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10/17

◆お酒の悲劇

ご要望があったため、活動報告に隠しておいたアルベルトSSを表に再録しておきます!

今年は忙しくて、隠しSS投稿ができなかったのですが、これで勘弁してくださいー!申し訳ない!


時系列としては期間限定還俗3回目、「レオ、1日限り還俗する」と同じ日の夜。レーナ視点です。

 孤児院の一室でのことである。


「ったく、これだから金髪キラキラ皇子なんて、質が悪いのよ」


 金の精霊アルタが映してくれる光景を前に、そばかす顔の少年――に収まったレーナは、かれこれ三十分以上も毒づき続けていた。


「なんで脈なしの女相手に、そこまで未練を持てるわけ? 根っこでは『きっと彼女も僕を好きだろう』って思い込んでるんでしょ? きっも! うっざ! 見てらんない!」


 金のたらいに映るのは、盛大な夜会の光景。

 より厳密に言えば、ハーケンベルグ侯爵家で開かれる夜会の様子だ。


 その中で、映像は常に一人の少女を追いかけるように移動している。

 黒髪と紫水晶の瞳を持ち合わせたその美少女こそ、レオノーラ・フォン・ハーケンベルグ――の体に収まったレオであった。


 今年で三回目となる「還俗」に合わせ、レーナと体を入れ替わったレオを見守るため、アルタがこうして、屋敷での様子を中継してくれているのである。


「そんなに毒づくなら、見なければいい。せっかく好意で映してくれている金の精霊にも失礼だと思わないのか」


 と、横で一緒に中継を眺めていたブルーノが窘めてくる。

 彼は精霊と縁深い一族の出であるだけに、精霊への不敬を見逃せないのだろう。


 レーナはばつが悪そうに肩を竦めてから、深い溜息を落とした。


「べつに、金の精霊を責めてるわけじゃないわよ。むしろ感謝してる。こうやって監視しておかないと、あの馬鹿はなにをしでかすかわからないもの」


 呟く彼女が疲れきっているのは、ここまでで、レオの言動に相当気力を削られたからだ。


「レオノーラ」が還俗してから、まだ一日。


 だが、すでにこの時点でオスカー・ベルンシュタインをときめかせ、町に出てさらわれ、そしてかつての敵の孫であるフエル・アドを篭絡ろうらくしている。

 一言放つたびに祖父母は感動で泣き崩れ、一度微笑むたびに友人たちは笑み崩れ。

 レオがなにかをするたびに、周囲の未練が加速度的に高まっている現状である。


 今回の還俗期間は三日と定められているが、果たして無事に返してもらえるかどうか。

 そんな嫌な予感を抱きつつ、レーナは夕食会の様子を監視していたのであった。


「ただね、画像にちらちら映り込む、アルベルト皇子が不快……っていうか、不穏な感じがするだけで」


 レーナは腕を組んで、盥越しにある人物を睨み付ける。


 アルベルト・フォン・ヴァイツゼッカー。

 このヴァイツ帝国の皇太子であり、強大な魔力と明晰な頭脳、そしてずば抜けた美貌を誇る青年である。


 今年で二十歳となった彼は、三年前以上の高貴な雰囲気をまとい、周囲を魅了している。

 これはあくまでハーケンベルグ侯爵家の夜会であり、彼は皇太子とはいえゲストに過ぎないというのに、すっかり場の主役になっている印象であった。


 いいや、正確を期せば、主役は彼一人ではない。

 この夜会において、全員の視線を常に集め続けるのは、もちろんレオノーラ・フォン・ハーケンベルグである。

 三年の時をかけてますます磨き上げられた美貌は、もはや精霊の域に差し掛かっていたし、そもそもこの会自体が、彼女との交流を目的にしたものなのだから、誰もが注目しないはずはなかった。


