48(天理) 不沈の黄昏《Gloaming Glory》
サーブ権争いを終え、一日監督の間口剛健先生に結果を報告しますと、先生は「わかりました。では、そろそろ、みんなを集めてください」とおっしゃいました。とてもゆったりとした喋り方です。その名に違わぬ189センチの巨躯をお持ちの先生は、きっと大型哺乳類のように穏やかな時の流れの中を生きているのでしょう。
わたくしは二人一組になって対人パスをしているメンバーに、「ラスト一本!」と声を掛けます。ボールが落ちたらそこでパスをやめて、ベンチに戻ってくるように、という意味ですわ。
さて、この対人パス。二人一組でレシーブ、トス、スパイク、レシーブ――という流れを繰り返していく練習なのですけれど、一ターンごとに攻守が入れ替わりますので、長く続けるためにはペアの両方に全般的な能力が要求されます。しかし実際は、それぞれ得手不得手がありますから、大抵は声をかけてから数分で片が付きます。と、
「あっ」
「うごっ!?」
言っているそばから落球――まず一ペア脱落ですの。責任割合は、打ち手の制球力不足が半分、拾い手の守備力不足が半分といったところでしょう。わたくしはちょうどこちらへ飛んできたボールをキャッチし、物足りなさそうな顔で帰ってくる二人を迎えます。
「ごめん……低かったね」
生来の小さな声で相方にそう声を掛けたのは、打ち損ねた大朧久穂。ミドルブロッカーで、新人チームでは最長身の168センチ。
「こっちこそ悪いなー! 今のは拾えたよっ!」
生来の大きな声でそう応えたのは、拾い損ねた針ヶ谷的子。ポジションは久穂と同じミドルブロッカー。身長は165センチ。
「よう、天理! そっちから見てて、どうだった?」
気さくに片手を上げる的子。わたくしはその手にボールをパスして答えます。
「お二人とも、もっと頑張りましょう」
「っかー! 判定厳しいなぁ、天理先生は!」
からからと笑って、的子は受け取ったボールをボール籠にシュートします。ぽすっ、と見事に収まります。ただ、少々はしたない行為だったので、一応「いけませんよ、的子」と注意してみました。的子はまたからからと笑って「これは失礼いたしましたわ!」と戯けてみせました。
と、そうこうしている間に、もう一ペアが何やらヒートアップしているご様子です。
「さあ行っきますわよっ! 覚悟はよろしくて!?」
心から楽しそうにそう言って右腕を振りかぶるのは、山口舞紗。身長165センチ。ポジションはスーパーエース。
「ばっちりですわー! 来いっやー!!」
同じく満面の笑みでそう返すのは、堀川宇絋。身長は161センチ。ポジションはレフトで、わたくしの対角に当たります。
どうやら二人は長く続けることより刹那に全力を出し切ることを優先したようで、舞紗が渾身の一撃を放ちます。
ばじーん、
と重厚な打音を響かせ、ボールは唸りを上げて、的子のところへ。
「っほぅ危ねっ!? どこ狙ってんだ舞紗ぁー! このノーコンっ!!」
顔面に飛んできたボールをすんでのところで受け止め、大声を上げる的子。しかし言うほど危機感を覚えたわけではないらしく、顔は笑っています。からかわれていると察した舞紗は「あらやだごっめんあそばせ!」と悪びれずに舌を出しました。
「舞紗、力むと肘が硬くなりがちでしてよ。お気をつけなさい」
わたくしがそう指摘すると、舞紗は恭しくお辞儀しました。
「そのことなら、私も存じておりましてよ、天理先生」
「わかってんならちゃんとやれよ!?」
すかさずツッコミを入れる的子。相方の宇絋がフォローに回ります。
「癖ってなかなか変えられませんわよねー。なかなか天理みたいにはできませんのー」
「それでも、諦めずに少しずつ直していきましょう。特に、舞紗のそれは怪我の原因にもなりかねませんから」
「怪我の原因ってのは同感だな! 私は今でも覚えてるぜ、ノーコン舞紗にやられたあの鼻血の生温さをな!」
「あらやっ、ですわ。的子ったら大昔のことをねっちねちと」
「的子は意外と根に持つタイプですわよねー」
女三人寄れば姦しい、の見本のようにきゃあきゃあと騒ぎ出す的子と舞紗と宇絋。ひとまず集合までは好きにお喋りさせておくことにして、わたくしは残る一ペアに目を向けます。
