167.賭け
アリスが目を覚ましたのはそれから3日後だった。
その間、眉髭――息子がやらかしたことを知らないタリス男爵は黒魔法を使用した妻と娘を王と王子に近づけたとして王宮を追い出された。
マリーナは起こったことを素直にありのままに王や王妃、皇太子に伝えた。廃妃も覚悟したが事件は闇に葬られることになった。
皇太子妃が関連している事件。マリーナが起こしたことではないが、事件が明るみに出ればどんな噂を立てられるかわかったものではない。
ヤハが声を掛けた人々の罪は個々の事件として、命があるものには罰が下されることになった。
マリーナは再び政務を行えるようになった。自分のせいで何人もの命が失われた。彼らに償う為にもこのままではいけないと目が覚めたようだ。
また平穏な日々に戻った。
「アリス、体調はどう?」
「よろしくないです」
アリスの返事にまあと笑うマリーナ。彼女の背中にドンと二つの衝撃が与えられる。
「マリーナ様、あーそーぼ」
「ラルフ、何して遊ぶの?」
「エリアスを落とし穴に落とす遊び」
「……オリビア、それはどんな風に遊ぶのかしら?」
「落とし穴をほってそこにエリアスを落とすの。突き落としてもいいし、騙して落としてもいいよ」
「……それは危なくないかしら?」
「「あははははは、エリアスは丈夫だから大丈夫よ」」
「……私には無理そうだから遠慮しておこうかしら」
「そっかぁ、じゃあまた今度遊ぼうね」
「ねー」
ラルフとオリビアは仲良く手を繋いで部屋を飛び出して行った。
「申し訳ございません。2人共悪戯盛りで」
いや、もう悪戯とかのレベルじゃない気がするが……。
まあ、エリアスも普通じゃないので良しとしよう。
その後少し世間話を続けた後、マリーナは部屋を出て行った。また以前のような日々が戻ってきた。
戻ってきた。
戻ってきた……?
貼り付けたような笑み、痩せた身体、時折震える手、爪の跡が残る手のひら。
本当に彼女は悲しみを乗り越えられたのだろうか。
アリスは何かを考える様にゆっくりと目を瞑った。
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それから数日。
「そんなのは無理だ!そんなのは受け入れられない!!!」
そう叫んでアリスの私室を飛び出したのはブランクだった。
目の前の扉が急に開きブランクが飛び出してきたことに驚く王妃。ブランクが自分に挨拶もしないで走り去っていったことに怪訝な表情を浮かべた。
「どうかしたの?」
「いえ、ちょっと……」
「ブランクがあなたに歯向かうなんて珍しいわね」
「仕方ありません。悪いのは私ですので」
「あらあ…………何よ気になるじゃない。教えて頂戴」
どうせ教えてくれないと思い軽い気持ちで聞く王妃。
「ああ、―――――――――――――してはどうかと言っただけですよ」
「は?」
アリスの言葉に驚きのあまり口をぽかーんと開く王妃。
アリスは気怠げに手を上げると親指と人差指で開いたままの王妃の口を静かに閉じた。
まじか?と目で聞く王妃。
まじです、と目で頷くアリス。
「……あなたはそれでいいの?」
「王妃様はどう思われますか?」
「…………………………」
答えられない王妃にアリスは笑う。
「自分の中でやめておけという声も聞こえます。しかし……そうするべきだという自分の声も無視できないのです」
「そう……」
「でも、ブランク様があの調子では無理でしょうね」
「そう……ね」
二人の会話はそれ以降続かなかった。
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ブランクは飛び出した後、庭園に来ていた。
( あり得ない、あり得ない、あり得ない……………… )
「ブランクじゃないか」
「皇太子様、ルカ兄上」
声をかけてきたのは二人の兄だった。
「どうかしたかい?」
「別に何も……お二人こそ、疲れているような」
不貞腐れつつ、返された言葉に二人は力なく笑う。
「ハーゲ伯爵から会うたびに嫌味を言われるし、ラシアもナディアも冷たい目で見てくるし、もう本当に嫌になるよ。ま、自業自得だけど。あー!あの身体が恋しい!」
全然反省していないルカ。そりゃあ嫌味も冷たい目にも晒されるはずだ。だがそのメンタルの強さ、見習いたい。
「私の方はマリーナが部屋から出て、政務もしてくれるようになった。嬉しい……はずなんだけどね。でも、何か無理をしているような気がして……いつか儚く消えるような危うさがあるような………………なんて考えすぎかな」
「側室の話もすごいらしいですね」
「ああ、マリーナが元気になったからこそ遠慮なく声を上げる奴らがいてね。私の立場からすれば当然と言えば当然なんだが、話を受けて子供ができたら……マリーナはどうなってしまうんだろうか…………」
「断るのは難しいのですか?」
「うーん…………お前たち皇太子になるかい?」
「「いや、無理です」」
王になる教育をまともに受けていないのにそんな大層な立場になど立てない。残るはラルフ――今から教育すれば……いや、なんか王様という感じがしない。そもそもあの子自身が全力で逃げ回りそうだ。
「じゃあ、やっぱり受け入れるしかないかなぁ。王族は一人の愛する女性さえ幸せにできないものだねぇ。彼女の心を第一に考えたいのに、王族……いや、皇太子であるが故にそれが許されない。はは、世の男性からみたら複数の見目麗しい妻を娶れるなんて羨ましいことだよね。実に贅沢な悩みだ」
うんうんと頷く長兄をじっと見つめるブランク。表情は笑っているが、どことなく疲れが見える。
王族だから、皇太子だから。
自分は側室の子として王族という責任は兄たちよりも軽かった。嫌な思いもしてきたが、側室の子だからとあまり制限されなかった部分もある。
兄は自分の幸せ、愛する人の幸せを願いながらも重きを置いているのは国のこと。進む先が不幸であろうと国のためその道を選ばなければならないと思いつつ、でもそんな道を選ばなければならないことに心が疲弊している。
自分は不自由なようで自由で、幸せで………………。
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夜になり、ブランクはアリスの元に姿を現しこう言った。
「アリス、賭けをしよう」
身体を横たえていたアリスは無言で身を起こし、ブランクに視線を合わせた。
絡まる視線。
ブランクは口を開く。そして賭けの詳細を提示する。
それを黙って聞き終えたアリスは乗りましょうと微笑んだ。
穏やかに微笑むアリスにブランクは泣きそうになる。それを隠すように跪くと膝の上にあるアリスの手を取り自らの顔を押し当てる。
「私が勝つ……だから…………」
「ええ、きっとあなたが勝ちますよ」
どうするのが正しいのかわからない。賭け……天の意志に委ねるとしよう。
アリスは優しく膝の上にあるブランクの頭を撫でる。
願わくば、夫の勝利でありますように。




