35-2(希和) 全体集合
電車に揺られている間はみんなリラックスしていて、お喋りをする余裕もあったけれど、獨楢最寄りの元宮駅に降り立ったところで、じわりと緊張が襲ってきた。
主に、私と、早鈴さんと、露木・今川コンビがその対象。駅の外の見知らぬ風景を前に、私たちは思わず立ち竦む。県外への遠征なんて、もちろん初体験。これから赴く戦場のことを思えば、動揺くらいはする。
「バス乗り場、こっちです」
ぽけっとしている私たちに、栄は苦笑交じりに声を掛けた。気負っていたり、緊張していたりという風ではない。しかし、かといって落ち着いているかといえば、それも違う。いつも通りではない、不安定な感じ。
まあ、誰にだって現在と過去はある。高校で新しく出会った私たちと一緒に、かつて一緒に過ごした友人たちの元へ行くのだから、多少の動揺があるのは当たり前だろう。私だって、今ここに突然中学の友人たちが現れたら、どういう顔して喋っていいのかわからなくなる。
なお、星賀さんと西垣に関しては、まったくいつも通り。両者ともベクトルは違えど、人格が周囲の環境に依存しないという点においては共通している。
そして、私たちはバスに乗り、やがて辿り着いたそのもの『獨和大附属楢木中学・高校前』で降りた。ほぼ予定通りの時刻。
「……こんなに早く戻ってくるなんてな……」
真っ先にバスを降りた栄が、懐かしさを噛み締めるようにしみじみと言う。
「ほな、行きましょか。体育館、こっちです」
大きく深呼吸をして気持ちを切り替えた栄が、また先頭に立って歩き出す。途中、きょろきょろと校舎や駐輪場、植え込みの草木を見回しては「変わってへんなあ」とか「お! なんやあれ!?」とか楽しそうに呟いていた。
ほどなく、なかなかに歴史のありそうな、大きな平屋の体育館が見えてきた。栄の話では、この第二体育館はバレーボール部専用で、三面コートに常にネットがスタンバイされているらしい。が、ところどころ老朽化していたり、夏は熱く冬は寒かったりなど、難点も多いという。コートやネットは整備されているが、木材が剥き出しのところや金属が錆びてるところには触れないほうがいい、とのことだった。
体育館の入口に向かうと、ちょうどいいタイミングで、中から神保沙貴子先生が出てきた。星賀さんが携帯で到着を伝えていたようだ。外履きに履き替えた先生は、先に私たちを駐車場のほうに案内した。先生の車に積んである荷物を運び出すのだ。
「昨日も言ったと思うが、確認だ」
車から荷物を引っ張り出したところで、先生は私たちに言う。
「体育館に入って、各校の先生方に挨拶をしたら、まずは着替えて、ボールを準備してくれ。そのあとは、各自でストレッチ。聖レと鶴女の生徒はまだ着いていない。両校が揃ったら、一旦全集だ。とにかく、きびきび動いて、はきはき喋ること。いいな?」
「「はい!」」
「全集したあとは、各校ごとにボールを使ったアップをして、すぐに試合を始める。時間は限られているから、集中して臨むように」
「「はい!」」
「あと、そう、肝心の試合のことなんだが――」
そこで、神保先生は露木・今川コンビに目を向けた。
「今日、私たちが相手にするのは、獨楢と聖レの新人チームだ」
「「新人チーム……?」」
二人は首を傾げる。神保先生は簡単な説明をする。
「元々、この練習試合は来月のブロック大会の予行演習のためのものだ。各校の一軍同士が、ブロック大会を想定した相手と、試験・調整を目的に対戦する。当然、飛び入りのうちは実力的にも立場的にもそこに混ざれない。だから、うちの相手は、ブロック大会にベンチ入りする可能性の低いメンバーが担当する。つまり、一年生だな」
端的に言って二軍――いや、二軍は一軍のバックアップメンバーだから、三軍とでも言うべきか。至極妥当な運びだけれど、畏れ多くも一軍とやる気満々だった露木と今川は、拍子抜けしたのか呆然となっていた。神保先生はそんな二人を見て、偽悪的に微笑む。
「ちなみに、もしお前らがその新人チームに一回でも勝つことができたら、聖レの一軍が直々に相手をしてくれることになってる」
「「!?」」
にわかに目を輝かせる露木と今川。神保先生は楽しそうに二人を煽る。
「俗にいうアレだ。本命と戦いたければ手下を倒せシステムだ。だから必死でやれよ。腑抜けたプレーでもしようもんなら一瞬で食われるぞ」
ぎろっ、と目に力を込めて凄む神保先生。
「私たちは今、本来なら地区予選、県予選を勝ち上がらなければ踏み込むことを許されない舞台に来ている。気を引き締めていけよ」
「「っ……はい!!」」
「よろしい。じゃあ、行くぞ」
がっちり露木と今川の心を掴んだ神保先生は、風を切って体育館に歩いていく。私はそのやり取りを「スポ根してるなあ」と斜に構えて眺めていたが、しかし、いざ体育館の扉を開けた瞬間、先生は何から何まで計算尽くだったのだ、と恐れ入った。
「「おはようございます!!」」
体育館に入った私たちを迎えたのは、三十人規模の統率の取れた挨拶だった。何人かはストレッチ、何人かはパス、何人かは試合の準備にと、全員がそれぞれ動いていたが、私たちが現れたのを見るやいなや、檸檬色のジャージに身を包む彼女たちは、なんの合図もなしにぴたりと声を揃えてみせた。
がつーん、といきなり右ストレートで顎をやられたかと思った。骨の髄まで響く声。腹の底から発せられた、強豪校特有の、圧倒的な気迫の洗礼。
