101(梨衣菜) 大会
体育館に足を踏み入れて真っ先に感じたのは、多数の人の熱気。
きゅ、きゅ、きゅ、とシューズと床が擦れる音。
ばんっ、ぼんっ、ばちっ、とボールが跳ね、叩かれる音。
「こっち」
白を基調とした広くて綺麗なロビーで、胡桃殿はすたすたと階段を目指す。衣緒殿と静殿も体育館の構造を理解しているようで、迷わずそちらへ続く。自分たちも黙ってついていく。
ギャラリーへと至る階段を上り終えると、自分はたまらず柵へ近付いてコートを見下ろした。
そこは別世界。
会場内は、『大会』という独特の空気が支配していた。
複数の、普段は面識のないチーム同士が、同じ場所にいる緊張感。
試合に向けて、それぞれのやり方で集中していく、緊迫感。
ごくり、と唾を飲み込む。
今アップをしている選手たちは、これから唯一無二の試合に臨むのだ。
この大会、この試合、この本番――この瞬間のために、みんな準備をしてきて、そして、持てる力の全てを注ぎ込む。
移動しながらも、自分はコートから目が離せなかった。
どきどき、と胸が高鳴る。
この高揚感をプレーにぶつけられないのがもどかしい。
「この辺でいっか」
人と人が小走りでもすれ違えるくらいの幅のギャラリーの、一角。二面コートの間の、どちらも見渡せる位置に、胡桃殿は鞄を下ろした。自分たちも、通路を塞がないように荷物を置いて、ひとまず落ち着く。
「というか、衣緒さん、妹さんの応援はいいんですか?」
「ここからでも見れるから。あと話し相手がほしかった。午前中とか正直心細かったよ」
「もう少し計画的に生きてください」
「んなことできたら浪人しねえぜ★」
「おっしゃる通りで」
ばっさりと切り捨てて、胡桃殿は眼下を見下ろし、トーナメント表を広げる。
「じゃあ、みんな、さっき渡したトーナメント表を出して」
自分はずっと持っていたそれを、ぱさり、と広げる。
「あと、衣緒さん、よろしければ試合結果を」
「今はこんな感じだね★」
「ありがとうございます。みんなもいいかな?」
「「はーい!」」
「よろしい。さて、北地区一位が石館商業だって話は、散々したと思う。さっきの宝円寺瑠璃って子も相当強い子だけど、なんと言ってもあの金髪の――藤本いちいは別格。彼女に匹敵するウイングスパイカーは『今』の北地区にいない。つまり、透を除いて、って意味だけど」
「わ、私なんか、そんな、いちいさんとは……」
「とにかく、館商は強い。これは間違いない。で、その館商相手にいいとこまで行けるのが、さっきの赤ジャージのところ――北地区二位、玉緒第二高校。通称、玉緒第二。ここは、立地的にひかりの先輩が中心みたいだね。守備力に限れば、館商より上。県内でも指折りだと思う」
胡桃殿の視線を受けたひかり殿が、黙って頷く。
「館商と玉緒第二。今年の北地区はこの二校が鉄板。これはトーナメント表を見てもわかる。どっちもシード」
端っこと端っこ。この二校が決勝で激突することを前提とした組み合わせだ。
「その二校に次ぐ三位・四位――ここまでが地区代表になるんだけど――が、それぞれ、館商と玉緒第二と、ブロックの反対側にいる二校」
「修英学園と、落山北、っスか」
「そゆこと。あとは、石館第一、石館第二、玉緒第一辺りが地区代表圏内。中学でも、強いのは石館、玉緒、霞ヶ丘、落山だから、立地的に有力選手が集まりやすい。たぶん、あなたたちの知り合いも多くいるはず。
逆に、小菅、箕輪、塩谷辺りは、そんなに脅威じゃない。実際に、向かって右のステージ側――Aコートは落山北と石館第二、左の入口側――Bコートは修英学園と玉緒第一。これが二回戦(準々決勝)の最後のカード。ここで勝てば、北地区代表確定で、準決勝でそれぞれ館商と玉緒第二と当たることになる」
ということは、今から行われるのは、県大会出場をかけた試合なのか。この張りつめた空気も納得っス。