「やっぱり最後はあの二人か……」
ぽつりと独り言のように呟いて、わたくしの後ろに立つ久穂。「そうですわね」と、わたくしは振り返らずに相槌を打ちます。
「巳頼! もっとしっかり打ってきなさい! あたしの練習になりませんわ!」
ひゅっ、とジャンプトスを上げてパートナーを激しく叱咤するのは、織部水華。身長160センチ。ポジションはセッターですの。
「そんなこと言われましてもぉぉぉぉ!!」
半べその情けない声を上げ、ぺちょん、と弱々しくボールを叩いたのは、鬼島巳頼。身長は150センチで、ポジションはリベロ。小学生の時から後衛で活躍してきた巳頼は、その分、他のメンバーのように強く打つのがあまり得意ではありませんの。しかし半面、持ち前の器用さゆえに狙ったところに打つのは得意なので、どんなに力んでも舞紗のように明後日の方向に飛ばしたりすることはありません。というわけですから、
「ああもうっ、イージー過ぎますわ!」
受ける水華にとっては、自分のほぼ真正面に緩いボールが来ることになります。少々物足りないと言いたくもなりますわね。
「うぅぅぅ、ごめんなさいですのぉぉぉ」
水華が楽々上げたボールを、巳頼がトス。それを水華が、
「えいっ!」
ばしんっ、と力強く叩きます。ボールは、ちょうど的子が取り損ねたくらいのやや低い位置へ。それを、
「ひゃうぅぅぅぅぅ!!」
ざっ、
と限界まで縮めたバネを放つように、巳頼は小さな身体をボールの下に滑り込ませて鮮やかに拾ってみせます。水華の表情が困惑に揺らぎます。恐らく、本来のミートポイントから少し外れたところで打ってしまった今のスパイクを、拾われるとは思っていなかったのでしょう。
「ほ、ほらっ! 巳頼! 早く起きなさい、トス行きますわよ!」
「はぁぁぁひぃぃぃ!」
床の上で一回転した巳頼は素早く立ち上がって元の位置へ。水華のジャンプトス。困惑が尾を引いているのか微妙にボールタッチが粗いですの。しかし、多少トスがズレたところで、巳頼は器用なのできっちり打ってしまいます。
「とぁぁぁぁ!」
ぺちんっ、と軽い打音。水華は真正面でそれをレシーブ。それを巳頼がトスし、また水華のスパイク。
「くぬっ!!」
ばんっ、と力強い打音。球威は申し分ありませんが、制球はやや甘く、ボールは巳頼の肩口へ。オーバーハンドで取るには低く、アンダーハンドで取るには高い、難しいコース。巳頼は咄嗟に身体を開いてアンダーハンドでの対応を選びます。並の者ならそのまま後ろへ弾いてしまうこともあるでしょう。が、そこは我らがリベロ。柔らかいボールタッチで球威を殺し、なおかつアンダーハンドの面を寝かせてボールをしっかり前へ飛ばしてみせます。
「まだ掛かりそうだね」
久穂が小さくそんな感想を漏らします。わたくしは同意を込めて頷きました。
そうなのです。この対人パスのラスト一本。わたくしたち一年生の中では、多くの場合、巳頼を含むペアが最後まで粘ります。巳頼はスパイクを打ち損じませんし、ゆえにパートナーも拾い損ねることはほぼありません。また、パートナーのスパイクが多少厳しいものであっても、巳頼は拾ってしまいます。なので、時折豪快に暴打する舞紗以外は、理論上無限にパスを続けることが可能なのですわ。
「くっ……かくなる上は――」
当然、水華もそれは理解しています。どこかで決着をつけねばなりません。そして、どうやらそのための奇策に打って出るようです。
「行きますわよっ、巳頼!」
巳頼のトスを受け、水華はスパイクの構えを取ります。随分と気合いを入れています。そこから水華は、
「ていっ!!」
ちょん、
と、ほとんど自分の足元へ向けてフェイントを落としました。これには流石の巳頼も虚を衝かれ
「ふぇぇぇぇぇぇん!!」
ることなく、恐るべき反応速度で駆け出します。そして、ずざぁぁぁ、と滑走路に着陸する戦闘機のように床を滑り、その手は水華のシューズの爪先に迫ります。慌ててその場から飛び退く水華。ボールのほうは、果たして、残念ながらそのまま床に落ちてしまいました。
「うぅぅぅ、爪が痛いですのぉぉぉ……」
