05-43
船旅は順調だった。
元々、霧の王が巣食っていると言われる海賊の本拠地は環礁内にあるとは言え、環礁に近づくまでの航路の上には何もない、ただの内湾でしかない。
と言うか、先日の襲撃を退けたばかりで霧も薄く、何とか太陽の方角が分かるこの状況で問題など起こる筈もなく……既に出航してから一昼夜が過ぎ去っている。
「これで、七っと!
……厚みのない襲撃だな」
そんな船旅で退屈する中、己はネズミ返しの木柵を越えて来た骸骨を鞘に納めたままの愛刀で叩き壊しながら、そう呟く。
実際問題、霧の王は夜討ち朝駆けと己たちを散発的に襲撃してくるばかりで、特に何か大がかりな罠や襲撃を仕掛けてくる気配すらない。
ただ反射的に近くに駐留している兵を動かしているだけ、とも言える行動しかしていないのだ。
「……いや、そう言うが、ジョン。
普通なら今の襲撃でも同士討ちの挙句に死んでいるからな。
それ以前に昨夜の夜襲で殺されるのがオチだ」
骸骨兵の頭蓋を叩き壊した直後に発した己のそんな呟きを咎めたのは、黒真珠の長にしてこの霧を切り裂く剣号の船長たるゲッスルだった。
この義足の男は骸骨兵と戦うために大きな櫂を握りしめ、構えていたものの……この程度の襲撃ではコイツの出番などある筈もない。
「大体、あれだけ濃い霧の中で……闇の中でもだが。
どうやって敵兵の位置を察してるんだ?」
「……勘、かな」
ゲッスルのそんな疑問に、己はようやく眼前の船長と自分との間の温度差を理解する。
……そう。
霧の王の尖兵共は常に深い霧と共に襲い掛かってきている。
通常の兵士たちならば、手の先すら見えないほどの濃い霧の中では真っ当に骸骨兵と戦うどころか仲間と連携することすら出来ず、同士討ちの末に全滅してしまうのだろう。
夜襲なんてそれに輪をかけて周囲が見えないのだから、更に敵の脅威は増すこととなる。
しかしながら、己は前回の牙の王との戦いの最中に【心眼擬き】というべき、眼球に頼らずに敵の位置と殺気を察知する手法を身に付けてしまっている。
勿論、「擬き」であって、達人のように完全に殺気を放つ敵の位置と攻撃のタイミングを悟れるモノではなく……六王たちの神に反逆する連中が放つ、特殊な殺意と気配を悟れるだけの代物ではあるが、それでもこの霧の中、鈍い骸骨兵たちの位置を把握し、攻撃を避ける程度の役割は十分に果たしてくれるのだ。
である以上、敵襲に気付く度に己は黒真珠の連中の殆どを船室へと放り込み、舵取であるゲッスルと己しか甲板の上にいない状況で戦っているため、同士討ちの余地すらもなく……己は一方的に骸骨兵たちを叩き壊せる寸法だった。
もし、牙の王を討つ前にこの霧の王と相対することになった場合、骸骨兵たちの襲撃に為す術もなく討たれたか、伸ばした腕の先すら見えない霧の中で、必死に同士討ちを危惧しながら霧の王の尖兵と戦い続ける羽目に陥っていただろう。
そういう意味では、霧の王を討つように言われて旅立ったあの日……単なる気まぐれのお節介だったとは言え、あのヌグァ屋の親父の代わりに草原の盾へと徴兵されたこと自体が、神の思し召しだったと言えなくもない。
「ははっ、これぞ神のご加護ってか」
取りあえず、信心の欠片すらないものの、神の《アー》持ちし剣と呼ばれてる身分である所為か、何となくそう呟いてみる。
尤も、そんな適当な己の呟きですら海の男たちには神の奇跡にも見えるらしく……船室から出てきた黒真珠の連中は甲板に蹲り、全員揃って神への祈りを捧げ始める始末だったが。
「おい、お前たち……祈るのはそこまでだ。
見えて来たぞ」
そんな骨の残骸の中でののんびりとした一幕も、義足の船長が発したその一言であっさりと終わりを迎えていた。
船首の遥か向こう側……水平線にまるで浮かんでいるように、その平べったい岩の塊が辛うじて目に入る。
「……蜃気楼、か」
まるで海面ギリギリを空に浮かぶような岩の塊は、恐らく海岸線のもう少しだけ遠くになって……簡単に計算してもまだ十キロ以上は遠くにあるという計算になる。
「このまま真っ直ぐ突っ込むぞ、ジョン。
準備は大丈夫か?」
敵の本拠地が見えてきたことで気分が盛り上がったのだろう。
義足を甲板に叩き付けながら、戦闘用の櫂を握りしめたゲッスルがそう呟き……黒真珠の連中も弩や投石機の準備を開始し始める。
実際問題、湾口近くで櫂を漕ぐ必要がある状況は兎も角、こうして沖合まで出れば帆を動かすだけで船は勝手に動くのだから人手はそう必要ないという事情は分かる。
「弩、弾共に用意できましたっ!」
「弓と矢も揃ってますっ!
油壷も篝火も準備出来てますっ!」
「なら、次は盾と斧だっ!
良いか、我らの本懐を遂げる時だっ!
手元の武器を三度は確かめろっ!」
分かるのだが……まだそこまで慌てる段階じゃないだろうと突っ込みを入れたくなるのは己だけだろうか?
「まだしばらく先だろう?
慌てるだけ無駄だろうに……」
大体、この手の帆船が動く速度は人が歩く速度に毛が生えた程度でしかない。
つまり、適当に計算しただけでも、水平線の向こう側にある霧の王の本拠地まではまだ二時間以上かかる筈で……そんなに意気込んだところで疲れるだけでしかないのだが。
まぁ、延々と煮え湯を飲まされ続けた仇が眼前にいるのだから、気負うなという方が難しいのだろうが。
「……さて、と。
軽く飯を食って、もう一睡するか」
二時間もあれば、水分補給と食事、そして身体を休めるくらいのことは出来るだろう。
己は周囲の騒々しさに肩を軽く竦めると……そう小さく呟いて食料の入った樽の蓋を開き、中から固焼きのヌグァと干し魚を取り出すこととした。
カロリーと塩分と水分。
霧の王がどれほどの強敵かは分からないものの……今まで討ってきた六王と遜色ない戦闘力の持ち主ならば、己の死力を出し切ってなお勝てるかどうか分からないほどの、地獄のような激戦になるに違いない。
それこそ、水の一滴、塩の一粒が生死を分けるほどの、ぎりぎりの死闘になるのだ。
己はその戦闘を思い描いて笑みを浮かべると……一欠けらの体力をも温存するため、甲板に座り込んで目を閉じ、これから始まる戦闘に備えるのだった。
2021/04/07 20:31 確認時
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