第二十六話
「早い……」
コゥナが眼を見開く瞬間、太陽鳥も風の道へと入る。
瞬間。船が前に落ちる。
商人の風とは空の激流。船体のあらゆる部分に風の牙が食い込み、一気に加速を得る。横向きに落下していくような重力の混乱。固定してある調度がきしみ、スタッフたちは両手足を地面について耐える。
「コゥナ様……、ズシオウ様、お気を付けください。今日は風が特に強くなっております」
コゥナたちはソファに腰を沈め、膝の上に早押しボタンを構えている。ズシオウがラジオの音に耳を澄ます。
――問題、東方歴514年、サーディール朝ハリジフの起こ/した
ぴんぽん
「井戸の戦いだ!」
答えるのはコゥナ。だが飛行船の並びは変わらない。
「カイネル様、得点です。通り過ぎた指標柱の数だけポイントが加算されます」
「う、さすがは……」
――問題、赤布旗、金貨旗、熊……。
「……」
今度は答える前に問題が止まった。カイネルが回答したのだろう。
「三連続……このままでは」
「まだだ、まだ一分も経ってないぞ!」
コゥナが立ち上がり、ボタンの一つを引っ掴んで展望デッキの前方へ。
「このクイズは20分続く。チャンスは必ず来る!」
「コゥナさん……」
「大丈夫だ、ここに来るまでに詰め込んだ知識がある。ユーヤの言ったとおりなら……」
――問題、「月の香/り」という
ぴんぽん
「ルガン王国!」
答えるのはズシオウ、光信号が往復する。
「こちらのポイントです! 夜猫を追い抜きます!」
おお、というどよめき。今のは誰の眼にも分かるほどの神速の早押し。この年若な少女がそこまでのクイズの技を持つのかと、驚愕の声が行き交う。
前方、黒一色の飛行船に変化が生まれる。後部の転舵を大きく切り、風を受けるための帆を畳んで速度を落とす。こちらは逆に帆膜を広げたはずだ。
背中を押されるような加速。そして世界でもっとも堅牢な飛行船が一気に前に出んとする。
その脇を抜ける際、気流の乱れが千の腕となって船体を揺らす。
接触したのかと思えるほどの振動。あらゆる部分が引っ張られて金属部分がきしむ。そして追い抜き際、わずかに船首が引っ張られるのを逆方向に舵を切って耐える。
もし真下から見る者がいたなら、クジラが戯れ合うような雄大な泳ぎに見えただろうか。あるいは牡牛が角をぶつけ合うような激しい競り合いに見えたものか。
「ぐっ……なんて揺れだ、豹の背に乗るよりきつい……」
「次の問題が来ます!」
――問題。古代ユティウス文明に見られる武器/であり
ぴんぽん
「カナキリザメ!」
船体はまだ揺れている。船長が、操帆員が必死に船を操ろうとしている間にもクイズは続いていく。
――問題、統一歴83年、/甘い道と
ぴんぽん
「アムレストン王路!」
船体は動かない。飛行船は先行を保っている。観測員が通り過ぎた指標柱の数を正確に計測し、それとポイントとして加算する。
「こちらのポイント! これで三連続です!」
「よし! 行けるぞ!」
しかし、とスタッフたちは疑問に思う。
二人の押しが異様に早い。
この二人は、そこまでのクイズ戦士だったのだろうか、あのカイネルを上回るほどの。
その疑問は地上でも交わされる。
「もはや勝負の行方を観測する手段はないが……」
アテムの脇には二つの木板がある。黒い蛇と白い蛇。太陽鳥に積み込まれた二つのボタンと紐づけられた板だ。
「すべて終わった時、この二つの蛇のどちらかが打ちあがる。白い蛇なら我々の勝利というわけだ」
「そうか……」
「勝負に干渉してしまうから、これ以外の連絡に紫晶精を使うわけにはいかぬがな……。それにしても、あの二人とカイネルか……」
とにかく集中させてほしいと言われていただけに、深くは聞いてこなかったが、やはり何度考えても解せない。
何よりも、アテム自身はそうとは認めなかったかも知れぬが、カイネルが歴史ジャンルで負けるという姿の想像がつかないのだ。
「クイズで強くなりたいなら、やはりクイズの本を読むのが早道だ」
ユーヤがぽつねんとこぼす言葉を、耳がかろうじて拾う。
「ふむ……?」
「膨大なる知識の世界から、問題として成立しうる言葉を一定数、抽出したものがクイズの世界というものだ。クイズの本を5冊読むのと、一般書籍を50冊読むのでは、前者の方がクイズに強くなってしまう。だが、この比率はクイズがより高難度になり、深淵なる知の世界に潜るにつれて逆転してくる。単語だけを詰め込んだのでは、本当の知の巨人には勝てないという道理だ」