「黒に山吹が落山北。攻守のバランスが取れていて、安定したパフォーマンスをする。水色と白のユニフォームが修英。攻撃力があるチームで、勢いづいてくると厄介。ただ、これは両校に言えることだけれど、170以上のアタッカーがチームに一人しかいない。そこが、一位・二位と三位・四位を隔てる壁。簡単に言えば」
「玉緒第二の守備力を上回る攻撃力があれば……館商以外には勝てる」
答えたのは、172センチの音々殿。
「そう。まあ、その点、わたしたちはとても恵まれている。今試合をしている四校を見ればわかるけれど、梨衣菜」
「は、はいっス!」
「あなたより高い選手……今コートにどれだけいる?」
「170以上ってことっスね。えっと、とりあえず一人いて……むー、二人〜四人くらいっスかね」
「うん、それくらいだね。四チーム分でたった数人しかいない。つまり北地区では、平均して、1チームに170台はいても一人ってこと。その点、うちは四人もいる。このアドバンテージは大きい。あとは守備だけど、一年生でひかりを越える子は北地区にいないはず」
「そう自負してます。あくまで『一年生』の範囲ですけど」
「三年生なら館商の日下部杏子。二年生なら玉緒第二の緋上真直。どちらも玉中出身のリベロ――ひかりが意識してるのはこの二人?」
「はい。特に、緋上先輩は、日下部先輩たちの代から二代連続で紅一点だった人です。現段階では、あの人とポジション争いをしてレギュラーを取れる自信は、私にはありません」
「それは、緋上真直以外なら、肩を並べられる自信がある、と受け取っていいのかな?」
「構いません。いずれにせよ、コートに立つ以上は、自信の有無に関係なく誰よりも拾うつもりです」
「心強いね」
胡桃殿は微笑む。自分も全面的に同意っス。
「まあ、そんなわけだから、館商と玉緒第二以外の相手は、しっかり準備をすればそう恐れることはない、とわたしは思っている。ハンデ有りとは言えあの音成女子から一セット取ったこと、そして南五和から一セット取ったことは、自信にしていい。今の段階でも、あなたたちは十分地区代表級の強さがある」
胡桃殿は、そう言って自分たちに微笑み、それから、コートのほうを見やる。
「試合を見ながら、めぼしいチームは一通り解説するつもり。注意すべきこともその時々に言う。みんなも、観戦していて、気になった選手がいたら言って。あと、梨衣菜」
「はいっス!」
胡桃殿は、ちょいちょい、と自分を手招きする。
「ちょうどいいから、バレーの試合の流れを説明する。練習試合では整列してから始まりだったけど、実際の公式戦では、その整列するまでの流れも決まっている。それが、『プロトコール』」
「プロトコール?」
自分が聞き返すと、由紀恵殿が手を挙げた。
「それなんかよく聞く! 第一試合のプロトコールは○○時、とか開会式で言われるよね! 公式練習を始める時間のことかなーって思ってたんだけど、違うの?」
「大体合ってる。ただ、実際はもっと細かい。たぶんそろそろだから、見ながら説明する」
そう言うと、胡桃殿はコートのほうを指差した。ちょうどそのとき、審判の人が笛を鳴らした。
「まずは、主審が両校のキャプテンを呼ぶ。ユニフォームの番号の下に横ラインがある人がそう」
胡桃殿の言う通り、キャプテンが審判のところに集まって、互いに一礼して握手を交わす。
「審判とキャプテンが挨拶をしたら、そのあとにコイントス。当てたほうは、『サーブを先に打つか後に打つかの選択権』、または、『コートをどちらにするかの選択権』――二つのうち一方を選ぶことができる。
前者の権利を選んだ場合は、後者の権利は相手に移る。後者の権利を選んだ場合は、前者の権利が相手に移る」
「胡桃ー、言い方が難しいよー」
「要するに、サーブ権争いするの」
