05-22
孟子だったか孔子だったか……天の時、地の利、人の和という戦術論は剣術バカを自称するこの己でも耳にした記憶がある。
それは戦いに勝つ上で遵守すべきことなのだろう。
だけど今……自分の手の届かないところで戦いの趨勢が決するのを目の当たりにした己は、「天の時は地の利に如かず 地の利は人の和に如かず」というその言葉を完全に無視し、剣術のみの勝負を挑むべく、半ば衝動的に城壁の外側へと身を乗り出していた。
「おいっ、ジョンっ!
何を考えてるんだ、お前ぇえええええええっ!」
「神の声を聴き過ぎて、脳みそぶっ飛んだんじゃないかっ、あの神兵」
「知るかっ!
もう敵は撤退するところだったんだっ!
命を無駄に捨てるだけだぞ、あんなのっ!」
城壁と拒馬槍という地の利を捨て、己の戦闘を補佐してくれた人の利までもを捨てて……己は死地へと自ら身を躍らせたのだ。
……この愛刀「村柾」を操る技量を高めることこそが、己の全てだと信じるが故に。
「どうした、牙の王っ!
己は姿を見せたぞっ!」
そして、城壁の上どころか見渡す限りの草原の果てにまで聞こえるように腹の底から全力で叫ぶ。
勝利を諦め……眷属を増やして次の機会を伺おうとしていたのだろう、牙の王に浸食されていながらも何処か逃げ腰だった残り少ない牙獣たちは、その叫びを聞いた途端に逃げ出すことを放棄し、己へと血走った目を向ける。
(……そうだ、来いっ!)
此処で逃げられればこの戦い全てが水泡と帰す……それを知っているからこそ、己はこうして身を危険に晒すことで連中の視線を惹きつけたのだ。
少なくともそんな理由が半分くらい……生と死の狭間ギリギリの場所で愛刀を振るいたいという欲求も半分以上だったのは間違いないが。
そんな己の動機は兎も角、その効果は絶大で……逃げ出そうとしていた筈の牙獣たちは、殺意と憎悪に気が狂ったかのように己へと一直線に駆け寄ってくる。
「はははっ!
そうだっ、かかって来いっ!」
怨恨も守るべき民も下らない過去すらも、保身も恐怖もたどり着くべき目標すらも、真正面からの死合いの前ではただの不純物でしかない。
己は殺意に染まって後先を考えなくなった牙獣の特攻をそう笑うと……愛刀「村柾」を蜻蛉に構え直し、この一戦、この一刀に全てを費やすつもりで他の雑念全てを捨てる。
敵の残数はもう十数匹でしかなく……もう長期戦を考慮して愛刀のダメージを気にするようなみみっちい行為をする必要もない。
真っ先に突っ込んできた牙獣の一匹を、渾身の斬撃を叩き込むことでその頭蓋を断ち切った己は、返り血を意に介することなく次の一匹に備える。
「さぁっ、どうしたっ!
貴様の恨みはこの程度かっ!」
渾身で放った横薙ぎ、袈裟斬り、斬り上げ、大上段と一撃で牙獣の命を断ち切りながらも、己はそう挑発の言葉を叩き付ける。
逃げられた挙句、数を増やしてまた同じことの繰り返しとなる……そんな恐怖が心の根底にあったのは事実ではあるが、それよりも己としては「この死地を如何にして引き延ばすか」ばかりを考えていた。
足首を狙ってきた牙獣を蹴り上げて、その腹を横一文字に引き裂き……次の一匹を袈裟斬りで頭蓋を叩き斬る。
コンマ一秒以下の判断で生死の狭間を行き来する……そんな戦いの快楽に呑まれているのを自覚しつつも、この死地では動きの一つ一つが急速に研ぎ澄まされていくのが分かる。
……未だに己の感覚は「達人の領域」にあり、だからこそこうして地の利と人の和を捨てたとしても、牙獣如きには後れを取る恐れすらない。
(……バラバラに襲い掛かってくるから……)
恐らく己は挑発をし過ぎたのだろう。
牙の王によって意思を統一している筈の牙獣は、憎悪と恨みに目が眩み、足並みを揃えることすらせず己に襲い掛かってくるばかりであり……である以上、刃の届く領域に入るタイミングで、一匹ずつに渾身の一撃を叩き込むだけで戦いは終わる。
それはもはや作業でしかなく……十数匹いた残りの牙獣は、神への憎悪に引っ張られるように、ただただ破滅への道を歩んだだけ、だった。
(……この、程度なのか)
どうやら己のこの無謀な前進は、敵敗残兵を捨て身の特攻に駆り立てる役割は果たせど、己自身を死地に追いやるには遅すぎたらしい。
それでも、城壁の上から降り注ぐ矢が無くなったことに気付いた牙の王が、これを最後の好機と見たのか……それとも最期の最期で冷静さを取り戻したのか。
