狐さん、お散歩に行く
お散歩の準備を整え、外に出た。散歩に向かう格好に着替えた彼女はジャージの上にダウンを羽織り、スニーカーを履いている。首には祖母からお守りとしてもらった紐を通した勾玉のネックレス、そして肩には散歩に必要なものをまとめたショルダーバッグをかけていた。
気温が低く寒いが澄んだ空気の心地よい朝だったが、穂香は少し落ち込んでいた。彼女は自分のお尻付近を見ると、ジャージのズボンからニョキっと飛び出しているモフモフの尻尾があった。
尻尾が生えたのは丁度尾骶骨のあった位置で、ジャージを履くと尻尾が邪魔になってまった。そのため最近買ったばかりのジャージだったが、仕方なく尻尾が出せるように裁ちばさみで穴をあけたのだ。
「はぁ……。せっかく新しいジャージ買ったのに……。もし尻尾がなくなったらもう履けないよ」
尻尾が無くなったらパンツが見えてしまい、ズボンとしての役割を果たさないものになってしまう。意識して尻尾を動かそうとすると、不思議なことにちゃんと左右にゆらゆらと揺らすことができた。
「うん、でもまぁ……悪くないね」
穂香は突然生えた尻尾に戸惑っていたものの、ふとした瞬間つい手で触ってしまうくらいには気に入り始めていた。ふさふさの毛でふっくらとしている見た目もモフモフサラサラとした触り心地も気に入ってしまっていた。彼女は気づいていないが、彼女に生えた狐耳が機嫌よさげにピコピコと動いて感情表現をしてしまっている。
庭の方から聴こえた「ワン」という鳴き声に我に返った穂香はハッして尻尾に伸ばそうとしていた手を止めた。
「そうだった。お散歩いかないと」
そう言って穂香は庭にある犬小屋へと向かう。そこには彼女の愛犬であるシベリアンハスキーのシロがいた。
シロは穂香が出てきたのに気づいて、早く早くっと散歩をせがむ様に左右に行ったり来たりしている。シロはシベリアンハスキーで、薄いシルバーとホワイトの毛並みに精悍な顔つきをしている。シロは以前叔母の家で飼われていたが、叔母夫婦の急な海外転勤が決まったことで穂香が中学生になったころから稲森家で飼うことになったのだ。叔母の家で2年、稲森家に来てから3年近く経ち、シロは5歳になっている。
「おはよう、シロ」
穂香はシロに挨拶をして近づいた。シロはなかなか賢い犬で、散歩の前の準備は自分がおとなしくした方が早く済むことを学習していた。普段は穂香が近づくとおとなしく座る。
しかし、今日は何やら興味深そうにシロがスンスンと穂香の匂いを嗅いでくる。特に尻尾の匂いを嗅ぎ、何かいつもと違うよといった感じに小首をひねるような動作をする。その様子に穂香は苦笑する。
「やっぱシロも不思議に思うよね?」
とはいえ、穂香であることは違いないと判断したのかシロはしばらくするといつも通りおとなしく座った。穂香はしゃがんで両手でシロのほっぺたを軽く揉む。
「うん、お前はいつもと変わらないね〜」
シロはいつも通りの姿をしていて、特に変化は感じられなかった。
「この変化は人間だけなのかな? それともやっぱり、実はまだ夢だったりして?」
そんなことを考えていると、シロは穂香に尻尾を振りながら鼻を押し付けるようにしてきた。早く散歩に行きたいらしい。穂香は「ごめんごめん」と言いながら首輪ににリードを取りつけ、散歩に向かう。
心地よい朝だが、今日はいつもより人が少ない。すれ違う人は、穂香のケモミミや尻尾を見て二度見をする人、穂香と同じようにケモミミや尻尾が生えてて穂香の姿を見てどこか安心した様子で挨拶をしてくる人がいた。
「ふふっ、気持ちわかるな~」
穂香はすれ違った人たちの様子を思い出して少し笑った。
(私もケモミミや尻尾が生えてる人いたら驚くしね。あと、自分だけじゃないってわかるとやっぱ安心しちゃうよね)
テレビのニュースになっていたように、稲森家だけおかしな状況に陥っているわけではなく、ご近所さん達の間でもおかしなことが起きているようだと実感できた。人が焦っているのを見ると落ち着くということもあるのだろう。穂香は、なんだかんだ落ち着いてきていた。
公園へと向かうシロのお散歩ルートの途中には、小さな稲荷神社がある。そこにお参りするのが穂香の日課になっている。
「ちょっと待っててね」
そう言ってシロのリードを神社前のポールに縛る。シロも慣れたものでおとなしくお座りをする。穂香は入口の鳥居をくぐる前に一礼をし、鳥居をくぐる。するとすぐ左側に社殿があった。それくらい小さい稲荷大社だ。
まだ朝早い時間帯なので、穂香は麻縄を軽く揺らして気持ち鈴を鳴らし、5円玉を入れる。そして背筋を伸ばして深く二回礼をし、二回拍手をした後、手を合わせて目を閉じた。
(合格していますように。あとよくわからない状況から助けてください。いきなり狐の耳や尻尾が生えてきてどうしたらいいかわかりません)
穂香は心の中でそう願ったあと、もう一度深いお辞儀をする。その際、社に設置された鏡がかすかに煌めいたが穂香が顔を上げるころには戻っており、穂香が気づくことはなかった。彼女はふと社の右側に置かれた小さな狐の石像を見る。
「わっ、おそろいだ。……なんてねっ」
面白そうに少し笑った後、彼女は散歩を待つシロのもとへと戻っていくのだった。
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