02-06
「~~~~っ?」
……目覚めは最悪だった。
近くで聞こえてきた妙な音に目を開いたかと思うと、息がかかるほどの眼前に上下に鋭い牙を持った顎が迫っていたのだから。
己が目覚めてまだ回らぬ頭のままに、抱いていた愛刀「村柾」を抜き放ちその顎を両断してのけたのは、いつもの鍛練のお蔭と言うよりは……ただ身体が動いてくれたお陰だろう。
「……はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ」
技と呼ぶには情けない、ただ勢い任せの居合で敵を断じた己は、恐怖で荒くなった息を必死に鎮めながら、地べたに落ちた襲い掛かってきたその生き物を見つめる。
ソレは、巨大な顎をしたワニのような哺乳類で……何を言っているか自分でも分からないが、その鱗があり、巨大な顎を持り、目が四つもある六本脚の……だけど、要所要所は爬虫類ではなく哺乳類をしているらしきソレが、何らかの生き物であることには間違いない。
ソレが何かは分からないので置いておくが、取りあえず日本では見かけなかった野生生物の類なのだろう。
暗闇の中でもソレが見えたのは、いつの間にか空に浮かんでいた、土星のような輪っかのある巨大な薄紅色の月と……そして、さっきまで寝ていたために眼が闇に慣れていたお陰だと思われる。
と、そうして闇の中で目を凝らしたお陰で、己はようやくその生き物が何故襲い掛かってきたかに気付いていた。
(焚き火が、消えている?
いつの間にか熟睡してた、のか)
消えてしまった火をつけようと身体を動かした時になってようやく、己は自分の「真の失敗」を悟っていた。
「……重っ。
疲労が、抜け切ってないな、畜生」
腕を少し動かしたその重さが教えてくれたのだが……どうやら己は、平和な日本で生きていた頃の癖で、「体力の限りを鍛練に費やしてしまう」という失敗を犯したのだ。
この国は安全な日本とは違い、夜は野生生物が徘徊し、盗賊が跋扈し、六王によって国が脅かさ、水も食料もすぐには手に入らない……危険地帯そのものなのだ。
常に戦えるだけの体力を残しつつ、寝ていながらにして敵の接近を察知しなければ生き残れないに違いない。
「……高い、授業料だ、畜生」
己はそう吐き捨てると……立ち上がり血に濡れた愛刀を構える。
大きな月が放つ光を反射しているのか、己の周囲には幾つもの瞳らしきものが輝いていた。
要するに己は、さっきの変な生き物に囲まれているらしい。
そんな己を警戒すら不要の、ただの獲物だと思ったのか……背後にいた一匹が己目がけて一気に襲い掛かってくる。
「この、畜生がっ!」
とは言え、足音を消す術も持たず、唸り声をあげて飛びかかってくるただの獣に、己が不覚を取る筈もない。
寝起きの上に鍛練の疲労で力の入らない右腕で、それでも愛刀を背後へと滑らせ……背後から飛びかかってきた獣の首を、すらっと半分ほど断ち切ることに成功する。
(……ぁ?)
その思ってもなかった切れ味に、己は内心で首を傾げる羽目になる。
何しろ、己の右腕は寝起きと疲労の所為で、未だに力を半分ほどしか込められないにも関わらず……己の振るった愛刀は鱗の生えた大型の肉食獣の首を半ばまで断ち切ったのだ。
それは断ち切ったというよりは、相手の動く先に刃を置いたお蔭で、獣が勝手に斬られに来たというのが正しいのだが。
(……こういう、戦い方もある、のか)
二匹目、三匹目と特に力むこともなくその生き物の命を断ち切った己は、頬へと飛んできた返り血を拭いながら、小さくそんな呟きを零していた。
それと同時に思い出すのは、師に連れられて師の師……八十近くの、立つだけでも精一杯という様相の爺さんと対峙した時のことだった。
あの時は力のない木刀を行く先々に置かれ、鬱陶しいだけで別に強くもない爺だと感じたものだが……
(あの頃の己は、本当に餓鬼だったな)
アレが真剣ならば、たとえ力の入らない斬撃だったとしても、自分の勢いを利用されたその一刀によって急所を断たれ、臓物をぶちまけるか血を吹き出すかして、己はあっさりあの世へと送られていたのだろう。
力を用いない剣術という、ある意味では一つの極みと言えるだろう技を思い出しつつも……己の愛刀は獣の群れを次から次へと叩き斬っていく。
横薙ぎで眼球から頭蓋を、唐竹で首を、逆風で脚をそれぞれ断ち切るその動きには、無駄な力など一切入れず、ただ相手の動く軌道上に刃を置き、衝突の瞬間に引き斬るだけなのだが……愛刀「村柾」の切れ味をもってすれば、それで十分だったらしい。
十分もしない内に、その獣はどこかへと逃げ去り……残ったのは大量の死体と、血と臓物の臭いだけという有様になっていた。
「……これが、夜明けまで続くのか」
己は消えてしまった焚き火に【加熱】で再び火を点すと……完全に眠気が飛んでしまったというのに妙な疲労感の残る身体を思いながら、溜息を一つ吐き出していた。
どうやら己は、常在戦場の心持にはまだまだ遠いらしい、なんてことを考えつつ……
結局、己が夜明けを迎えたのは、もう二度ほど寝落ちし、虫刺されとヘビの襲撃に飛び起きた後のことだった。
「……最悪だ」
翌朝。
太陽が姿を現した段階で、己は立ち上がるとさっさと先を急ぐこととした。
実際の話、もう二度と野営なんざやりたくはないと……心底思ってしまうほどの疲労感と眠気と痒みである。