 そして、全員が熱心に「レオノーラ」の動向を見守る中、アルベルトが一際熱を乗せて彼女を見つめているのが、レーナは大変気に入らないのである。


「なーに、じっとり見つめてんのよ。『レオノーラ』はもう出家してるのよ? 結ばれるはずがない存在なのよ? 期待してんじゃないわよ。っていうか、これだけ無視されておきながら、いまだに相手を恋えるなんて気が知れないわ」


 レーナから見ても、この夜会で、レオはなかなか無難に振舞っている。


 還俗に際し、レーナが「とにかく皇子とは極っ力接触するな、笑いかけるな、話すな!」と口を酸っぱくしていたのを気にしたのだろう。

 アルベルトには一切話しかけず、笑いかけもせず、ひたすら飲み食いに専念している。

 もちろんそれは、日中、攫われたところを彼に確保されて、怯えているからかもしれないし、単純に食い意地が張っているからかもしれないが。


 だというのに、アルベルトときたら、少女がすいと視線を避けても、あからさまに距離を取っても、切なげな苦笑を浮かべるばかりなのだ。

 「嫌われている」と微塵みじんも思っていない傲慢さに、腹が立つ。

 レーナは過去の経験から、自信過剰な金髪美男というのが大嫌いだった。


「『レオノーラ』は一っ言も、『お慕いしております』とか言ってないじゃないの。切なげな視線すら送ってないじゃないの。なのになぜ、『運命に切り裂かれた悲劇の恋人』みたいな雰囲気出してんの? もしもーし、自意識ですかあ?」


 苛立ちのあまり、口調がつい煽るようなそれになる。

 だがそのとき、傍らのブルーノがふと呟いた。


「俺は、どちらかと言えばアルベルト皇子に、同情するがな」

「はあ?」


 信じられない、とばかり眉を跳ね上げたレーナに、ブルーノは「ん」と顎で盥を指し示す。


「見てみろ」


 そこに映っていたのは、「レオノーラ」――レオがバルコニーに出て、夜風を浴びている光景だった。

 少し目を離した隙に、移動していたらしい。


 傍らにはビアンカ皇女がいて、心配そうに背をさすっている。


『大丈夫、レオノーラ? 顔が真っ赤ですわ。んもう、いくら上等なワインだからといって、誰とも話さず、黙々と飲み続けては体に障るわ』


 どうやら、レオは飲みすぎてしまったようだ。

 おおかた、並べられた食事の単価を比較して、ワインが一番高額だったから、そればかりを飲み続けていたのだろう。

 守銭奴レオの考えそうなことである。


 だが、自称「親友」のビアンカ皇女の考えは違うらしく、彼女は物憂ものうげに溜息をついた。


『……そんなに、お兄様のことを、避けたかったのね』

『はへ……?』


 バルコニーの手すりに両手と額を預けていたレオは、酔っているのだろう、ふにゃりとした口調で聞き返す。


「は?」


 画面のこちら側で、レーナも眉を寄せた。


『話せば……目を合わせれば、一層別れがつらくなる。だから、なのでしょう?』

「はあ!?」


 レーナは思わずぎょっとした。

 ブルーノは早くも遠い目になりはじめている。


「嫌な予感しかしない展開だ」


 まったく同感だった。


 レオはといえば、すっかり会話を放棄しているのか、とろけた目でぼんやりとビアンカを眺めている。

 夜風に揺れる金髪、そのきらきらとした輝きを本能的に追いかけているのだろうと、悲しいことにレーナにはわかってしまった。


『ふふ、乙女の観察力を舐めてもらっては困るわ。あなたは、お兄様を前にすると、いつも表情を硬くする。必死に目を伏せて、避けて、会話を拒んで……。でも、お兄様が背を向けると、おずおずと姿を追いかけるのよ』


