第142話・馬刺しから始まる、生食文化の開拓史(馬刺し5種類と、肉の生食について)
鶏のたたきについては、まあまあの評価を得る事が出来た。
ただ、そもそもこの国だけでなく、この世界全体で考えると生食文化というのはそれほど定着していない。いや、嫌悪している地域や国が大半なのかもしれない。
こと流通や保存技術などが発達していないと、生鮮食品の鮮度を一定条件下に保つ事など不可能。
それこそ、俺の能力の一つである空間収納や、同じような効果を持つアイテムバックなどがない事には話にならない。
そして前者はおそらく俺一人の能力であり、後者は錬金術師が長い時間と高額な素材を用いて作るか、もしくはダンジョンや古い遺跡などで発掘されるものが大半。
ゆえに、好事家や貴族などが買い漁りしまい込んでいるのが殆どという事らしい。
もっとも、大手商会などでは一部それらを用いての仕入れなどを行っているらしいが、それでも容量に限界はある。
とまあ、そんな事情も踏まえて、やはり生肉っていうのは忌避されている事が大半らしいのだが。
「さて、そろそろ次のメニューを用意してかまいませんかねぇ」
「そ、そうですわね。やっぱり食べ慣れないものはちょっと抵抗感がありますわ。それに、そんなに試食用に作って、当日の仕入れなどは大丈夫なのですか?
「それはまあ、大丈夫かと思います。明日は一日、明後日の晩餐会に用意する料理の方を手掛ける必要がありますので、今日のところはじっくりと生肉を楽しんでいただけると。それに、ヴィシュケ・ビャハ王国の俺の店では、刺身も食べていたじゃないですか」
そう問いかけると、アイリッシュ王女殿下はプイッとそっぽを向いてしまう。
「それは、その……ユウヤ店長が悪いのですわ、私たちの知らない料理を次々と作って、私達だけでなく王家の者を虜にしたのですから。宮廷料理人なんて、毎日のようにユウヤ店長の料理を再現しようと必死なのですわ。それなのに、ここにきて生肉の料理だなんて……」
「おぉっと、そいつは申し訳ない。まあ、料理人が自分の腕を磨くために日夜研鑽しているのは良いかと思います。まあ、うちの店で使っている調味料については、表に出せないものばかりですので再現はかなりきついかと思いますけれど……暇ができたら今度、技術指南程度でしたら引き受けますので」
「ええ、その時はよろしくお願いしますわ」
にっこりと笑って椅子に座り直すと、次の料理が出来るまでモニターをじっと眺めている。
アイリッシュ王女殿下の好きな番組は自然関係のドキュメンタリー。
王族という立場から、自由に国外に赴く事は出来ないからだそうで。
「さて、それじゃあそろそろ自然解凍も終わった事ですから、次の料理を作るとしますか」
〇 〇 〇 〇 〇
さて。
さっきからずっと自然解凍していたのは『真空パックの馬刺し』である。
さすがに生の馬刺し用の肉なんてうちの取引先では取り扱っていないので、色々と調べた結果、青森の牧場に連絡を取って仕入れる事になった。
うちの店でも日替わりメニューに使っているため、週に一度は大量に届くようになっている。
実はつい先ほど、地鶏のたたきと馬刺しの仕入れ発注を行ったのだが、無事に明後日の朝までに届くかどうかは怪しい。
まあ、運がよければ届くだろうという事で、当日分だけはしっかりとストックして味見用に少しだけ切る。
「まずは、ヒレとたてがみ、フタエゴからいきますかねぇ」
ひれ肉は赤身で肉質もとても柔らかい。
だから、こいつは少し厚めに切って食べるのがいい。
それとは対照的に、たてがみは真っ白な肉質で、ちょうど首部分の皮下脂肪にあたる部分のことを指す。脂部分なのだがあっさりとしていて、やや甘みを感じる。
こいつは薄目にスライスして盛り付けるのだけれど、実はヒレとたてがみは一緒に重ねて食べるとうまみが増す。
「今日のところは皿の上に洗い笹を敷いて、そこにそれぞれ並べるようにして……と」
あしらいはおろしにんにく、おろし生姜、玉ねぎのスライスがうちの定番。
これにさっき地鶏のたたきで使った九州産の甘い醤油と、自家製の返し醤油をつけて出す。
「ほい、まずは二品。こいつは馬肉で、うちの故郷ではこうやって新鮮な馬肉は刺身でも食べられるんだ。まあ、馬っていうのは体温が高いので雑菌が繁殖しにくいのと、牛みたいに反芻する動物ではないので伝染病の病原菌の温床になりにくいっていうこともある。まあ、うちのやつはしっかりと冷凍してあるので、雑菌とかについても安心していい」
