02-18
「……ははっ」
三体もの巨大な紫色をした百足が襲い掛かってきたのを目の当たりにした己の口から出たのは、そんな如何にも楽しげな笑い声だった。
尤も、そうして笑いながらも己の身体は、瞬時に相手の軌道を予測して自分の動きを計算し、右斜め前へと身体を倒しながら大きく踏み込むことで三つの顎の軌道から身体を逸らすと……
その直後、愛刀「村柾」を頭上にて真横に振るうことで、一匹の大百足の胴を十寸……三十センチ強ほど切り裂いたのだが。
「しまっ……」
だけど、その斬撃で『指』と呼ばれた大百足は先ほどの一匹のように即死することはなく……恐らく斬り込む深さが致命傷には少しばかり足りなかったのだろう。
そして、死に切れなかった百足は暴れ始め……その暴れ回る百足の百を超えるだろう脚が、狙いもなくただ苦痛から逃れるという本能のままに、直下にいた己へと一斉に振るわれた。
それらは、もし己に超越的な反射神経や達人級の軌道予測があったとしても全てを躱し切れない、それほどの高密度で一斉に襲い掛かってくる。
「ぐっ……がっ、はっ」
結局、己は脚を避けることなど出来ずに思いっきり胸に強打を受け、闘技場の壁まで数メートルを吹っ飛ばされることとなる。
凄まじい質量の百足本体から生えている脚で蹴飛ばされたその感触は、巨大な電車の上に乗っている人間が振るった鉄パイプで殴られるようなもので……
あまりの衝撃に息が出来ず、視界が歪み、指の先から脳天に至るまで蟻がはい回るような痺れを感じられ……正直に言って、右手が愛刀を手放さなかっただけでも不思議なほどだった。
だけど……その激痛に呻いている暇など、ありはしない。
「……く、そっ」
「はははっ、ようやく止まったのぉっ!
これで……トドメじゃっ!」
一撃を喰らって動きが鈍ったのを好機と感じたのだろう、四肢のない炎の王がそう嗤ったかと思うと、先ほど己が斬った所為でのたうち回る一匹以外の……残された二匹の『指』と称される大百足が己の方へと襲い掛かってきた。
「この、程度でっ!」
四肢は思うように動かない。
身体中は痺れて感覚が無い。
視界は衝撃に揺れ滲み、まともに敵を捉えることすら叶わない。
幸か不幸か、そんな有様の中でも己の精神だけは凄まじく張りつめているらしく、紫色の百足らしきモノが迫ってくるそのコンマ数秒の間は、まるでスローモーションのように凄まじくゆっくりに見えた。
(動、けぇええええええっ!)
そのゆっくりした景色の中、滲んだ視界でも分かるほど巨大な……己の身体を両断するほど大きな百足の顎が真正面から迫ってくるのだ。
しかも、さっきのダメージの所為か、自分の身体は思うように動かない。
(……ちぃいいい。
動かない、ならっ!)
結局、避けることを諦めた己は、痺れて感覚のない腕を強引に動かして愛刀「村柾」を身体の前に、地面と水平にして突き出す。
突きというには弱々しい、ただ愛刀を支えているだけというその動作は、巨大な百足の質量の前にはほとんど無意味で……
尤も、真正面から襲い掛かってきた百足は、当然のようにその突きを喰らい……いや、その刃へと突き刺さりに突っ込んでくる。
要するに己は突きを放ったというよりは、突っ込んでくる百足の進路上に鋭い尖端のつっかえ棒を置いたのだ。
切っ先に大百足の頭が突っ込んで行くのが目に入ったその次の瞬間に、己の身体には凄まじい衝撃が走り……
「はははっ、やった。
汚らわしい神の糞便を啜る獣が潰れたぞっ!」
百足に押し潰された己の身体を見て、四肢のない少女はそう笑う。
だが……生憎と己は死んではいない。
(……流石に、間一髪、だった)
あの瞬間……愛刀と百足の頭部が衝突したその瞬間に、己は身体の力を「抜き」、直下に崩れ落ちたのだ。
壁によって固定された愛刀へと頭から突っ込んだ大百足は、自身の勢いと自重によって頭部に深々と刃が突き刺さって息絶え、己は直下に逃れることで即死を免れるという、日本刀を用いた技量も何もない、運に任せたただの賭け……どころかヤケクソに近い無茶だったのだが。
もしもコンマ一秒でも己がしゃがむのが早ければ、それに反応して軌道を変えた大百足によってこの身体は挽き肉と化していただろうし、コンマ一秒でも己がしゃがむのが遅ければ、己の顔面は大百足の重量に押し潰されていたに違いない。
そうなれば、運が良くて脳挫傷で即死……運が悪ければ脛骨損傷で生きたまま身体の自由を失い、炎の王の眷属によって生きたまま貪り食われていただろう。
(そう考えると……本当に間一髪だったんだな)
それでも、己はその分の悪い賭けに勝ち、生き残ることに成功した。
尤も、殺した大百足の重量に潰されかけていて……戦うどころか動くことも儘ならない身ではあるが。
「……ん?