 ビアンカは悪戯いたずらっぽく解説しているが、違う、それは単に、恐怖心と金銭欲がせめぎ合っているだけだ。

 金貨の龍徴りゅうちょうを持つアルベルトは、見事な金髪といい、ちょっとした装身具といい、すべてがきらめいていて、レオの目はそこに本能的に惹きつけられてしまうのである。


『背中に向かってそっと手を伸ばしかけて、でも慌てて拳を握ったこともあったわね』


 それは間違いなく、金のボタンでも拝借できないかな、と考えて、慌てて自制しただけである。

 ぜひ突っ込みたいところだが、悲しいかな、盥越しにこちらの声は届かない。


「これだから乙女(笑)の脳内補完力ときたら……!」


 レーナは呆れて毒づいたが、しかし次の瞬間、事態は急激に悪化した。


『レオノーラ。あなた、本当はお兄様のことを今も想っているのでしょう? わたくしには、正直に言ってくれていいのよ』

『……きら』


 ぼうっとビアンカの金髪を見ていたレオが、ふいに呟いたのである。

 それはあまりに小さな声で、風に紛れてしまったが、口の動きを見ていたレーナたちは、その呟きの内容を正確に理解した。


 ――きらきら。


 どうやら、酔いの回ったレオの頭は、文脈を完全に放棄し、すっかり金貨ドリームに没頭している様子であった。


『え? なあに? なんて言ったの、レオノーラ?』

『きらきら……』

『きらきら?』


 怪訝そうに問い返したビアンカに、美貌の少女はふにゃあ、と笑い、幸せそうに呟いた。


『アル、様』

「…………!」


 その瞬間、盥を挟んで複数の人間が息を呑んだ。


 ビアンカは、大好きな少女が兄の名を呼んだことに歓喜して。

 レーナとブルーノは、一気に距離を詰めてきた惨劇の気配に戦慄して。


「ちょ、ちょちょ……っ、待ってよ、こいつ、この場面でなんて誤解されそうな台詞言ってんのよ!」


 アル様。

 それは、レオが金の精霊に呼び掛けるときのあだ名だ。

 不吉だからやめろとレーナが何度も申し入れたのに、「だってアル様の大切なお名前の一部だし。これ以上縮めようがねえんだよ」と譲らなかった愛称。

 それが今、究極に悪く作用しようとしている。


『あ……。呼んで、しまいました……。ビアンカさま、今の、忘れて……』


 精霊の名をみだりに呼んではいけない、という掟を思い出したからだろう、少女がふらふらしながら口元を押さえる。


 それを、興奮したビアンカは「いいえ!」と遮り、ぎゅっと強く抱き着いた。


『いいの。いいのよ、あなたは好きなだけ「アル様」と呼んでいいの! 本当は今も、強く焦がれているのでしょう? お酒の勢いで、全部わたくしに吐き出してしまいなさい。わたくしが許すわ!』


 彼女が感極まっているのは、間違いなく、「アル様」をアルベルトの愛称だと解釈したからだろう。

 よそよそしい距離を取りつつも、心の中では相手を「アル様」と呼び慕っていた少女。

 蓋をしていた想いが、酒のせいで溢れだしてしまった――そんな筋書きが、凄まじい勢いで展開されているのが、手に取るようにわかった。


『アル様……。強く、焦がれる……。その、通り……』


 抱きしめられた少女――レオはといえば、眼前に迫ったビアンカの金髪に、いよいよ口元を緩めながら、そう呟く。

 本人からすれば、「ぐへへ、金色」とゲスな笑みを浮かべているだけなのだが、赤らんだ肌と潤んだ瞳を持つ美少女がそれをすると、繊細な慕情にそっと目を細めているように見えてしまうのが大問題だった。