コートに這いつくばったまま指先を押さえ、道端で転んだ幼子のようにか弱い悲鳴を上げる巳頼。水華はボールを拾うのも忘れて、その小さな身体を見下ろします。不意打ちのフェイントに反応されるとは思っていなかったのでしょう。
「爪って……巳頼、あれに触ったんだ」
「それはもちろん、わたくしたちの頼れるリベロですもの」
わたくしは久穂に笑みを向け、それから、手を挙げて号令をかけます。
「では、皆さん! 集合いたしますわよ!」
「「はいっ!」」
返事とともに気持ちを切り替え、間口先生の元へ集まるわたくしたち聖レ新人チーム。今年の一年生は、選手がちょうど七人。あと、もう一人、古門大愛というマネージャーがいるのですけれど、今は一緒ではありません。彼女は高等部へ上がって新たに加わった仲間で、午前中は一軍のお姉様たちに付いて、先輩マネージャーから指導を受けることになっているのです。
「はい、というわけで、本日の第二戦です」
集合して輪になったわたくしたちを見回して、間口先生はゆったりと話し始めます。
「皆さん、身体は十分に暖まっていますか?」
「「はい!」」
「なら、結構です。初めての相手との、初めての試合。怪我に気をつけて、いつものプレーをしてください」
間口先生はそれだけ言うと、わたくしを見て目を細めます。
「では、天理さん。あとはお願いします」
「はい、お任せください」
わたくしは先生に微笑を返し、右手を輪の中に差し出します。と、全員慣れたもので、そこへすかさず手を重ねてきます。
「相手のフォーメーションは、先程の一戦で皆さん見ましたわね? 力のあるレフトエースを中心に攻めてきますの。互いに声を掛け合って、落ち着いて繋いでいきましょう」
「「はいっ!」」
「それから、まさかお気付きでない方はいないと思いますが、あの栄夕里さんがライトにいますわ」
わたくしがその名を挙げると、対戦経験のある久穂と、同じセッターである水華の表情がきりりと引き締まりました。
「決して油断してはいけませんことよ。最後の最後まで、十分に警戒していきましょう」
何しろ、ある意味では彼女こそ、今日戦う相手の中で最も意識すべき選手かもしれませんからね。沢木彰さん曰く、理由は家庭の事情とのことでしたが、何にせよ高校から彼女は当県の住人。組み合わせ次第では県大会の一回戦で合間見える可能性さえあるのです。
隣県どころか全国でも最上級の万能選手――あの〝不沈の黄昏〟と。
「……では、張り切って参りましょうか」
そう結んで、わたくしは大きく息を吸い込みました。聖レの伝統となっている、とある『声出し』をするためです。
この『声出し』。他校の皆さんからは俗に『せーれっは!』などと呼ばれております。まるで何かの暗号のようですが、なんのことはありません。『せーれっは!』とはすなわち、わたくしたちの学校名を示しているのです。
「聖ええええええええええ――」
まず、先導役の一人(今回はキャプテンであるわたくしです)が息の続く限り『聖』と叫びます。そうと意識していない方の耳には『せー』と聞こえるでしょう。
「えええええんとっ!!」
語尾にちょこんと『ント』を添えて、一拍。そして全員で、
「「レオン!! ハルト!!」」
と一斉唱和。これを、聖レでは日々の練習の始まりと終わりに一度ずつ、及びランニング中に絶え間なく、また試合においてはセット間やタイムアウト明けはもちろん、プレー中もこちらが得点するたびに全員でコート内を走り回りながら行います。さらに言えば、この声出しのやり方は初等部から高等部まで共通。つまり、わたくしたちはみな軽く数千回は『せーれっは!』していることになるのです。
当然、その時々の『せーれっは!』の具合で、自分たちのコンディションも手に取るようにわかります。
わたくしは全員と目を合わせて、軽く微笑を浮かべます。今の『せーれっは!』とみんなの顔を見る限り、調子は上々。これなら存分にお見せできるでしょう。
「さあ、皆さん! 出撃ですわよ!」
「「はいっ!」」
聖レオンハルト女学院のバレー――〝不死蝶《Crawling Butterfly》〟の優美なる舞を、ですわ。
登場人物の平均身長(第五章〜):166.7cm