「うむ……それは分かる」
そこで気付く。
「では、まさかジャンルを絞ったことは」
「そう……歴史や政治経済など、コアなジャンルほど詰め込みで成績が上がりやすくなる。今回は一つの番組に問題を提供させるという方式だったから、より詰め込みやすかった。特に歴史は時事問題が少ないからね」
「なるほど……」
「アルバギーズ・ショーのバックナンバーから問題を抽出し、歴史に当てはまる千と数百問のリストアップを行った。二人がずっと練習してたのはその過去問のみだ。特定の問題については、より重点的に」
「特定の問題?」
「メイドさんに分析してもらったんだ。特定のワードにのみ呼応する問題……」
ユーヤが空を見る。
視点は空の彼方に飛び、風の道に沿って数ダムミーキの果てにまで。
――問題。小麦の/収穫
ぴんぽん
「背中の天秤!」
「正解です! こちらにポイントが!」
スタッフは手すりに腕を絡ませつつ、興奮気味に叫ぶ。
今のズシオウの神がかり的な速さ、わずか四文字で押したことを驚愕を持って受け止める。
しかし、「小麦の」という言葉だけで。
「小麦の収穫量の計算をするシュナー朝の役人に由来する、常にものごとを等分しようとする人のことを何という」
という問題を導けるはずがない。冷静に観察する者がいればそう思っただろう。
しかし飛行船の激しい揺れと、刻一刻と変化し続ける得点状況において、一つの問題を振り返ってる暇はまったくなかった。事態は狂騒のままに流れゆく。
「いけますよ! ユーヤさんの言ってた通りです!」
「そうだな、まさかこれほど頻繁に出るとは」
そして視点は急激に移動し、再び砂漠の黒太子へと戻る。
「字切れ、というのか?」
「そう……四文字で答えが確定するなら四字切れ、三字なら三字切れ、定番問題について、何文字で答えが確定するのかは重要な研究対象だった。現実には三字や四字できっちり押すことは不可能だけど、クイズ戦士たちはその極限に迫ろうとした」
「うむ……ラウ=カンなどでは早押しをかなり研究してると聞くが……」
「そんな中で、ある選手が番組ごとの出題傾向に注目した。どれほど優秀な問題製作者でも、作れる問題には限りがあり、癖がある。それに注目すれば、字切れはもっと短くなる、と」
二人が座っているのは空港にある管制局の建物であり、大きな窓から何本もの繋留塔が一望できる場所だった。アテムを守る黒衣の騎士たちは遠巻きに控えており、ユーヤは彼らが話を聞いていないことをそっと確かめてから続ける。
「ある番組において、「粉」という一言で答えが確定すると見抜いた王がいた。わずか二文字だ」
「まさか……」
「「粉雪とぼたん雪、積もりやすいのはどちら」という問題だ。答えは粉雪。その番組の長年の歴史において、粉山椒だとかコナ・コーヒーだとかで始まる問題はなく、答えがレミオロメンとか南こうせつになることもなかった」
アテムには理解できない単語もあったが、その語る様子のただならぬ気配に、ソファの肘置きを掴みながら聞く。このような迂遠な言い回しはユーヤに独特のもの。
明らかに、ユーヤは己が最も言いたくないことを言おうとしている。経験を共有するという義務に従おうと――。
「アルバギーズ・ショーの長い歴史の中で、歴史ジャンルではおよそ35問、そういう問題が見つかった。例えば「小麦」で始まるなら答えは必ず「背中の天秤」になる」
「そんなことが……小麦なら他にいくらでも問題が作れるはず。たとえ分かっていても、そんな一言で押すのは……」
「……例えこの字切れを知っていても、クイズ王には押せない」
「――!」
「コゥナとズシオウが初心者だから、教えたままを迷わず押せる。だから試合の直前まで詰め込んだんだ。本当はひたすらにクイズだけを詰め込む練習は好きじゃないんだが、カイネルに勝つにはこれしかなかった」
「……恐ろしい」
口をついて出た言葉に、アテム自身も戸惑う。
そう、恐ろしいことなのだと、認知が遅れてやってくる感覚。
(問題は、それをやってのけたのがユーヤではなく、セレノウのメイドたちだということ)
(誰でもその方法に挑めて、成果を挙げられるとしたら)
(アルバギーズ・ショーの二十年に渡る歴史は、あるいは今日、この日に大きな転換を迫られるのでは……)
「……それだけでは勝てぬはずだ」