「なるほどね!」
胡桃殿が解説しているうちに、両校のキャプテンが、コイントスやら記録用紙への記入やらを済ませ、チームの元へと戻っていく。
「挨拶とサーブ権争いが終わったら、次は公式ウォームアップ。時間は3分ずつ。先にサーブを打つほうから始める」
見ていると、コートの中に片方のチームのメンバーが集まり、もう片方はコートから出て壁際で練習をし始めた。球拾いも含めた全員の動きがきびきびしている。三分しかないのだから当然だろう。個人的には十分、せめて五分くらい欲しい気がする。
「公式ウォームアップで何をするかは、各校の自由。コンビの確認をするところが多いかな。プロトコールが始まったら、試合開始まで、ネットを使えるのはこの3分間だけだから」
「テスト直前に単語帳見るみたいなもんだ!」
「言い得て妙」
やがて、笛が鳴ってチームが入れ替わり、もう片方のチームの公式ウォームアップが始まった。3分というのは本当にあっという間で、ばしんっ、ばしんっ、とテンポよく打ち込まれるスパイクを見ているうちに、終わりが来た。
「ここで、整列」
審判の人が合図をすると、両校の選手がエンドラインに並ぶ。ベンチにいる監督やマネージャーも、その場で気をつけをしている。
そして、記録係の人がいるところから、審判の人が二人、審判台のほうへ向かう。主審と副審だ。
そして、ぴぃぃぃぃ、と長い笛の音。
「「お願いしまああああす!!」」
おおおっ、始まった! 始まったっス!
「このとき、キャプテンはキャプテン同士で握手して、審判とも握手する。この相手チームとの挨拶が済んだら、審判は所定の位置につき、選手は一旦ベンチに下がる」
ベンチに集まった選手たちに、監督が短い言葉をかける。そして、どちらのチームも全員が輪になって、せーので掛け声。
「「ふぁいっ、おおおー!!」」
ひゃー、これが生試合! ぞくぞくするっス!
「そして、試合開始の1分半前に、スターティングメンバーがコートに入る」
ぴっ、と笛が鳴り、六人ずつ、選手がコートに立つ。FR、FC、FL、BR、BC、BLの位置に立った選手たちは、全員が背中を副審に向けている。例外はリベロで、コートの外で待機している。
「スターティングポジションと背番号を、事前に提出したラインアップシートと照合。合ってればボールがサーバーに渡される」
ぼむっ、と真新しい綺麗なボールが、副審からBRの人へバウンドパスされる。
同時に、両チームのメンバーが素早く定位置へ。リベロがコートの中に入って、サーブを打つチームは前衛と後衛に分かれ、サーブを受けるチームはサーブレシーブのフォーメーションになる。
さあああっ! とあちこちから声が上がる。
コート内から、ベンチから、応援席から、一斉に。
「あとは、試合開始の合図を待つのみ」
やがて、ぴっ、と短い笛の音。
横に突き出した腕を折り畳む、サービス許可のハンドシグナル。
「最初の審判とキャプテン同士の挨拶からここまで、きっかり11分。試合はいつもこの流れで始まる。セット間や三セット目に入ったときの流れも同様に決まってる。雰囲気だけでも今日覚えていってね」
そう言った胡桃殿は、マル秘と書かれたノートを広げ、衣緒殿に声を掛けた。
「衣緒さんの妹さんって、もしかしなくても修英のリベロですよね?」
「おっ、よくわかったね。あれか? 私に似て可愛いからか?」
「いえ、県大会出場校の選手は調べてあるので。というか以前に衣緒さん自身からも聞いてますし」
「そこは嘘でもイエスと言っとけよ★」
衣緒殿のツッコミ(ボケ?)を、しかし、胡桃殿はさらりと流した。
「じゃあ、まずは新人戦で地区三位だった修英学園から見ていこう。もし、自分の知ってる選手がいたら、どんな人か教えてね」
そして、胡桃殿は修英学園の解説を始めた。