牙の王は残り四匹となった牙獣を駆り、真正面からは咽喉を、右からは愛刀を持つ腕を、左から左足首を、そして最後の一匹は真正面の一匹に僅か一拍ほど遅れる形で大腿部の血管辺りを食い千切る……上下左右の四連続攻撃を仕掛けるべく、一気に己へと襲い掛かってくる。
四匹全ての殺意を載せた視線が皮膚を通して感じられ、牙獣が何処を狙おうとしているのかすら分かるほどの集中の中、己は愛刀を大上段に構え、静かに息を吸い込む。
「我が名は、神兵ジョン=ドゥ。
その勝負、受けて立つっ!」
己はそう堂々と口上を述べると、四匹の牙獣の特攻を真正面から叩き落すと決めた。
(……せめてもの、詫びだ)
実のところ、この牙の王最期の攻撃は一歩退くだけで各個撃破が可能な……本当に破れかぶれの特攻でしかない。
しかも、己を食い殺したところで城壁上の弓兵たちが容赦なく射殺すのが明白であり……一時期はこの草原の盾に王手をかけていた筈の牙の王は、今や完全に詰んでいる。
そこまで追い込んだのが己の剣技ではなく、己が天賜なんて手品を使って迂闊に創り上げた『矢』の所為なのだ。
だからこそ……此処は退けない。
せめて、過去の憎悪と怨念の塊と化した一人の戦士の……その最期の一太刀を真正面から受けて見せねば、戦いに身を置く者として胸を張った勝利は得られない。
その一心で己は大上段に構えた愛刀を……ただ渾身の力を込めて振り下す。
「ぉ、ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
策はない。
ただ真正面から……牙獣の命脈を断ち切るほどの一撃を一呼吸の間で三度放ち、直後の一匹も同じように叩き斬る。
これは、命全てを復讐に使った馬鹿と、人生全てを剣に費やした自負のある馬鹿との、ただの意地の張り合いでしかない。
己は右から飛びかかってきた一匹を切っ先三寸ギリギリの距離でその頭蓋を断ち切ると、同時に愛刀の切っ先を返し、真正面の一匹の頭蓋目掛け逆さ袈裟の軌道で振り上げることで、その刀身半ば辺りで叩き斬り……
そこで、誤算が生じる。
いつもより深い位置で斬り込んだ所為で「村柾」の刀身が、牙獣の頭蓋へと食い込んでしまったのだ。
本来ならば、逆さ袈裟で斬り裂いた直後に切っ先を返し、体重を込めたかなり強引な袈裟斬りによって三匹目を屠る予定だったのだが……これでは切っ先を返すどころか、刀を振り上げる前に牙獣に喰らいつかれて屍を晒す羽目に陥ってしまうだろう。
「ぐ、がぁああああああああっ!」
とは言え、この刹那の間では、考える余裕もなければ動きを変えることすら出来やしない。
己は全身の力を総動員することで……腰を落とすことで逆さ袈裟の軌道を無理矢理横薙ぎへと変えると同時に、牙獣に喰い込んだままの愛刀を強引に振り切り、そのまま左から迫ってきている一匹へと食い込んだ牙獣の死骸ごと愛刀を叩き付ける。
もはや剣術ですらない、正中線もバランスも崩したままの力ずくの斬撃は、真ん中から襲い掛かってきた牙獣の頭蓋に食い込んだまま左から来ていた一匹の側頭部へと襲い掛かり、その二匹ともをただの膂力だけで断ち切ることに成功する。
……だけど。
「しまっ……」
そこで全てを出し切った己は、最後の一匹に対処する術を持ち合わせていない。
時間の感覚が引き伸ばされる「達人の領域」の中、己はただ大腿部へと喰らいつこうとするその一匹の牙が近づいてくるのを眺め……
「ったぁああああああああああっ!」
……考えることすら間に合わぬ瞬間の中、己の身体はせめてもの抵抗と考えたのか、反射的にその開いた牙獣の歯目掛けて膝を叩き込んでいた。
その悪足掻きは功を奏したらしく……牙獣の特攻は膝蹴りによって勢いを失い、己の眼前でただ宙を浮くばかりとなり。
己はバランスを完全に崩したその体制のまま、左へと振り抜いていた愛刀の勢いに任せ、上体を強引に捻ることで身体をその場にて独楽のように一回転させるという、後先どころか身体の負荷すら無視した一発の斬撃をどうにか繰り出し……その牙獣の首を六割ほど断ち斬ったのだった。
2020/07/01 18:13投稿時
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