98. 義母の想い
「アリス様、急にお呼び立てしてごめんなさい」
「滅相もございません。それよりもお義母様、私のことはアリスとお呼びくださいませ。敬語も不要にございます」
婚姻して1年近く経つが、こうしてザラと二人っきりで話をするのは初めてだった。ブランクと疎遠だったのでその母君とも疎遠になってしまった。決してお互いに嫌いだからとかではない。そもそもお互いを知らなさすぎて嫌い合う要素もない。
「……しかし、あなた様はカサバイン家のご令嬢です」
「今はお義母様の娘にございます。それに王妃様にも皇太子妃様にもこきつかわれる小娘にございます故、遠慮なくアリスとお呼びください」
「……心遣いありがとう。アリス」
躊躇った後に、はにかみながら少し緊張気味にアリスの名を呼ぶザラ。年上相手になんだが……可愛らしい。
「アリス……色々とブランクがごめんなさい。あなたのような見目麗しく賢い娘が嫁になってくれるなど、あの子にはもったいないことなのに。いつまでもルビー、ルビーと。ルビーのあの大根芝居にどうしてあの子は気づかないのかしら……。何か言おうものならうるさいって余計に頑なになるばかり……」
「…………………………」
それはこちらも不思議です、と心の中でだけ呟くアリス。
「私の育て方が悪かったの。使用人たちや家臣たちは王妃様のお子様を優先し、両陛下の仲を邪魔するなと私達には冷たい視線が集まったわ。だから私も実家もお金はあったから欲しいものは買い与えたり、甘やかしてしまったのよ。でもその差があり過ぎたのかしらね。これだけ色々な物を与えられる王子なのに使用人や家臣に色々制限され、嫌な視線を向けられる。王子とは兄たちのような扱いをされるべきなのにって思いが日増しに強くなっていったわ。もう少し私がしっかりしていれば、甘やかさなければあんな愚かな子にはならなかったかもしれないわね……」
俯くザラを観察するアリス。初めて見たときも思ったが可愛らしい女性だ。優しそうで大人しそうで……男性の後ろに従うような感じ。そして女性には好かれなさそうな……なんかそんな印象だ。
王妃も優しそうではある。穏やかで暖かい日差しのよう……殿方にもモテモテの人生だろう。だが女性から嫌われるタイプかと言われるとそうではない。なんか、逆らっちゃいけない圧というものがある。
優しい顔して怖い女……ボスって呼びたくなる感じだ。
「失敗したとも言えますし、そうでないようにも私には見えますが」
「え?」
アリスの言葉に目をパチクリするザラ。
「お義母様はブランク様にどのようになって欲しいと思っておりますか?」
「今とは正反対」
ズバッと応えるザラにお茶を吹き出しそうになるアリス。
「…………………………まあ、そうでございましょうが」
「傲らず、両陛下や兄たちを立て敬い、妻を大切にする。民あってこその王族だと理解し振る舞う。そのような者に……」
「見事に今とは正反対にございますね。理想の王子像、理想の王族。ですが本当に?お育てになっているとき第一に思っておられたことは違うのでは?」
ザラの目が戸惑うように揺れた後、ふっと口から息が漏れる。
「陛下の妻として私は失格ね。私はあの子を王族として立派に育てることは考えなかった。この誰も味方のいない王宮で母子ともにいかに生き残るかしか考えてなかった」
「即ち?」
「即ち……いかにあの子を王座から遠い存在にするか、王座に興味を持たぬようにするか……そのようなことばかり考えていたわ」
「王妃様は御子息様方の王位継承に邪魔になるような存在はお許しにならなかったでしょうからね」
「美しく、優しく、実に寛容な方ですが……」
「でなければ王があんなに女遊びはできませんものね」
「………………」
なんとも答えづらいザラ。王は王妃と相思相愛であるものの、幾人もの側室や愛妾がいる。密かにちょっと公爵に似たタイプだとアリスは思っている。いわゆる女好きなのだ。
「あの方はお子様のため、国のためならどこまでも残酷になれるお方です。だからこそ王妃として敬われるのでしょうが……」
そういうザラの表情はどこか悲しげであり、恨めしげだった。
「少々話はそれましたが、ザラ様は見事に王妃様の魔の手からブランク様を守りきったわけですね。皇太子様含めどの王子様も王族としての心構えはしっかりしており、家臣たちの目もブランク様に王としての期待などしておりません。王妃様のお子様たちの地位は盤石。ここまでくれば王妃様はブランク様に手を出すことはないでしょう」
アリスの言葉に一瞬固まったものの、困ったように笑うザラ。
「……そういえるのかしら」
「そうですよ。ブランク様の命を守りきったのでしょう?この国で王妃様以外に子を産めたのも成人まで見事に育て上げられたのもお義母様の手腕によるものだとお見受けします。まあ彼の性格というか性根は腐っていますが、完璧人間なんていないんですから。兄君たちの邪魔にもなってはいませんし」
「でもアリス……最近嫌な胸騒ぎがするの。部屋に引き籠もることも多くなって、何をしているのか……。今あの子は破滅の道を行こうとしているような気がする。どれだけ愚かだって王位を狙わず、国を乱すことなく大人しくしていれば王族でいられるのに。あっ!…………あと……あなたへの愚かな態度はちゃんと改めさせないとね」
アリスは感心する。これが母というものなのか。
ブランクの企みを知っているわけではない。まあ変な行動をしているのは皆が知っているが。
息子の破滅……ザラは勘が鋭い。彼女はこの勘で冷たい視線に晒されながらも王宮をうまく渡ってきたと言っても過言ではない。使用人たちからの待遇は良いものではないが、特別に悪いものではない。他の側室や愛妾に比べれば……。
それは彼女の人を思う心や人を見抜く目によるものだ。だから彼女の振る舞いは王妃の目につくものにはならなかった。彼が母の背を見て、それに思う所があれば良かったのだが、残念ながらブランクはその母を良しとしなかったようだ。
「破滅の道…………」
「ええ…………………………」
ザラの縋るような視線がアリスの頬に突き刺さる。これが彼女がアリスを呼んだ理由だったか。
「何をしようとしているかわからない。それを探る力もないわ。でも嫌な予感がする。愚かな子……愚か過ぎる子…………。でも私はあの子を失いたくない…………。たとえ我が元から離れることになっても、命だけでも良いから」
その目は必死だ。よほど胸騒ぎがするよう。まあブランクがやろうとしていることはヤバいから、その空気を察しているのかもしれない。事前にもみ消すことだってできる……アリスなら魔導書を燃やしてしまうことくらい朝飯前だ。
ザラだってアリスが本気を出せば止められることくらいわかっている。でもそれを願わぬのはそれだけブランクのアリスに対する態度が酷いから……彼に救いの手を差し伸べてくれとお願いするのは烏滸がましいと弁えているからに他ならない。事前に止めれば彼がやろうとしていることは公にならない。
でも、たった一人の息子の命だけでも助けてやりたい。それだけは協力して欲しいというところだろうか。
「私は嫁としてお義母様に何も孝行をしておりませんでしたね。一つくらい孝行せねばなりませんね」
ザラの目に安堵から涙が溜まる。
「ありがとうございます」
「私に敬語は不要にございます」
「そうだったわね」
そう言って軽く笑うザラの顔にはほっとしたような、寂しそうな表情が浮かんでいた。




