109(悦子) 今の私たちに足りないもの
「じゃあ、ラインジャッジとスコア係は、二年生にお願いするね。一年生は、次のインハイ予選からやってもらうことになるから、今回で二年生を見てやり方を覚えること。それが終わったら一度、全員でCコート――旧体育館に集合。そのあとは……」
「奈央、それは集合のときでいいんじゃない?」
私が言うと、奈央は口をぱくぱくさせて、ロボットのようにかくりと頷いた。
「そう、ね。はい。そういうことで。ここで少し自由時間に入ります。じゃあ、一旦、解散で!」
「「はい!」」
新体育館の裏手――教室棟への渡り廊下で輪になっていた私たち。解散と同時に、小椋燿を中心とした二年生が、一年生を連れて体育館の入口へ動き出す。
残ったのは、私、矢吹奈央、真木志乃布、舞鶴ちゆの三年生四人と、マネージャーの本橋真里亜、それから、試合後から抜け殻になって使い物にならない片山忍こと、忍。
「じゃあ、私、ちょっとトイレ」
そう言って、そそくさと輪から抜けていったのは、奈央。
私と志乃布とちゆと真里亜は、黙ってその背中を見送る。
「……奈央のこと、追っかけなくていいの?」
志乃布が私に言う。真里亜も同じことを視線で訴えている。私は首を振った。
「私は瑶子みたいにうまいこと言える自信ないから。それに、今回はあの時と違って、もう次の試合があるわけじゃないし……」
私は、奈央が消えていった体育館の角を見つめる。
「まあ、今の奈央なら、自力で立ち直るでしょ」
「でも……もし、透ちゃんとばったり会ったりしたら」
そう言ったのは真里亜。その可能性は考えてなかったので、私は少し焦る。が、代わりに志乃布が応えた。
「それはない、と思うよ。奈央も透も、さすがにこのタイミングでばったりするのは避けるはず」
「そ、そうだよね……」
「その透っていうのは、ギャラリーにいた、落中の『あの』一年生よね?」
確認を挟む、舞鶴ちゆ。石館二中出身の彼女は、三年前の夏に落中と――つまり透と戦っている。
「そう、その一年生。我らが無敵の〝黒い鉄鎚〟こと、藤島透。いきなり現れるから驚いたわ」
「あの集団はなんなんだろうね?」
「あれね……たぶん、城上女子のバレー部」
志乃布の疑問に、ちゆが応える。
「城上女子――って、新人戦では出てなかったとこだよね? 何か知ってるの?」(志乃布)
「私とタメの、館二のセッターがいたの」(ちゆ)
「館二のセッターっていうと……まさか、〝静止軌道〟?」(私)
「そう。本名は市川静っていうんだけど、静は二年前に部活辞めちゃったはずなのよね。でも、今日あそこにいたってことは、復帰したのかも」(ちゆ)
「城上女子、城上女子……思い出せないなぁ。どういうとこだったっけ?」(志乃布)
「城上女は、二つ上に、館二でエース・キャプテンしてた川戸礼亜さんって人がいて、当時は地区二位だったよ。
でも、川戸さんが引退して、静も辞めちゃって、一つ上の代は代表枠に届かずって感じだったはず。それ以前は知らないけど、バリバリの進学校ってイメージ。特別バレーが強いとこじゃないと思う」(ちゆ)
「なんで透がそんなとこ……? あの子ならスポ薦でどこにでも行けたでしょうに」(志乃布)
「その……辞めてたっていう〝静止軌道〟が復帰したってことは、つまり、そういうことよね?」(私)
「わからないけど、まあ、そういうことでしょ。というか、落中の子以外も、高い子がわらわらいたわよね……」(ちゆ)
「そのうち一人は……丘中の〝白刃〟だと思いますよ」
ひどく弱々しい声で言ったのは、忍。渡り廊下の端に座り込んで、虚ろな目でこちらを見上げている。
「忍ちゃん、大丈夫なの?」(真里亜)
「大丈夫じゃ、ない……けど、話してたほうが楽かなって」(忍)
「忍さー、そんなんで私たちが引退したあとやってけるの?」(志乃布)
「なんかそれ……『ききょう』のときも中学の時も言われたような」(忍)
「奈央を見習って、ちゃんと進歩しなさいよあんた。もう一年生だって入ってきてるんだから」(私)
「そう、です……よね」(忍)
ごしごし、と目元を拭って、忍は立ち上がった。
と、そのとき、燿と貴理子が戻ってきた。
「あん? おい、忍、立てるなら働けよ」(燿)
「ごめんね、この子、たった今生き返ったとこなの。それより燿たち、ラインジャッジは?」(私)
「経験者の一年生を含めたら人数が足りたので、可奈子に『レギュラーは休んでいてください』って押し出されました」(貴理子)
応えたのは貴理子。私は「そっか」と頷く。さすが可奈子はできた子だ。
「ところで、なにか、お話の途中だったみたいですけど?」(貴理子)
「あのギャラリーにいた謎の制服集団の話」(志乃布)
「あっ、そうなんですよ! 同中の友達がいて、もうびっくりしました」(貴理子)
「貴理子も知り合いがいるの?」(私)
「はい。館一の同級生で、キャプテンだった岩村万智って子です。『きたかぜ』でバレーやってたって言ってたので、ちゆさん、覚えてませんか?」(貴理子)
「ああ……あのボブの子はやっぱり万智ちゃんだったか。髪染めてたから自信なかったけど、うん、よく覚えてるよ。練習熱心ないい子だった」(ちゆ)
