栄は誰かと内緒の話をしているらしい。それも、かなり険悪な雰囲気。昼休みが始まってわたしたちの輪からは外れた栄だが、てっきり獨楢のメンバーと再会を祝しているのだとばかり思っていたので、この展開は予想外だった。
「……村木先生から、話は聞いてるな?」
必要のない部分を削ぎ落とした、芯の通った声――相手は沢木彰だった。村木先生というのは、たぶん獨楢新人チームの監督のことだろう。柔軟中に栄を呼び出した、あの背が高くて声の低い人だ。
「聞いたで。せやけど、まさか彰まで『戻ってこい』とか言うんとちゃうよな?」
わたしと露木は顔を見合わせる。『戻ってこい』? どういうこと……?
「いや、そのまさかだ」
感情の読めない口調で告げられた沢木の答えに、栄が息を飲む。
「夕里……わたしは、村木先生の意見に、全面的に賛成している」
「ほんまか、それ……?」
「ああ。わたしからも、改めて言おう。獨楢に戻ってこい、夕里」
っ――!?
わたしと露木は互いの口を封じて声を出すのをどうにか抑えた。
「午前中の試合でわかっただろ、夕里。今の明正学園では、おまえはこれから三年間、ずっと埋もれて終わりだ。あの〝羽衣天女〟率いる聖レが四強として立ち塞がるんだぞ。現時点で力の差は一目瞭然。どう贔屓目に見ても、おまえたちは県より上の舞台には上がってこれない。万が一上がってこれたとしても、頂点はおろか、獨楢にも届かない。届かせるつもりもない」
沢木の語り口は静かで、痛いほど真剣だった。
「けれど、獨楢に戻ってくれば――わたしとおまえと、世奈たちがいれば……」
ざっ、と沢木と栄が動く気配がする。見えないからわからないが、沢木が栄の肩を掴む絵が浮かんだ。二人の緊迫した息遣いが聞こえてくる。
「……やめよ。もう、この話は」
栄が、泣きそうな声でそう言った。
「またそうやってはぐらかすのか……?」
「やから……別にはぐらかすもなんもないて――!」
どんっ、と鈍い音。それから、わたしたちが潜んでいるほうとは逆へ駆けていく足音がして、直後に視界の端にチョコレート色の髪と見覚えのある背中が過った。栄が沢木を突き飛ばして、体育館のほうへ走り去ったんだ。
「おいっ、夕里! 待て!」
残された沢木がその場から声を上げるが、栄はそれを無視して体育館の縁側を駆け抜け、そのまま曲がり角の向こうへ消えてしまった。沢木は栄を追うことはせず、用具倉庫の影に留まった。わたしと露木も動くに動けない。
やがて、沢木は重い身体を引き摺るようにゆっくりと歩き出した。栄とは逆――つまり、わたしたちが隠れているほうへと。
「っ……!?」
角から現れた沢木は、用具倉庫の前に突っ立っていたわたしと露木に気付くと、目を剥いてその表情を凍りつかせた。「なんでおまえたちがここに?」や「聞いていたのか?」といった疑問が頭の中を駆け巡っているに違いない。
けれど、沢木は、さっきまで死角だった位置に明正学園の銘が入ったボールが転がっているのを見つけると、全ての疑問を唾と一緒に飲み込んだ。
沢木は無言でボールを拾い、わたしたちに投げて寄越し、睨むようにこちらを見てくる。わたしたちも黙って見つめ返す。涙が滲むその目を。
「………………」
そうしてどれくらい睨み合っていただろう。わたしたちが先に目を逸らすことはないと理解した沢木は、僅かに眉を顰め、さっと視線を切って、大股に体育館へと走っていった。わたしと露木は、その姿が見えなくなるまで、沢木の大きな背中から目を離さなかった。
「……なあ、露木凛々花」
「……なによ、今川颯」
わたしと露木は、沢木が去ったほうを見つめたまま、ぽつぽつと言葉を交わした。
「どう思う……今の。栄と、沢木彰のこと」
「わからないわよ。今のやり取りでわかったことは、一つだけ」
「……沢木彰と、獨楢の監督が、栄を獨楢に引き戻そうとしている」
「理由は……明正学園とじゃ、三年間ずっと埋もれて終わりだから」
露木がこちらに振り向く気配がした。わたしも露木に振り返る。
「獨楢の事情はよくわからないが、明正学園のやらなきゃいけないことははっきりしたな」
「そうね。ていうか……あたしは元々そのつもりだったけど」
「わたしもだ」
わたしと露木は頷き合って、沢木の去ったほうを見る。もちろん今はどこにもその姿はない。
「「勝つぞ(わよ)」」
独り言のようにそう言って、わたしと露木は、沢木の後を追うように走り出した。