『アル様、大好き……』


 しみじみと、言葉を転がすように呟く「レオノーラ」。

 泣き上戸も少し入っているのだろう、美少女面をした守銭奴は、ふいに感極まった様子で、顔を両手にうずめた。


『大好き……っ! 大好き!』

「やめてええ!」


 盥のこちら側で絶叫するのは、もちろんレーナである。

 彼女はがっと盥の縁を掴み、それをがくがくと揺さぶった。


「お願い! お願いよ金の精霊! 今こそ未曾有みぞうの危機だわ。この馬鹿の口を即座に封じて!」


 ――え……、でも……。


 監視、兼、有事の際にはレオへの伝達役をすることになっているアルタは、声だけを届けてくる。

 彼女の声に同期するように、金色の盥がふわりと燐光りんこうを揺らした。


 ――せっかく愛し子が、私への好意を表現してくれているわけだから……。もう少し、聞いていたいなあ、なんて……。


「精霊がワクワクしないでええええ!」


 盥の向こうで、胸をときめかせているらしいアルタに、レーナは絶叫をもって突っ込んだ。

 なんだか、両手で頬を挟みこみ、照れて赤面している精霊の様子が目に浮かぶようである。


『とうとう言ったわね、レオノーラ! そう……、あなたにもちゃんと、恋心があったのね……!』


 一方、すっかり発言を誤解したビアンカと言えば、興奮に目を潤ませ、ますますレオの肩を激しく揺さぶっていた。


『もっと! もっとちょうだい! 言って! どこが、どのくらい好きなの!? ねえ!』

『ぜんぶ……。強くて……きれいで、……絶対に、見捨てない。……眩し、い』


 ――や、やだわ、もう、レオったら……!


 レオは恍惚として答えるし、アルタは照れて身をくねらせているようだし、事態は一向に収拾される気配がない。


『わけへだてなく、みんなの、希望になるところ……アル様さえ、いれば、どんな状況でも、絶対、大丈夫……』

『そんなに、憧れていたのね!? 王者らしい公平さに焦がれるなんて、いかにもあなたらしいけれど……くっ、状況さえ違えば、互いが互いを独占する未来もあったでしょうに』

『どくせん……』


 ビアンカが漏らした嘆きの独白を、ぼんやりとした様子のレオが繰り返す。

 精霊じみた美貌の、はかなげな少女は、そこで唐突にくしゃりと顔を歪め、涙の粒を浮かべた。


『独り占め、したい……っ』

「やめてえええええ!」


 いよいよレーナは顔面蒼白になった。


「ちょっと……よしてよ、他人に聞かれたらどうすんのよ、皇子の取り巻きにでも聞かれたら、また去年の奪還戦争の再現――」

「おい、レーナ」


 ブルーノが、げんなりした様子で遮ったのは、そのときだった。


「おまえ、なんだってそんなに、フラグを立てるのが好きなんだ」

「は!?」


 ぎょっとして振り返ったレーナに、褐色の肌の少年はぼそりと「少したらいから離れて見ろ」とだけ告げる。

 凄まじく嫌な予感がして、恐る恐る手を離したレーナは、ゆっくりと後ずさり――そして、息を呑んだ。


「レオノーラ」を中心に映された光景の、端。

 盥の縁のぎりぎりのところに、誰かが、映っている。


 誰かというか――アルベルト皇子が。


「オスカー・ベルンシュタインとともに、隣のバルコニーで涼んでいたようだな」

「いやあああああああああああ!」


 なぜだ!

 レーナはその瞬間、真っ白な灰になりかけた。


 なぜ、いつもいつも、運命の精霊はこんなにも意地悪なのだ!