アテムが言う。混乱を鎮めるかのように、思考の的を絞って発言している。
「これは20分に渡るタイムレース。追い抜きなどに時間を要するとしても、50問以上出題されるはず。すべてが頻出問題になるはずがない」
「そうだ……ランズワン・ムービーズのおおよその問題保有量を計算しても、今言ったことが通用するのは5回か6回ぐらいだろう」
事も無げな言葉。アテムの眼から緊張は消えない。
「……では、まさか」
まだ、何かあるのか。
あの時、ユーヤが突然にカイネルらに食って掛かった一幕。あの時にユーヤはどれほど計算していたと言うのか。
どこまでを読んでいたのか。
「もう一つある。おそらくコゥナなら可能なはずの技。異端の戦略が」
「それは……?」
「偶然を制御する……ということ。それは僕の見てきた、ある番組に現れた事象。その番組の名は」
「フラッシュ25、といった」
※
ぴんぽん
「河合曾良!」
氷神川が言い、直後にテレビから同じ言葉が。
「4番を」
盤面状況は氷神川が優勢。正解を重ね、順調に陣地を広げつつある。
(……七沼くんの取り方)
塊となって中央から右上に領土を伸ばす氷神川に対し、とにかくまばらに駒を置いている。連続での正解がないため、点は線になっていかない。
(全滅を防ごうとしている……? 勝手にすればいい。こっちは角を取っていくだけ)
そして次なる問題。
――カナダで唯一/五大湖
ぴんぽん
「オンタリオ州」
七沼の正解、角に近い20番を取る。
(……唯一フランス語が公用語の州はケベック州、とかの問題もありうる。今のは読ませ押し、しかも的確なタイミング)
シンキングタイムはテレビで答えが述べられるまで。逆を言えばこのルールの場合、テレビよりも早く押せば確実に何文字か聞くことができる。
(研究してきてる……このルールを)
「七沼くん、次からはランプがついたら即座に叫ぶようにしましょう。シンキングタイムは一秒、いえ、限りなくゼロに近く」
「わかった」
あっさりと呑む七沼を意外そうに見ながら、氷神川は頭を絞って戦略を練る。このクイズで成しうる裏技はあるか。七沼に仕掛けられる盤外戦術はないか。呼吸のように当然な行いとして思考が続く。
そして問題。
――徳川十五代将軍のうち最/も
ぴんぽん
押したのは七沼、だが直後にテレビの解答者も押す。氷神川が全身に力を込める。
(――これは誤押し、まだ絞りきれない!)
「徳川慶喜」と七沼。
――青の方、お答えをどうぞ
――徳川……家継?
――残念。では問題続けてどうぞ。
――徳川十五代将軍のうち最も短命だったのは家継、では77歳まで生き、最も長寿だったとされるのは誰でしょう。
――はい正解は徳川慶喜。青の方、お立ちください。
「うっ……!」
「16番をもらう」
七沼が4列目の端と端を取り、その間をすべて裏返す。これで盤面は五分となる。
場の空気にそぐわぬ明るいBGMが流れる。CMに入ったのだ。二人ともテレビに視線は向けない。
「運がいいだけ……今のは押していいタイミングじゃなかったはず……」
「……」
少女は盤面をぐっと睨み、唇を強く噛むように見えて。
「……」
その氷神川の瞳孔が、きゅっとすぼまる。
(違う……!)
(今のは読ませ押しを期待しての早押しじゃない)
(そう、確かこの勝負はお手付き誤答が一回休み。本家なら二回休みなのに)
(一対一だからそれでもいいと思ってた。でも違う、この形式!)
「読めたわ」
氷神川の言葉は、鉛のように重く響く。
その早押しボタンにかける指が、ネズミを押しつぶそうとするかのように殺気に満ちる。
「……さすがだ氷神川さん。もう気付いたか」
「もともと私が言っていたことよ。偶然を制御するための一手。問題は公平じゃない。早く押すべき問題、チャージをかけるべき問題が存在する。今の問題は徳川十五代将軍、それなりの確率で慶喜になる。だから獲得ポイントが一定のラインを超えるときには押すべき、そういうことね」
「その通り」
マス目をまばらに取っている理由もわかった。七沼はこちらの点数が低くなるように取っている。今の問題は七沼だけが賭けに出る価値があったのだ。
四人での対決では生まれ得ない戦略。2回休みのルールではできない賭け。
「これが二人でやるフラッシュ25……なるほどね」
そして拳を握り、中指のあたりでテーブルを打った。
「でも、もう通じない」
そしてCMは開け。
さらなる戦いの時間が――。