「う、馬だにゃ!!」
「これってつまり、町の中でよく見かけるあの馬の肉っていう事ですよね? 年老いた馬肉は煮込みに使う事もあるって聞きましたけれど……まさか生で食べられるなんて信じられません」
「こ、これもユウヤ店長の故郷の料理なのですか……」
まあ、色々と疑いの目で見てくるのは別に構わないさ。
生食文化のない世界で、生肉を食べてみろっていうのだから疑って当然。
ということで、別皿に少しだけ切り付けたひれとたてがみにチョンと醤油を垂らし、みんなの目の前で食べて見せる。
「ん~っ。いい、久しぶりに食べたけれど、やっぱり甘いよなぁ」
「それじゃあ、あたいもご相伴に……んんん? これはまた絶妙だにゃ」
「お肉のおいしさって、こういう事なのですか……ああ、これは毎日でも食べたいですわ」
「王城でも軍馬を飼っていますけれど。このように柔らかいのでしょうか」
「軍馬は食べたことがないなぁ。こいつは牧場で、食用に肥育しているやつだからさ。と、次の奴を切りつけるので、ちょいと待っててくれ」
さて。さっきのは入門編。
ここからが馬刺しの本番だ。
切りつけるのはカタバラとバラオビ。
マグロでいうところの中トロと大トロの部分にあたる。
しっかりとサシが入っていて、まさに霜降りと呼ぶにふさわしいのだが。
実は、カタバラは見かけによらず脂っぽくなく、あっさりと食べられる。
脂部分に臭みがないのが特徴。
そしてバラオビ。
三角バラとも呼ばれていて、一頭からほんの少ししか取れない希少部位。
これの特徴は何といっても、口の中でさっと溶ける脂のうまみ。
実は、うちで出すときは『たまり醬油と卵黄』の入った刺し猪口を用意する。
まあ、好みで熱々ご飯を頼む人もいるっていうぐらい、とにかくご飯が進む。
でも高いんだよなぁ。
という事で、この二つも皿に盛り付けて出してみる。
しっかりと『卵黄溜まり醤油』と『小ライス』も添えて出したんだが。
「ん~っ、んんんっんっんっんっんっんっんふん」
「うわ、うわわわ」
「ああ、ご飯が……ご飯が進みますわぁ」
ま、的確な反応をありがとうございますってところだな。
この時点で三人とも、すっかり馬刺しの虜になってしまっているようだ。
最初のヒレとタテガミも、薬味を変えたりご飯と一緒に食べたりと忙しそうである。
「さて、次が最後だが」
「ま、まだくるのかにゃ!!」
「この順番で考えると、次が馬刺しの最高峰ですか?」
「ユウヤ店長の、最高の馬刺し……いいですわ、かかってきなさい!! その前にお茶を頂けますか?」
はいはい。
ということで熱々のほうじ茶をシャットに頼んで、最後の部位をカットしますか。
「最後に出すのは、フタエゴっていう部位の刺身だ。こいつはあばら骨当たりの三層肉で、ごらんのとおり脂身の白、赤身、そしてもう一度脂身の白と三色に連なっている部位でね。赤身部分はヒレよりも歯ごたえがあり、それでいて上下の脂身がやや甘くあっさりしている。人間でいうところの肋骨付近の肉で、馬の場合はここが良く動くので歯ごたえがあって……」
――ジュッ……
おっと、説明が長かったか。
取り急ぎ三人前を用意してカウンターに並べてやると、待ってましたと言わんばかりに食べ始めた。
高級な肉、希少な肉というのなら先に上げた部位の方が当てはまるんだが、このフタエゴはとにかく旨い。
この一言に尽きるんだよ。
本当なら浅月か芽ネギを用意できれば、薄く削いだフタエゴでネギを巻いて食べるのも乙なんだけれどなぁ。
さて、カウンターの向こうで3人とも沈黙してしまったのだが、それは美味かったという事でいいんだよな。一言も発せず、うっとりした表情で馬刺しに集中しているようだから、これで良しというところか。
まあ、本番の時は『タルタルステーキ』も用意する予定だが。
残念なことに、完全生食としての提供は法的に許可されていないので、タルタルステーキは出せないんだよ。
まあ、うちの店は俺が『食品衛生責任者の資格取得』を行っているし、食品衛生許可も受けている。
それに『札幌市保健所認定』を受けているので、ユッケや牛刺しなども提供することはできるのだが、さすがに適した素材の入手が難しいので、年に数度しか出していない。
俺しか取り扱いできないので、忙しい時などは出せなかったんだよなぁ。