「その岩村って、館一の〝ガンタンク〟のことだよな?」(燿)
「ちょっと、そのガンタンクってあだ名やめてあげてよ。万智、けっこう気にしてたんだから」(貴理子)
「いや……でも、それ以外にあの豪腕を表現する言葉がねえだろ……」(燿)
「強い子なの?」(私)
「そうっすね。燈――今日の炯の姉っす――が『ブロックしたくない』なんて言った相手は、館一のあいつだけですよ」(燿)
「万智は小柄なんですけどパワーの塊で、特に肩がもの凄く強いんです。中学陸上の、砲丸投げの県記録持ってるんですよ」(貴理子)
「噂で聞いたことあるぜ。時速150キロで投げたんだろ?」(燿)
「もう、だからそういうのやめてって。普通に普通の県記録だから」(貴理子)
「いや、県記録は普通じゃないわよ……」(私)
「あと、なんだっけ、忍。ほら、丘中の――」(志乃布)
「〝白刃〟」(忍)
「一年生? ポジションは?」(ちゆ)
「そいつなら、セッターっすよ。俺の一つ下の霞ヶ丘中のセッター。つか、そっか、霧咲音々もいたのか……」(燿)
「どういう子なの?」(私)
「セッターなのに俺と同じくらい――今は抜かれてるかもっす――タッパあるんすよ。セットアップがめちゃめちゃ高くて、トス回しも速いし正確でしたね。俺らの代以下の北地区では、間違いなく一番上手いセッターっす。高さと速さだけなら、館二の〝静止軌道〟――市川さんも越えてるんじゃないですかね」(燿)
「ちなみに、その静もあそこにいたわよ」(ちゆ)
「マジっすか!? うお、道理で高校では見かけないと思ったら……」(燿)
聞けば聞くほど、話が大きくなっていく。透一人だけでも十分脅威なのに、中学陸上の県記録保持者やら、〝静止軌道〟やら、高さと速さならあいつを超えるっていう詐欺みたいな一年生やら。しかも、あそこにいた長身選手の数は、今挙がった名前の数より明らかに多いんだけど……。
これで守備に穴がなければ、たちまち地区代表級のチームが出来上がってしまう。
「あのさ……もしかして、透や今日の望月炯子だけじゃないの? 今の一年生で、他に有名な子っている?」
私は燿や貴理子、忍に質問を投げかける。応えたのは、燿だ。
「有名と言えば、断トツで先輩らんとこの〝黒い鉄鎚〟っすよ。あとは、今言った丘中の〝白刃〟。同じく、丘中のウイングスパイカーで〝双翼〟ってのがいて。あとは、ま、さっきの炯っすね。ここまで全員、たぶん俺超えっす。
あと……なんでか今日は見なかったっすけど、桜木恷っていう、館三で俺らの代から正リベロだったヤツがいます。中学バレーで終わるヤツじゃないと思うんで、他の地区に行ったのか、なんかの事情で今回だけ出てないのか……」
「長身と言えば……勝美とか、そろそろ170に届いてもおかしくないような」
忍に言われて、私と志乃布は顔を見合わせる。二つ下の多摩川勝美――そうか、あの子、今はそんなに伸びたのか。
「今日は出てなかったチームが……インターハイ予選には出てくるかも、ってことだよね。透のいるとこみたいな」(志乃布)
「今日の望月妹だって、次は最初からスタメンかもしれないわよね……」(ちゆ)
「午前中の石館第一も、館商相手にわりと頑張ってたっすよ」(燿)
「隣の修英は……玉緒第一にストレート勝ちしてましたよね」(貴理子)
「ってか、今回地区代表から外れたせいで、次回いきなりVS館商とかないわよね……?」(私)
誰も答えない。重い沈黙が流れる。そこへ、
「……えっ、なに、この雰囲気?」
現れたのは、目を真っ赤に腫らした奈央。顔はひどいことになっているし、声もがらがらだが、気持ちのほうは持ち直したらしいのが私にはわかった。
「あ、あのね、奈央ちゃん」
「んー、いや、まあ、大体わかるけど」
おろおろする真里亜が可笑しかったのか、奈央は軽く苦笑する。そして、私たちのところまで歩いてきて、奈央は言う。
「あのね……強いヤツが強いのは、もうそういうものなのよ。勝てないと思うなら、諦めればいい。勝ちたいと望むなら、必死に練習するしかない。そうでしょ?」
奈央は、ちらっ、と忍を見る。忍は黙って頷く。
「今日、石館第二に負けて……またたくさんの課題が見えた。次のインハイ予選まで、一ヶ月と少し。もっと強くなれるよう、みんなで考えて、できる限りのことをしましょう」
みんなを見回す奈央。私たちは、その言葉に頷きを返す。
「さっ、いつまでも外にいると、さすがに冷えるわよ。中に入って準決勝を見学しましょう。今の私たちに足りないものが、きっとそこにあるわ」
言うと、奈央は踵を返して、体育館の入口へと歩き出す。
私は一足先にその隣に追いついて、軽く脇腹を小突き、揶揄うように言う。
「奈央、せっかくだから、透に挨拶してく?」
「ばか。こんな顔で会えるかっての」
奈央は思いっきり顔をしかめて、私を睨んだ。
「……あの様子だと、インハイ予選では顔を合わせることになるでしょ。個人的に、あの子と会うなら、コートの外より中のほうがいい。だから、今日は知らんぷりしとくわ」
奈央はそのまま、しかめっ面を崩さずに、ずんずんと歩いていった。