あんな有様でありながら、我が『指』を道連れにしたのか。
流石……と言うべきなのだろうな」
炎の王がそう言っているのは、己の身体の上で頭部に愛刀を突き刺されて死んでいるこの紫色の百足のことだろう。
「さて、神の糞便を啜る獣……いや、死んだ以上は神兵と呼ぶべきか。
最期まで暴れ尽くした男の顔を、しっかりと拝ませて貰うとするか」
そうして数秒後には、己の上の百足がゆっくりと持ち上がり始め……どうやら好奇心に負けた炎の王が、己を押し潰していた大百足を動かしてくれているのだろう。
その行為が……猫を殺すことになるとも知らずに。
(さぁ、反撃を始めるとするか……)
幸いにして一撃を喰い麻痺していた身体は、少し休んでいる間に回復している上に、相手は全く己の生存に気付いていない。
尤も、そうして麻痺から回復した所為か、息を吸うだけで胸骨は凄まじい激痛を放ち、吹っ飛ばされた時に打ったのだろう、背中と肘もかなりの痛みが走る。
それよりも全身に圧し掛かってくる、疲労による気怠さがキツいが……それもある意味、いつものことだ。
「ぅ、うぉおおおおおおおおおおっ!」
己は百足が持ち上がったその瞬間に、そんな雄叫びを放つことによって疲労や痛みを脳の片隅へと追いやると共に、真上へと……持ち上げられた百足の死体の頭部へと跳んで手を伸ばす。
「なっ、貴様っ?」
死んだはずの己が生きていたことに驚き、四肢のない少女が百足共に指示を出せないその隙に……己は、百足の顔面に突き刺さったままの愛刀の柄を握り、ただ力任せに引き抜いていた。
「ちっ、流石に曲がってるかっ」
百足の血……もとい体液によって滑る愛刀の柄を握りしめながら、その刀身に視線を落とした己は、思わずそう吐き捨てていた。
先ほど大百足を殺した無謀な「賭け」は本当に技術も何もなく、ただ相手の凄まじい質量を「愛刀によって受け止めた」だけのもので……緊急避難に近かったのだ。
当然のように無茶な力のかかった愛刀は曲がり……以前の切れ味は期待出来ないだろう。
「き、貴様ぁああああああっ!」
「もう、喰らうかよっ!」
死んだと思い込んでいた己が生きていたばかりか、元気に跳ね回って再び武器を手にしたことに慌てたのだろう。
炎の王はすぐさま己の救助活動に従事していた『指』の大百足をけしかけて来るものの……それを予期していた己には、そんな単純な噛みつきなどが通じる訳もない。
横に半歩ズレることでその牙の進路から身を躱すと、手にした愛刀を大上段から渾身の力を込めて振るう。
(ちっ、軌道が指二つも狂ってやがるっ!)
