11話 思い出と心
ささやき様の尻尾の、修繕が始まった。
しばらくの間、礼拝はお休みとなり、マーヤは暇になる。
ただ体を動かさないでいると、頭が動くものだ。
「考えないようにしよう、って思ってるのに考えてしまうのは、どうしてなんだろう?」
それはクリスのことだった。
王子様であると知って、マーヤは育ち始めていた想いを、無理やり封じ込めようとした。
願っても叶わない、とわかっているものを追いかけても、虚しさしか残らない。
マーヤは空へと昇る黒煙へ、手を伸ばし続けた日を振り返る。
「お母さんは、戻ってこなかった」
いくら泣き叫んでも、駄目だった。
この恋心も、そうなるだろう。
マーヤはぎゅっと、唇をかみしめる。
「だけど……思い出だけは残るから」
胸に手を当てる。
そこには、ささやき様のペンダントトップがあった。
いつもより、それは温かく感じられる。
「クリスさんとの思い出は、あたしの中に大切にしまっておこう」
銀髪の美しい少年が、長らくそこに居たように。
ときおり思い返しては、寂しさと恋しさが募るとしても。
「あたしの宝物だもん」
出そうになる嗚咽を、マーヤは飲み込んだ。
◇◆◇◆
割り切ろうとするマーヤだったが、そう簡単にはいかない。
ため息ばかりついているのを、バーバラに見つかってしまう。
「心ここにあらずね」
この間の礼拝で何があったのか。
マーヤの元気がなくなったのは、その日からだった。
「パトリック司教がクリストフ殿下から、多額のお布施をいただいた件と関係があるの?」
教会にとっては、尻尾の修繕の目途が立って、喜ばしい出来事だったはずだ。
「っ……!」
クリスの名前を聞いて、マーヤの肩が不自然に揺れる。
それに気づかないバーバラではない。
しかし、無遠慮に踏み込まない、分別を持ち合わせている。
「マーヤ、お使いを頼んでもいいかしら?」
代わりに、外の空気を吸うことを提案した。
「図書館に行って、新刊が出ているか確認してちょうだい。それから――」
マーヤはバーバラの依頼を、小さなメモ帳に書きつけた。
今日のお使いは、いつもより寄る場所が多い。
手際よく回らないと、帰る頃には暗くなりそうだった。
(今のあたしには、これくらい忙しいほうが助かる)
買い物かごを手にして、マーヤはさっそく教会を出た。
まずは足早に、図書館を目指す。
「ささやき様の新刊、あるといいな」
バーバラに頼まれた本は、書店では売られていない。
自称ささやき様の研究家たちが、地方に散らばる逸話を集め、精査した結果を書き起こし、不定期に図書館へ寄贈しているのだ。
世に一冊しかないので、教会ではみんなで回し読みした後、それぞれが気に入った箇所を、書写してから返却している。
熱心な信者以外は手に取らない、マニアックな部類の本だった。
それなのに――。
「貸し出し中なんですか?」
「そうなのよ、珍しいでしょう」
図書館の受付で、顔なじみの司書が、首をかしげている。
これまで教会よりも早く、ささやき様の新刊を借りた者などいなかった。
「なんでも館長あてに、新刊が寄贈されたら連絡してほしいって、直々に要望があったらしいわ」
かなり通っているマーヤだが、いまだ館長とは、顔を合わせたことがない。
それだけ雲の上で、身分が高い人物なのだ。
そんな館長へ、直々に要望できる相手など、限られている。
「きっと貴族よ」
司書もマーヤと同じ考えだった。
さらには、ささやき様に関するほかの本も、一緒に借りていったそうだ。
これは喜ばしい出来事だ。
新刊が借りられなかったのは残念だが、返却されるのを待つくらいなんてことはない。
「その人が、ささやき様の信者になってくれると、嬉しいな」
沈んでいたマーヤの心が、少し浮上する。
司書にお礼を言うと、急いで次のお使い先を目指した。
マーヤはお使いを済ませるたびに、メモ帳に線を引いて、漏れがないよう確認していく。
今日はいつもより、順調に回れていた。
「あと残っているのは、ミントのキャンディだけ」
これなら、明るいうちに帰れそうだ。
マーヤは路地裏へと入っていく。
目的地は、祭りの日にクリスを案内した、あのお店だった。
◇◆◇◆
「マーヤちゃん、いらっしゃい」
「こんにちは、店長さん」
店長はガラス瓶を磨いていた手を止めて、マーヤに勧める新作キャンディを選び始めた。
ぐるりと見渡した店内は、華やかだった祭りの日と比べると、落ち着いたディスプレイに戻っている。
クリスと一緒に来たとき、まだマーヤは、恋心を自覚していなかった。
しかし今、消えない火種のように、胸の中でくすぶっている。