「「お、おはようございますっ!!」」
辛うじて、私たちは挨拶を返す。なんの気構えもなかったら、声さえ出せずに棒立ちしていたかもしれない。特に私と、早鈴さんと、露木・今川コンビは。
それ見たことか――という顔の神保先生が、ぱんっ、と手を叩く。
「ほら、ぼさっとしてないで。ステージ横に先生方がいらっしゃる。ご挨拶してきなさい」
「「は、はい!」」
星賀さんを先頭に小走りで移動しながら、私はじわじわ溢れ出る冷や汗に震える。
やばいぞこれ……わりとマジで、なんでのこのこやって来てしまったんだろう、私。
こんなん初期装備でいきなり魔王城じゃないか。比喩じゃなくて、実際。
完全にテンパっている状態で、各校の先生方に「よろしくお願いします」と一礼する。簡単な自己紹介と有難いお言葉を頂戴した気がするけれど、内容はまったく頭に入ってこなかった。
それから、獨楢のマネージャーと思しき小柄な人に更衣室に案内され、着替えを済ませる。更衣室を出たあとは、ボールの準備をして、体育館の一角に陣取ってストレッチ。主催である獨楢のメンバーは、会場準備を終えたらしく、隣のコートで全員が輪になって準備体操を始めた。
いーち、にー、さーん、しっ、という彼女たちの掛け声が、きゅうきゅうと私の下腹を締め付ける。周囲に目を向けると、露木・今川と西垣は、それぞれ熱気と興味の視線を獨楢メンバーに送っていた。星賀さんは普段通りにストレッチしている。早鈴さんはそんな星賀さんの傍にちょこんと座って、そわそわしている。よし、ここは一つ、一番親近感のある早鈴さんを見習って、寄らば大樹と洒落込もう。
というわけで、助けて、栄夕里。
「なんや瀬戸さん、泣きそうな目して? 呑まれてもーたん?」
さり気なく傍に寄ると、顔を見るなり苦笑された。私は頬を膨らませた。
「そうよ呑まれてもーたんよ。なにか悪い?」
栄はまた苦笑して「ごめんごめん」と言った。
「ウチはかえって落ち着くねんけど、やっぱ特殊なノリやろな、普通の人からすると」
「ええ。息が詰まりそう」
「ひどい言われようやな」
くつくつと笑う栄の目は、獨楢メンバーのほうを向いていた。中高一貫の強豪校なら、当然、一年生から三年生まで知り合いは多いはずだ。
「やっぱ、あんた的には獨楢のほうが居心地がいいわけ?」
「んー? なんや、意地悪なこと訊くなー」
ぐぐっ、と前屈をして、栄は明るい声でそう答えた。伏せているその表情まで明るいかどうかはわからない。私は髪をがしがしと掻いて「ごめん、忘れて」と無理難題を押し付けた。栄は笑いながら「えー?」とぼかす。
若干気まずい空気になりかけた、そのとき、前屈する栄の背中に影が落ちた。見ると、神保先生よりいくらか若そうな男の人がそこに立っていた。確か、さっき挨拶した中にいた獨楢の先生の一人だ。名前はさっぱり覚えていない。
「栄夕里」
渋い低音で、その人は言った。不意に呼ばれた栄はぱっと顔を上げ、目を丸くした。
「村木先生? えっ、どないされました?」
「ちょっと、いいか?」
それだけ言うと、村木先生とやらはさっと踵を返して体育館の入口のほうへ歩いていった。突然の呼び出しに心当たりがないらしい栄はしばし呆然としていたが、村木先生とやらが入口を出て見えなくなると、弾かれたように立ち上がった。
「す、すいません、ようわかりませんが、ちょっと抜けます」
栄は星賀さんにそう断ると、軽やかに走って村木先生を追った。一部始終を見ていた私たちは、みんなきょとんとして状況を飲み込めていない。例外は星賀さんだけだ。
「……ふむ」
小さくそう呟いて、じっと栄の出ていった入口を見つめる星賀さん。何か言うのかと待っていたが、続きは聞けなかった。栄が出ていってからさほど経たずに、ワンピースタイプのシックな制服を着た集団が体育館に現れたのだ。そして間髪入れずに、今度はセーラー服の集団が登場する。
主催の獨楢にとっては本命である二校の到着。体育館内がざわざわと賑わい立つ――もとい殺気立つ。そのプレッシャーに圧し潰されないよう必死に精神を保っていると、まもなく栄が戻ってきた。
「おかえり。なんの呼び出しだったのかな?」
軽い口調で何気なく尋ねる星賀さん。栄は「大したことやないです」と笑った――もとい誤魔化した。星賀さんはそれ以上追求せず、栄以外の私たちを見回した。
「役者が揃って、そろそろ全体集合になるだろう。まだ心身がほぐれていない者は、少し急ぐように」
星賀さんはそう言って、結びに私と目を合わせ、微笑んだ。たぶんだが、栄のことは自分に任せて、私は私のことに集中しろ、とでも言いたいのだと思う。
私は頷く代わりに立ち上がって、ぐっ、ぐっ、と腿の裏を伸ばしながらリズムを取る。
本来なら踏み込むことを許されない舞台――神保先生の言葉が、ふと頭に浮かぶ。
そうだ……ここはまさしく雲の上。見下ろす景色は壮観だろうが、環境は下界よりはるかに過酷だ。気を抜いたら命が危ないレベルで。
やがて、チームジャージに着替えた二校が体育館に戻ってきて、ステージ前に全校集合となった。
檸檬色の獨和大附属楢木。
烏羽色の聖レオンハルト女学院。
青空色の鶴舞女子短期大学附属。
そして、桜花色の我らが明正学園(チームジャージを着ているのは星賀さんと早鈴さんだけだが)。
戦いが、いよいよ、始まるのだ。
「「よろしくお願いします!!」」




