32(志帆) 古豪
入部試験の翌日、日曜日。
私は午前中から学校に来ていた。いくつか用事があったのだ。そのうちの一つを済ませるために、私は化学教官室の扉をノックした。
「どうぞ」
「失礼します」
そう言って、私は教官室に入る。私がここにやってくる理由のほとんどが部活絡みのこと。なんとなれば、我が明正学園女子バレーボール部の顧問が、化学教諭だからだ。
「おう、星賀。どうかしたか?」
目的の先生は、小テストの丸付けをしていた手を止めて、顔を上げた。
神保沙貴子先生。私が二年生に進級したときに赴任してきて、赴任と同時に女子バレー部の顧問を受け持った。年齢はアラフォー。ご結婚されていて、お子さんもいる。
「ちょっと、先生にお願いがありまして」
「ん、新歓絡みか? また体育館でパーティでもするのか?」
「いえ、この四月中に練習試合を組めないかという相談でして。可能でしょうか?」
先生は真意を探るように目を細めて、少し考えてから、先回りして要点に触れた。
「どこか、具体的に戦いたい相手がいるのか? 昨日の新歓で世話になったっていう三坂総合か?」
「いえ、具体的には決めていません。ただ、どこでもいいわけでもありません。希望する条件があります」
先生は片眉を上げ、ぎぃ、と回転椅子を動かして身体を私に向けた。
「その、お前が戦いたい相手の条件とやらを、言ってみろ」
私は先生の目を見つめて、気負わずに答える。
「先生が練習試合を取り付けられる高校の中で、最も強い相手でお願いします」
それを聞くと、ふははっ、と神保先生は吹き出した。今は化学教官室に私たちしかいないので、かなり豪快な笑い声だった。
「……そうだよな。お前と早鈴はこの夏が最後だもんな。いよいよ雄飛の時か」
先生はそれから数十秒ほど相手先の候補を思い浮かべてから、悪戯っぽく笑った。
「ちょっと遠いが、聖レなんてどうだ?」
聖レ――先生の口から飛び出してきたその高校名に、私は少なからず驚く。
「その聖レというのは、あの聖レですか?」
「あの聖レ以外の聖レがどこにあるんだよ」
「……ええ、仰る通りです」
俯くように頷き、私はちょっと頭の中でシミュレーションをしてみる。さすがに聖レは予想外だったからだ。どうだろう、上手く事が運ぶだろうか――。
「不満か?」
先生は偽悪的に微笑んで問う。私は考えるのを中断して、首を振る。
「いいえ、願ってもない相手です。県内随一の古豪にして、現在も県四強の一角に名を連ねる西の王者……」
私は個人的に観戦した去年の新人戦を思い出す。黒と碧翠を基調とした色彩豊かな斑紋。県下で最も美しいとされる深山烏の鱗翅。
「〝不死蝶《Crawling Butterfly》〟――聖レオンハルト女学院」
胸を借りるのにこれ以上はない、と断言できる相手だ。
「ま、言っても、先方が了承してくれればの話だぞ? 聖レがダメだったら今月は諦めてくれ。今はどこも月末のブロック大会地区予選のための最終調整をしてる。この時期に練習試合を受けてくれる可能性があるとすれば、地区予選に出ない高校だけ――つまり、うちみたいな新生チームか、予選免除の四強だけだからな」
「ありがとうございます」
「望みは薄いからな。期待するなよ」
「その場合は、五月の連休のほうで何かしましょう」
「おいおい正式入部もまだだってのに……」
そう言いつつも、神保先生は練習計画の立案に前向きだった。昨日の入部試験のことは既に話してある。此度の超大型新人の登場に、先生も喜んでいるのだ。
「それにしても、先生、お顔が広いんですね。四強にパイプをお持ちだとは存じませんでした」
「顔が広いっていうのとは、少し違うな。単純に、聖レは私の母校なんだよ」
「えっ」
ちなみに、聖レオンハルト女学院とは、西地区の最奥、外界と隔絶された山中(学院の私有地)にその門を構える、小中高一貫の絵に描いたような超お嬢様学校である。
「まあ高校進級を機に飛び出したんだが――って、おい、星賀。今の『えっ』はどういう『えっ』だ?」
ぎろっ、と先生はガンを飛ばしてくる。私は咳払いして、ぺこりと頭を下げた。
「失礼しました」
「おい詫びるなよ。悲しくなるだろ……」
先生は溜息をつきながら肩を揉む。そして、おおよそ二十年前と思われる過去に目を向ける。
「まあ、そりゃ確かに、箱入り娘だらけの聖レじゃあ……私はヤンチャなほうだったがな」
人に歴史あり。私は先生の意外な経歴を、早く知沙と共有したくてうずうずした。
登場人物の平均身長(第五章):167.5cm




