94. 憂鬱①
ルビーが王宮から去って数週間経った。
ブランクは王宮の廊下を歩いていた。ブランクは自分にも何かお咎めがあるかと思ったが、ルビーの不敬な発言は公にはなかったことにされたので、ブランクの不貞もどきの行動もなかったものとして扱われた。
即ち彼は今も名ばかりのアリスの夫。お互いに歩み寄る気もなかったので、会話は最低限。夜を共に過ごすこともなかった。
そんな彼はため息をつく。
ルビーに処罰が下されたときは自分も何か……と震えていたが、そんな気配はない。心に余裕ができてくるとルビーがいないことをしみじみと感じるようになった。
ルビーが恋しい。
もともと自分に近づいてくる者は母のザラ以外はいなかったが、ルビーが王宮に住むようになってからは違った。ブランク、ブランクと何かと気にかけてくれたルビー。兄の婚約者だとわかっていても自分の心の支えだったルビー。
会いたい。
だが、そんなことを言ったら会いに行けば良いと言われるに決まっている。単純に修道院に会いに行くということではない。王子という身分を捨てて自分も平民に下れば良い……と。むしろ皆彼が王宮から出ていけば良いと思っていることだろう。
ルビーには会いたい。
会いたい……が、自分が王子の身分でなくなるのは嫌だ。
添い遂げるなら、王子としてしかあり得ない。
だって、自分はこの国の王の息子なのだから。高貴なのだ。人はその身にあった場所で生活をするべきだ。平民に混ざって暮らすなどあり得ない。
再びため息をつきながら、廊下を進むと声が聞こえてきた。
『素敵よね~』
『本当。アリス様が羨ましいわ』
何やら清掃中の使用人が話をしているよう。
『……ランク様に見つめられた~い』
『アリス様になりたいわ~』
……ランク?アリス?もしかして、アリスの夫である自分のことか?と頬が上気する。もしや、自分に気があるのか?誰が僕のことを……そっと声の方に近づく。
まあまあ、可愛いじゃないか。
目の前には若い女性使用人が3人。
彼女たちはブランクに気づかず、更に話を続ける。
『ちょっと年齢はいってるけど、そこも素敵だわ~』
『あの筋肉たまらな~い』
?自分はまだ若い部類だと思うが……?筋肉?自分にはそんなについていないが……。他人の目からは筋肉質に見えるのだろうか。
『ホントよね~。お金払っても良いから一度触らせてくれないかしら……フランク様』
ブランクではなく、フランク。
彼女たちが話していたのはアリスの護衛のフランクのことだった。彼はカッと顔が熱くなるのを感じた。
王子ともあろう者が使用人の話に聞き耳を立てるなどはしたない行為をするのではなかった。使用人にときめくなど、自分が情けない。所詮自分に見合う人間ではないのだから、彼女たちがどう思おうと関係ない。
それにしても王族の自分をさしおいて、使用人に騒がれる護衛のフランクにも怒りを感じる。似たような名前しやがって紛らわしい。
年を取ったあいつの何が良いんだ。確かにちょっと強いかもしれないが、言い換えたら野蛮人じゃないか。自分の方が若いし優雅だ。高貴な自分の方が良い男に決まっている。あいつらは見る目がないんだ。ちょっと顔は可愛らしくても所詮は見る目のない平民か低位貴族出身の娘たちだ。
どいつもこいつも無礼な。
可愛らしいといえば侍女のルナだって口を開かなければなかなかの美人だ……自分への態度が冷たくなければ相手をしてやっても良いほどに。
そういえば最近母親であるザラがアリスを大切にしろとうるさい。今からでも間に合うから、と。彼女を大切にすることが自分のためになるから、と。正直鬱陶しいし言っている意味がわからない。
もしかしたらアリスが母になにか言ったのだろうか。例えば夫に相手にされず淋しい…………とか。仲を取り持って欲しい……とか。
まあアリスはかなりの美人だ。顔だけならあんな美女は他に見たことない。だが、性格は無礼で夫を立てたり、敬ったりということをしない。いくら大国の筆頭貴族の娘だって所詮は臣下だ。国のトップの一族である王子の方がえらいに決まっている。
ルビーに対する態度も酷いものだった。いくら爵位が下でもあんなに心優しく可憐な女性に冷たく接するなど人としてあり得ない。あの生意気な態度が改まらない限り、相手をするつもりなどない。
再び歩き始めるブランクは前方の曲がり角から曲がってくる人物に気づくと顔を伏せた。最近ブランクを最も憂鬱にさせる原因となっている人物。
彼に声をかけられる前に違う道を行こうと踵を返そうとしてあることに気づき止まる足。勇気を出して彼の方に一歩一歩踏み出す。
彼が目の前に来た時に声を上げる。
「ル……ルカ兄上」
「うん?お前から話しかけてくるなんて珍しいね。どうかしたかい?ブランク」
ブランクの前にいたのは美しい年上美女に腕を絡まれたルカだった。




