79. 誘い
軽く頭を振っておぞましい想像を頭から追い出す。一緒についてきたイリスからの視線が少々痛いが、目の前の非常識まみれの二人に比べたら多少の変な動きくらい大目に見てほしい。
イリスに目で訴えていると、恐る恐るというように声がかけられた。
「あの……アリス様……」
「はいなんでしょう?」
わざとらしくビクッとして更にブランクにしがみつくルビー。睨みつけてくるブランク。
いやいや、早く帰りたくて少々食い気味に答えちゃったけど何もしていない。もう二人の仲良しシーンを見せるために呼んだのであれば帰っても良いだろうか。
というか長い。言いたいことがあるならさっさと言って欲しい。そもそもルビーが仲の良さをアピールするためだけに呼ぶわけがない。何かあるはず。
…………まだ言わないのかい!本当に帰ってやろうかと二人に背を向けようとしたとき
「宜しければ一緒に診療所に行きませんか?」
私負けない、とでも言いたげにキュッと目を瞑り発された言葉。アリスの目にキラリと怪しげな光りが宿るのを見たイリス。なぜ自分を陥れようとする企みに瞳を輝かせるのだろうか我が主人は……。
「診療所……ですか?」
「ええ王家が運営する診療所が近くにあるんです。たまに手伝いに行くんですけど、アリス様もご一緒にどうかと思って
。あっ!私、魔法は戦い向きのものはほとんど使えませんが、治癒魔法は得意なんです。まあ戦う魔法なんて人を傷つけるだけですし、私には不要なものです。私には人にとって最も必要で大事な力がある。それってとても幸せなことですよね?」
幸せなのはあなたのあ・た・まと思いつつ彼女を見る。とても鼻高々な様子。オールラウンダーのアリスからしてみればどれも大切で不可欠。優劣もつけられない。それに人には得意不得意が有り戦闘向きの魔法が得意なものを卑下するような言葉は美しくない。
彼女には人にとって大事な心がないようね。
チラリと夫を見ると若干顔がひきつっている。それもその筈、彼が得意とするのは攻撃魔法。ルビーは物事を自分中心に考えるため、利用しようとする人間のことでさえ考慮せずに発言することが多々ある。わりと傷つく言葉もあるだろうによくここまで恋い慕えるものだとアリスはある意味感心する。
「平民や貧乏な低位貴族が利用できるよう作られた診療所で、医師のレベルも低くとても見ていられるものではありませんのよ。ですから私がたまに訪問しまして高度な治癒魔法を施してあげているのです」
「立派な心がけですね」
いや、普通に王家運営の診療所を蔑むなど不敬である。相変わらずの上から目線。それに言葉の端々……いや、もはやほとんどの部分から平民や低位貴族、医師までを蔑んでいるのが丸わかり。まあ診療所に行くのは人を救ってあげる私って素敵、そんな優しい私を見て~というパフォーマンスのよう。
再びチラリと夫を見る。微妙に目は潤み、頬が赤い。
ーーーーーマジか。
他者を扱き下ろす言葉のどこにそんな要素が?彼には何か別の言葉に聞こえたのか。それとも自分の耳がおかしいのか。アリスはイリスを見る。
彼女は視線に気づくとブランクを見た。カッと衝撃的な表情をした後、スンと真顔に戻った。自分の耳は正常だったよう。
「アリス様も少し治癒魔法を使うと聞きましたよ」
「ええ、少し使いますよ。いつ頃行きましょうか?」
少し使えるならわかるが少し使うってなんだ。出し惜しみしてるみたいな感じ?と思いつつ、あえてルビーの言葉を使い肯定する。
「そんな嫌そうなお顔……。我が伯爵家は孤児院や診療所などに多大な寄付を行っておりますがカサバイン家はあまり施設に寄付したり、訪問しないそうですから……」
!?
嫌そうな顔?していないのだが。むしろどんなことを仕掛けてくるか愉しみなのに。それより……絶大なる権勢を誇る公爵家をたかが伯爵家の小娘が貶めるなどあり得ない。
そもそも公爵領にある孤児院や診療所などは全てカサバイン家所有のもの。寄付するも何も経営費等全額負担している。それに他のどの領地よりも多くあるため流石カサバインと言われるほど。
古巣を貶されたイリスは表情を険しくさせかけ、止まる。何やら冷たい空気が漂ってきた。
もちろん発生源はアリスだ。その顔には穏やかながら圧のある笑みが張り付いている。
「ルビー様、診療所に行く日が決まり次第、連絡を頂けますか?」
「あっ……?えっ……?」
何やらいつもと様子の違うアリスにルビーは頭が回らぬよう。アリスはルビー付きの侍女に視線を向ける。
「わかったわね?」
「はっ…はい」
慌てて返事をする侍女。まるで王妃が目の前にいるようだと錯覚して思わず返事をしてしまった。
アリスは挨拶もなしに去る。
普段であれば非難の声が部屋から聞こえてくる態度だが、何も聞こえてこない。いつもと様子の違うアリスに圧倒され、無礼と思う余裕もないよう。
イリスは足早に歩くアリスに話しかける。
「痛い目に合わせても良かったのでは?」
どこぞの王族であったとしてもカサバイン家の者を前にしてその政策を貶すものはいない。それだけ偉大な存在。無礼を働いた功労もない伯爵家の娘の首をはねたとて誰も文句は言わない。
「今はまだ……でも彼女は少々調子に乗りすぎね」
カサバイン家であることは彼女の誇り。
「近々痛い目に合ってもらいましょうか……」
アリスの顔にはよく浮かべる嘲笑はなかった。
そこには何も窺うことのできない無が広がる。
久しぶりに見るアリスの表情にイリスはブルリと身体を震わす。怖い……。
「アリス様」
「なあに?」
「お手洗いに行っても良いですか?」
「…………行ってらっしゃい」
そそくさと逃げていくイリスだった。