多少曲がりはしたものの、まだ愛刀の切れ味は健在で……己の大上段からの一撃は、大百足の紫色の甲殻を叩き斬り、その巨大な胴体の三分の一までもを切り裂いていた。
何故己がそんな力ずくの斬撃を叩き込んだかと言うと、刀身が曲がった所為で今までの必勝パターンである、甲殻と甲殻の隙間を縫うような精密な斬撃はもう叶わなくなっているから、である。
先ほどまでの凄まじい集中力は一撃を喰らった後も健在で、相手の動きは幾らでも予測出来るのだが……生憎と未熟な己の腕では、この歪んでしまった愛刀を用いて今まで通りの斬撃を放つのは不可能だったのだ。
「っとと」
切り裂かれた激痛からか、大百足が暴れ始めることを予期していた己は、背後へと跳ぶことでその脚と胴体が振るわれる暴風圏から身を躱す。
そうして暴れ回る所為か、大百足は傷口から大量の体液を噴き出し続け……それからわずか数十秒ほど経つ辺りで動きを止めて地に伏すこととなった。
その様子を見る限り……どうやら愛刀が曲がった程度では、すぐさま己の戦力に影響が出ることはないようだった。
「じゃが、そろそろ限界も近いじゃろう?
その身体で、この数を相手に出来るかな?」
だが、その一刀で紫百足を屠ったことが逆に、炎の王を冷静にさせてしまったらしい。
己のダメージを計算したようで、先ほどまでのように動きが遅い大物ではなく……赤い百足共数十匹によって己の周囲を包囲しやがったのだ。
これだけの百足を相手にするならば、この曲がった愛刀ではキツい。
十匹二十匹程度ならばこの刀でも屠ることは出来るだろうが、甲殻を切り裂き続けることによって刀身に加わるダメージが無視できなくなり……その内に己が力尽きることになるのが目に見えている。
(……【金属操作】を使えば……)
一瞬だけ浮かび上がってきた己の中の弱い心が、そんな誘いを耳元で囁く。
確かにその天賜を使えば、愛刀の曲がりを直すばかりか、切れ味を研いだ直後にまで回復し、延々と戦い続けることが出来るだろう。
それどころか、【再生】を使えば、先ほどから痛み続ける肋骨や肘……全身の倦怠感ですらも癒してしまうかもしれない。
【加熱】や【冷却】【電操作】などは当然のように、【剛力】や【加速】ですら使いようによっては百足如き、楽勝で屠れるに違いない。
それは、確かに甘い……疲れが全身に圧し掛かり、少し動くだけでも激痛が走る今の身体には、凄まじく甘美な誘惑だった。
……だけど。
(……畜生。
あの幾何学模様、絶対に邪神の類だな)
その事実に気付いたからこそ、己はそう吐き捨てていた。
確かに天賜は便利だろう。
曲がった刀を元に戻し、刃毀れを研ぎ直し、体力を回復させ……戦いの天秤を一気に傾けるほどに。
だけど、それは己が最も嫌悪する……剣と剣との勝負では最初からなかったにしろ、剣術で戦っている最中に懐に隠し持っていた拳銃で相手を撃ち殺すような、剣以外に頼った最悪最低の誇れない勝ち方だ。
己がソレをすれば……ここで天賜を頼れば、この絶体絶命の状況を脱することが出来るだろう。
だが、それは十数年もの間、延々と続けてきた剣の道を……剣を手に戦うという剣士としての誇りを、己自身の手で断ち切ることを意味する。
「畜生、この程度の危機なんざ……」
己はそう内心で呟くものの……その声に力がないことは自分自身が一番よく知っていた。
昔の……身元不明の死体を名乗る前の己ならば、神の誘いによってこの国に来る前の己ならば、そんな誘惑などあっさりと蹴飛ばした挙句、愛刀一本を手に喜々として死地へと飛び込んで行ったことだろう。
……だけど、今の己は知っている。
臓腑を弾丸によって抉られるあの激痛を、肺腑が潰れ自身の血液で溺れて死ぬあの苦しさを。
百足の牙の毒がもたらす、身体が燃え上がる幻視を見せられるほどのあの激痛を。
そうして一度「死」を意識してしまった所為か……己の身体はこんな土壇場で、今さらながら死の恐怖に震え始める。
「……くそ、ったれ」
その恐怖の所為で死地に飛び込むことも出来ず、剣を振るう者としての矜持の所為で神の奇跡にすがることも選べない己は……ただ小さく、そう吐き捨てることしか出来なかったのだった。
2017/09/29 21:54投稿時
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