 形ばかりグラスを握りしめたアルベルトだが、しかし視線は隣のバルコニーへと向いている。

 空いた片手で口元を押さえるその姿は、全身に湧き起こる感情を、必死にこらえようとしているかのようだった。


 傍らのオスカー・ベルンシュタインも、やり取りを聞いているのだろう。

 ひゅーっ、と口笛を鳴らすそぶりを見せて、肘でアルベルトのことを突いている。

 アルベルトは素早く唇に人差し指を立て、首を振った。

 静かにしていろ、と合図しているようだ。


「馬鹿……馬鹿、やめて、やめてやめて……」


 一方、レオとビアンカは、隣の客に気付いていない。

 興奮した様子で会話を続ける二人を凝視しながら、レーナはがくがくと震えて両手を組んだ。


「それ以上言わないで……っ」


 だが、悲しいかな、ことレオに関する限り、レーナの願いというのはことごとく裏切られるようにできているのだ。

 アルタの瞳が映し出すレオは、いっそ惚れ惚れするような美少女ぶりで、可憐な声を紡いだ。


『アル様に、こんなことを言ったら、呆れられて、しまうかも、しれないけど』


 ああ、その、躊躇ためらうようにきゅっと唇を引き結ぶ仕草。


『本当は、ぎゅって……したい』


 その、恥じらいにきつく結ばれた拳と、おずおずとした声。


『抱きしめて、頬ずりして、口付けて……毎日毎日、ずっと、傍に……!』


 黒髪の美少女が、潤んだ紫の瞳をぎゅっとつむり、かすれ声で叫んだその瞬間。

 複数の人間が一斉に胸を押さえ、その場にうずくまりかけた。


「こんの、レオ野郎おおおおおおおおお!」

『レオノーラ……!』

『…………っ』


 順に、レーナ、ビアンカ、そしてアルベルトである。

 美貌の皇子は、いよいよ動揺を隠せなかったのだろう。

 凄まじい勢いで駆け巡った感情が、魔力を暴発させたと見え、手にしたグラスが粉々に砕け散っている。


『あ……! お兄様……!』


 物音に気付いたビアンカが、ぱっと隣を振り返った。兄の姿を認めた彼女は、話を聞かれたことを察し、一瞬慌てたように息を呑んだが、すぐに、喜びが堪えきれないとばかり、アルベルトに目配せを送る。


 いっそ、レオノーラをこのまま連れ去ってしまってはいかが?