(たかが羽虫がこれほどの脅威とは……)
今までも蚊や蜂に刺されたことはあるが……これほど大量に食われたのは生まれて初めての経験である。
顔から指先に至るまでが虫の被害を受けていて、歩く度に痒みが襲う有様なのだ。
幸いにして疲労感と眠気が、痒みを遠ざけてくれている感があるのだが……そっちはそっちで歩くことが嫌になるほど身体に重く圧し掛かってきているのだから性質が悪い。
「……昔の剣豪とか、偉大なんだな」
今の己は、宮本武蔵とか何とかって空手家が山籠もりとかした逸話を心底信じられなくなりそうだった。
何しろ、一晩でこの有様である。
コレが何日も続くなると、食料調達やら水の確保、衣類の洗濯に始まって……修行に充てられる時間など、そう長くはないだろうに。
そうして己が、半ば寝ぼけたままに街道を歩き続けていた、そんな時だった。
「おいおい、兄さん。
どうしたんのじゃ、その有様は?」
背後から聞こえてきた牛車の音に振り返り、道を譲ってみれば……牛車の御者だった爺さんは、珍しくも己に声をかけてきたのだ。
あの霊廟で命を落とす前の身綺麗な己なら兎も角……今の己は返り血まみれで道着はボロボロ、しかも帯刀しているのだ。
声をかけてくる相手がいるとは欠片も思わなかった己は、一瞬だけ反応が鈍るものの、それでも億劫な態度を見せずに口を開く。
「……いや、野営してたら獣に襲われて、な」
別に己は嘘は言っていない。
ただこの返り血には「人間のものも混ざっている」という事実を伏せただけの話である。
幸いにして、御者の爺さんは己の答えを疑いもしなかったらしい。
「もしかすると、ソレは巨大な顎か。
確かに連中は血の臭いに寄ってくるが……火を嫌うので火さえ絶やさねば大した脅威ではない筈なんじゃ」
己の答えを聞いた爺さんは、顎髭をしゃくりながらもそんな呟きを零す。
それは……己が数時間前に欲しかった情報だった。
恐らく、それを知っているだけで、明日からはかなり楽な旅になると断言できるほどには有益な情報で。
街に暮らすヌグァ屋の店主や神殿で暮らす爺さんからは得られなかっただろう、貴重な情報でもある。
「……寝てたら、焚き火が消えていて、な」
これは己の勘でしかないが、その巨大な顎とやらの情報を知らなかったと言うと、間違いなく変な目で見られるだろう。
一瞬でそう考えた己は、何となく言い訳じみたそんな返事を返していた。
「……兄ちゃん、そんなんで旅なんてして大丈夫かの?
大人しく街で暮らした方が良いと思うんじゃが……」
尤も、それはそれで酷く危うい、子供を見る目を向けられる羽目になったのだが。
「なぁ、兄ちゃん、その汚れ具合から察するに、あの巨大な顎を数匹は撃退したのじゃろう?
それなりに腕が立つと見込んで頼むんじゃがの?」
そして、この返り血塗れの姿の所為だろうか。
爺さんは己を全身をくまなく眺めたかと思うと、何処となく媚びるような声でそう問いかけてきた。
天才と呼ばれる連中よりは劣るものの、それなりに腕が立つとは思っている己は、視線で爺さんに続きを促す。
「儂らは東の砦まで旅しているのじゃが……この辺りは盗賊も多いと聞く。
兄ちゃん、用心棒として雇われる気はないかの?
報酬は、コイツに乗っけてやるのと、飯くらいしかないが……」
爺さんの言葉は渡りに船というヤツだった。
旅慣れず、疲労と眠気に追いやられている己は牛車という移動手段は非常に有難いものだったし、この手の護衛もつけずに荷を運ぶ、少人数の旅人なんて盗賊どもからすればカモ同前に見えるだろう。
そして、盗賊が襲い掛かって来てくれるこんな機会を……折角の対人戦の機会を逃すなんて選択肢、己にとってはあり得ない。
……盗賊如きじゃ切った張ったを楽しめないかもしれないが、人間で試したいことはまだ幾らでもある。
「ああ、その程度なら喜んで受けよう」
一瞬で考えをまとめた己は、爺さんの言葉に頷いてみせる。
「そうか、なら頼んだぞ兄ちゃん。
儂は、ベンデム=ハリスナラというものじゃ」
「……ジョン=ドゥだ。
道中、よろしく頼む」
爺さんと己は静かにそう名乗りを交わすと、爺さんの指示に従い、牛車の背後へと回りこんでその荷車へと乗り込む。
(……ぁ?)
さっきから爺さんとしか会話を交わさなかったので、野菜か服でも積んでいるだろうと勝手に思っていたその荷台の上には、大量の荷物と共に三人もの女性が座っていた。
薄い褐色の肌をした彼女たちは、恐らくは二十代前半から後半くらいだろう。
街の中で歩いていたおばさん連中と比べると、妙に綺麗な衣装を着込み、濃い化粧をしているのが印象的だったが……まぁ、別に鍛えこんでいるとか暗殺のための隠し武器を持っているような様子もない。
「やぁ、ジョン=ドゥさんとやら。
道中はよろしく。
あたしはマイリメアってんだ」
「私はリノリ=メイマノ」
「私はアディナ=ハルハリノン。
よろしくね、用心棒さん」
「……ああ。
よろしく頼む」
何となく三人の女性と挨拶を交わした己は、彼女たちの窺うような視線を無視すると、全身の疲労感に従って目を閉じる。
そうして移動手段を手に入れた己は……浅く眠ったままで東の砦とやらまで運ばれることになったのだった。
2017/09/14 20:24更新時
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