16. 公爵と宰相①
王妃は一瞬ひきつった顔をしたものの宰相とジュリアと婚約の手続きを始めた。その間なぜかエレナとアリスも同席することとなったが、二人共にこやかな笑みを浮かべていた。……瞬きもせずに。宰相はまさに取ってつけた表情だとぞっとした。
終わった後エレナ、アリス、宰相、ジュリアは揃って王妃の執務室を出た。
「公爵、この後よろしければお茶などいかがでしょうか?」
「あら、こんなおばさんを誘ってくださるの?」
「どこがおばさんですか?昔から変わらずお美しいのに」
「あら~嬉しいわ。でも目尻とか口角にシワがね……」
「えっ……ああそうですな。……っ」ビクッ
ええ~目茶苦茶睨まれている。自分から言ったくせに。
「アリス、あなたもジュリアとお話ししてきなさいな。きっと嫁入り前に話すことができるのは今日で最後よ」
「そうですね……。ではお手をどうぞ」
すっとジュリアに向かって差し出された手に自らの手をのせるジュリア。アリスとジュリアは庭園に向かった。
「では我々も参りましょうか」
手を差し出しかけた宰相の動きが止まる。エレナがさっさと歩き出したからだ。慌ててエレナの後を追う宰相。彼らが向かったのは宰相の執務室だった。
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「で」
「で?」
「で?」
「で、とは?」
「で?」
「………………」
進まない会話に宰相の従者にひきつった笑みが浮かぶ。エレナの侍女はいつもと変わらぬ表情。
「もしかしてお怒りですか?」
「あら、特に瑕疵がない娘を婚約破棄されて怒らない親がいるのかしら」
「瑕疵がないわけではないと思いますが…………何でもありません」
エレナの凍てつく視線に言葉を撤回する。
「しかし公爵もアリスも皇太子との婚姻など望んでいなかったでしょう」
すっと宰相に向けられる視線。オスカーとアリスの婚約は王の懇願のたまもの。カサバイン家の始祖は何代も前の王の弟だった。その後たま~~~に王女や王子と婚姻することはあったが王家に入る人間はいなかった。王権強化にもってこいの存在だが今までは面倒という理由で王家に嫁入り、婿入りしなかった。
「アリスの趣味に付き合ってやっただけでしょう?」
「そうとも言えるけど、それだけじゃないわ」
宰相はジュリアが人より賢いこと美しいことを親ばかフィルター抜きにしても認識していた。しかし、アリスを見た時、そして成長していくさまを見たときにこれが天才かと度肝を抜かれた。
そして、天才とは変人でもあると悟った。
昔から変な子だった。他の兄弟は叱られていないのにアリスだけがよく叱られていることで使用人から無能のレッテルを貼られている公爵令嬢。
反撃する力はあるはずなのに反撃しない。不思議に思っていた時、公爵邸を訪れた際に彼は見た。アリスが廊下を歩いている時、使用人が彼女のスカートに向けてバケツを倒したのだ。
アリスのスカートの裾は濡れ、廊下には水溜り。ごめんなさーいと言いながらくすくす笑い、廊下を片付ける使用人。アリスはスカートを軽く持ち上げると自室に戻るため歩き出した。
そのとき彼女は笑っていた。宰相はえっ……虐げられることに快感を感じるタイプか?と思った。まだそのとき7、8歳、正直引いた。
だが気づく。なにか笑い方が違ったのだ。嬉しさの笑みではない………………
はっ!
あれは公爵の笑みだ。公爵がミスをした部下を見るときの笑みだった。
すなわちあれは嘲笑だ。
それに気づいた時彼はドン引きだった。
アリスと目が合う。アリスの目がくりっと丸くなったかと思うと笑みの形に変わる。人差し指を口元に当てたかと思うとシーーーーーと言ってかけていった。
ゾワッと鳥肌が立った。彼女はあの一瞬で悟ったのだ。自分が彼女の趣味に気づいたことに。わずか7、8歳の子供が。彼女は敵に回すべきでない、そう悟ったのだ。
「ちょっと聞いてる?」
昔の思い出に浸っているとエレナの不機嫌そうな声が聞こえてきた。
「ええ。アリスが(趣味がてら)生贄になってくれてたことはわかってますよ」
「……あなた本当にわかってるの?」