 青い瞳が、雄弁にそう問いかけていた。


『お兄様。レオノーラが、ひどく酔ってしまったの。ご覧になって、この通り足元もおぼつかない。誰かが(・・・)、客間で休ませてあげるべきですわ』


 実際に彼女は、少女を抱きしめたままバルコニー越しに身を乗り出し、アルベルトに訴えまでした。


『ね?』


 夜会の隙に、好き合った男女が客間に消えるのはよくある話だ。


 レオノーラはこの会の主賓しゅひんだが、酒に酔って介抱を要している。

 レオノーラは光の巫女だが――けれど、純潔を失ってしまえば。


「やめてよ……」


 盥のこちら側で、レーナは蒼白になって呟いた。

 先ほどからカチカチと、歯の根が鳴って仕方ない。


「冗談でしょ……っ」


 相手は帝国の後継者――どんな女を召そうが許される、この上ない身分の男だ。

 唯一制止できるとしたら、保護者の侯爵家くらいだが、彼らとて、それで孫が俗世に留まることになるのならと、見逃してしまえば。


「金の精霊よ、お願い、助けて――」

『申し訳ないのですがオスカー先輩、ハーケンベルグ卿か、夫人を呼んできてくれませんか』


 だが、盥に縋りついたレーナが祈るよりも早く、アルベルトは意外な言葉を口にした。


『ビアンカが同じ体格の彼女を運べるとは思いませんし、僕たちが彼女に触れることも、侯爵家は嫌がるでしょうから』

『あ……、ああ』


 オスカーは頷いたが、目を見開いている。


『だが、おまえ……。それで、いいのか?』


 おそらくそれは、その場にいた全員の問いだったろう。

 レーナでさえ、驚きに息を呑んだのだから。


 愛する少女が目の前で酔っていて、青年には至上の権力があって、少女は彼を「慕って」いて。

 なのに、手を出さなくていいのか――。


『なにを仰るのだか。酔ったレディに不埒を働けと?』

『ごまかすな。俺がなにを言いたいかくらい、わかるだろう?』

『……彼女が、どんな想いを秘めていてくれたのであれ』


 声音を改めたオスカーが追及すると、アルベルトもまた、一層声を静かなものにして応じた。


『レオノーラはそれを、『隠そうと』しているのです。想いを伝えることは、彼女の本意ではない。……ならば僕は、その意思を、守らなくては』


 穏やかな口調ではあったが、言葉は、誰にも反論の隙を与えぬ迫力に満ちていた。

 しばし、沈黙が落ちる。


 やがてオスカーは溜息をつくと、呆れたように口の端を引き上げた。


『つくづく、おきれいな男女だよ、おまえらは。実にお似合いだ。だが……後悔しても知らないぞ』

『温かなご忠言、痛み入ります』


 アルベルトがおどけたように微笑み返すと、とうとうオスカーは片手をあげ、きびすを返す。

 そのまま会場へと戻っていった年上の友人を見送り、アルベルトはビアンカに向き直った。


『ビアンカ、レオノーラは相当酔っているようだ。座らせて、背中をさすってやってくれ』

『え? ……あ、はい……』


 ビアンカは我に返ったように頷き、しかし、思わし気な視線を兄に向ける。

 本当にいいのか、と、顔に文字が書いてあるかのようだった。

 なんだか泣き出しそうな妹を見て、アルベルトは小さく噴き出す。


 それから、『いいんだ』と優しく付け足した。


『それが彼女の願いなら。僕が叶えてあげられることなんて、もうそれしかないのだから』


 それを盥の向こうで聞き取ったレーナは、意表を突かれた様子で眉を下げた。


「なによ……カッコつけちゃって」


 憎まれ口を叩くが、そこに先ほどまでのような威勢はない。

 振り返ったブルーノが、問いかけるように片方の眉を上げると、レーナはふいとそっぽを向いた。


「……悪かったわよ。アルベルト皇子は、意外に謙虚で、根性があるわ」


 少なくとも、あれだけ「レオノーラ」に理性を揺さぶられておきながらも、なんとか自制してみせたのだから。


「そうよ、レオよ。全部あいつが悪いのよ! 皇子が未練がましいんじゃなくて、レオがあざといだけだわ。よくわかった。これで満足?」


 ばつが悪いのだろう、ブルーノに向かって勢いよくまくし立てる。

 謝罪とも言い訳ともつかない発言を、ブルーノは相変わらず無表情で聞き流していた。


「……べつに、俺は皇子が未練がましくない、とまでは言っていないんだがな」


 ぷんぷんと怒って、レオへの復讐計画を練りはじめたレーナをよそに、ぼそりと呟く。

 彼の視線の先――アルタの瞳が映し出す光景には、バルコニーに一人佇むアルベルトが映っていた。


『そうとも。僕はレオノーラの願いを叶える』


 砕け散ったガラスを見下ろした皇子は、夜風を味わうように目を閉じ、やがてゆっくりとそれを開く。


『もちろん、彼女が臆面おくめんもなく僕を願ってくれたなら……世界を滅ぼしてでも、彼女を手に入れるけれどね』


 青い瞳には、日頃の清々しさとも、切なげな優しさとも異なる、不穏な色が宿っていたが――幸か不幸か、それに気付いた人物は、その場にはいないようだった。

ハッピーエイプリルフール!

またいずれお目にかかりましょう^^

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― 新着の感想 ―
[良い点] あああああああっ ありがとうございますっ!! [一言] 言葉にならない……
[良い点] 誰かどうにかして精霊の名前はフルネームの方がお得だと解けねぇかなwww
[良い点] いやもう、すんごく満足でっす!! もう何度目っていうくらい読み返していますが、いつ読んでも面白いし、満足感が半端ないです!! アル皇子押しの私としては!!!このままレオとくっついちゃいなよ…
感想一覧
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