(すぐに忘れようとしても、無理なんだ)
ぼんやりと、店内にあの日のクリスの姿が浮かぶ。
(クリスさんは疲れ目に効くからと、ブルーベリーのキャンディを買ってた)
キャンディを頬張る、クリスを想像してみる。
それだけで、マーヤの心が温かくなった。
(あたしも少し、買ってみようかな)
じっと紫色の包み紙が入った瓶を見ていると、店長がそれに気づく。
「祭りの日の彼氏とは、その後どうなの?」
「っ……!?」
そう言えば、店長はクリスをマーヤの彼氏だと、誤解したままだ。
マーヤは慌てて両手を振って、訂正する。
「違うんです! クリスさんは、あたしの彼氏じゃ……」
「そんなに赤い顔で否定したって、通用しないよ」
からからと、店長が笑う。
「そうだ! フードでよく見えなかったけど、彼氏は青い目をしていたね」
店長は引き出しを開けると、そこから紙袋を取り出す。
「祭りの日限定で販売してた、青色のキャンディだよ。残り物だけど、よかったら二人でお食べ!」
「あ、えっと……」
マーヤがまごまごしている間に、店長はバーバラの好物である、ミントのキャンディも包装する。
新作の試食用キャンディと、ブルーベリーのキャンディも、おまけにつけてくれた。
「また彼氏と一緒に、店においでね」
「……ありがとうございます」
結局、クリスはマーヤの彼氏ではないし、苦い片思いで終わるのだと、店長へは伝えられなかった。
会計を済ませて、キャンディを受け取り、教会へ帰ろうと店のドアを開ける。
マーヤはうつむいていたから、そこに人が立っていたのに気づかなかった。
ドン!
ドアがなにかに、ぶつかる感触がした。
「あ、ごめんなさい!」
「こちらこそ」
これに似たやり取りが、最近あった。
ハッとしてマーヤが顔をあげると、店の外には、先ほど思い浮かべていたクリスがいる。
「ク、クリスさん……!」
「マーヤさん! よかった、会いたくて探していたんだよ」
満面の笑顔のクリスとは逆に、マーヤの顔からは血の気が引く。
(もう関わっちゃいけないのに……!)
クリスは王子で、マーヤは孤児だ。
勢いで一夜を過ごしてしまったけれど、本来であれば縁遠く、交わることのない二人だった。
マーヤの心臓が、ぎゅっと縮こまる。
(逃げなくちゃ……!)
クリスが伸ばす手を、マーヤはとっさに払いのけた。
そして踵を返すと、脱兎のごとく走る。
「マーヤさん、どうして――」
悲痛な呼び声は、雑踏にかき消され、マーヤには届かない。
その小さな後ろ姿を見失うのは、一瞬だった。
クリスは絶望し、膝からその場に崩れ落ちる。
「嫌われてしまったのか、私は……」
くしゃり、と顔を隠すフードを握りしめた。
その拳が小刻みに揺れる。
「それもそうか。マーヤさんにとっては、私は無責任な男だ。なんの約束もせずに、彼女を残して去ったのだから」
過去の自分に腹が立つ。
どうしてマーヤが目覚めるまで、隣にいなかったのか。
これまでクリスは、仕事を優先したことを、後悔したりはしなかった。
だが今回ばかりは、そうもいかない。
短いため息が漏れる。
そんなクリスの背後から、驚き声がした。
「マーヤちゃんの、彼氏じゃないか!」
たった今、お使いに来てたんだよ、と店長が眉をさげている。
クリスは本来の目的を思い出した。
この店に、ブルーベリーのキャンディを買いに来たのだった。
小声で注文するクリスに、店長は手際よく対応する。
「うちは濃縮したブルーベリー果汁をつかっているからね、効き目があっただろう?」
うなずきはするものの、クリスは明らかに気落ちしている。
それを店長は、マーヤに会えなかったせいだと解釈した。
「すれ違っちゃったのは残念だけど、会いに行けばいいよ。マーヤちゃんはいつでも、教会にいるんだからさ」
「っ……!?」
ショックのあまり頭から抜け落ちていたが、マーヤが着ていたのは修道服だった。
(つまりマーヤさんは、教会のシスター?)
思いがけずマーヤの居所を知れて、がばっとクリスが顔をあげる。
その拍子に、目深にかぶっていたフードが落ちた。
「あれ? 銀髪に青い瞳って、まさか……」
「ありがとう! 感謝する!」
目を丸くしている店長の手を握りしめ、クリスは飛び上がらんばかりに喜んだ。
(マーヤさんに、きちんと謝罪しよう)
プロポーズよりも何よりも、まずはそれが先決だ。
クリスの頭の中で、素早く段取りが整えられる。
(なんとしてでも、汚名を返上してみせる!)
一方、そのころマーヤは、闇雲に走ったせいで迷子になり、道端にうずくまっていた。
「あたしって、どうしてこうなの?」




