134.ウロウロ
はぁ……
ルビーは家の中にあるテーブルの上に乗せた腕の中に顔を埋めながら大きな息を漏らした。そこには安堵と共に寂しさの響きがある。
トキが捕まった翌日、トキの姉にして甥っ子の母親が夫と共に顔を真っ青にしながら自宅にやってきた。外出時に階段から突き落とされたもののまさか弟が犯人だとは思っていなかったお姉さん。
弟の異常性に気づかなかった彼女はルビーに今までのお礼と弟がやらかしたことへの詫びを気の毒なほどした後
我が子を連れて帰っていった。
トキがああなった以上、甥っ子とルビーは無関係なので当然といえば当然。もともと怪我ももうすぐ完治ということで親元に返す予定ではあったが、こんな急にお別れというのは
心にぽっかりと穴が開いたような
なんともいえない気持ちである。
甥っ子が無事親元に帰ることができてよかったと思うべきなのだが…………
シーンと静まり返る自分以外誰もいない家の中にいると無性に寂しいもの。
ルビーは腕から顔を上げるとゆっくりと立ち上がった。
~~~~~~~~~~
はあ……
再び大きな息を吐くルビー。
彼女は現在王宮へと続く長ーい道の入口である門の前にいた。
この門はこんなに大きかっただろうか?
かつて王子の婚約者として出入りしていた時はそのように感じなかったのだが…………。
ここまで来たがやっぱり帰ろう。
ルビーは昨日助けてもらったのにお礼も言っていなかったことに気づいた。もしかしたら彼らの方からまた来るかとも思ったのだが、礼を言う身。
王宮まで来たのだが。
よく考えたらただの一平民が王族に会いたいからといって会えるわけもない。門兵に声をかけようとしてはいや、やっぱ無理とうろうろしているところだった。
門兵はチラチラとこちらを見てくる。不審げな目というよりも声をかけられたらどうしようというこっちくるなオーラを感じる。もしかしたらルビーのことを知っているのかもしれない。
やっぱり帰ろうと門に背を向けたとき馬車が近くに停車した。
「何をしている」
声をかけてきたのはこの国の宰相にして祖父の侯爵だった。窓から以前より少し老けた祖父が顔を出している。
「……お祖父様」
眉間に皺を寄せられたのを見てハッとする。
「申し訳ありません……宰相様」
更に深くなる皺。どうしろと?
………………は!
「昨日ラルフ様とオリビア様に助けて頂いたお礼を申し上げたく参りました」
「そうか」
皺がなくなった。幼き頃からわがまま放題だったルビー。厳しい祖父は色々と詰問してくるのだがまともに答えられたことは数回しかなかった。
さっきだって……相変わらず自分はだめだめだ。
「はい。ですが一平民が王孫にお会いしたいなどと無礼な行いでした。帰ります」
ペコリと頭を下げるもののなんの返事もない。
まさかの無視か。
家名に泥を塗った孫は相手にしないということか。目に涙が溜まるのが自分でもわかった。
泣くなと自分に言い聞かせる。
…………?
何やらボソボソと声が聞こえる。チラリと祖父を窺い見ると、ルビーは目を見開いた。
祖父が……
祖父が…………
紫色の美しい蝶に向かって話しかけているではないか!
まさかいろいろと心労が祟ってボケ……ゴホンッ。いや、蝶と話しているなど自分の見間違いだ。幻覚だ。
宰相がギロリとルビーを見た。
ヒエッ!
慌てて目を伏せるルビー。まさか心が読まれたとか……。
「馬車に乗りなさい」
?
冷や汗をかくルビーは祖父が何を言っているか理解できなかった。いや、厳密にいえば理解したくなかった。
「早く乗りなさい」
硬直するルビーを宰相は急かす。
嫌です!とは言えないのでノロノロと馬車に乗ると走り出したお馬様。馬車内はシーンとして手汗が止まらない。そして馬車も止まらない。止まりそうなのは息苦しい空間に耐えられない己の呼吸のみ。
いろいろと止まることなく無事馬車降り場につき、足を地につけたルビー。目の前にそびえ立つ王宮を見上げゴクリと唾を飲む。
懐かしい…………
と浸る暇もなく
ルビーの足元が急に光った。
!??????
目の前の光景が外から室内に切り替わる。ドッドッドッドッと心臓が早鐘を打つのがわかる。
だが、ゆっくりと呼吸しながら部屋を見回すと落ち着いてきた。
「この部屋は……」
なんとなく見覚えがあるこの部屋は王宮内のゲストルームだ。ボーと呆けるルビーの耳にバタバタと廊下を走ってくる音が聞こえてくる。バタンと開けられる扉。
「「ルビーちゃん!」」
飛び込んできたのは双子だった。
「ルビーちゃんが遊びに来てくれるの初めてね」
「何かあったの?」
オリビアとラルフが興奮気味にワクワクとした様子でルビーの顔を覗き込んでくる。
何かあったって――――昨日あんなことがあったのに。少し呆れてしまう。
「今日は昨日のお礼に参りました。ラルフ様、オリビア様、助けて頂きありがとうございました」
5歳の子供相手に深々と頭を下げる。息を呑む気配がした。ルビーを知っている王宮の侍女が驚いたようだ。
「ああ、そのことで来たの?」
「そんなの良かったのに。ねー」
「ねー」
双子はお互いの手を取り合いながらねーねー言っている。
「ですが……」
「王族が困っている人を助けるのは当たり前でしょう?」
オリビアの言葉にルビーは苦い思いがこみ上げてくる。自分は守ってもらって当たり前と考えていた。助ける?なにそれ?自分の役に立つことを光栄に思いなさいとさえ思っていた。
幼き日も……身体だけ成長したあのときも……。
ラルフとオリビアとは全然違う。
改めて思う。やはり自分には王族に嫁入りなど相応しくなかったのだと。
「お礼も言えたし、帰ります。お元気で」
これから忙しくなる。仕事を見つけなければ食べていけない。王族の相手をしている時間はない。少し寂しく感じる心に蓋をする。
双子はルビーのお別れの言葉に残念そうにしているが、色々と今後多忙になることを察しているのだろう。駄々をこねる様子はない。本当に賢い子たちだ。
流石、アリスの子供。
子供……自分もいつかトキとの間にと思っていたのだが、叶わぬ夢となった。
羨ましい。
美貌、賢さ、魔法、地位、優しい旦那様、賢く強い子供たち、人を見る目……いやもっと様々なものをアリスは色々と持っている。
自分にはないものをたくさん。
いや、人を羨んで何になるというのか。
これから大変なのだ。自分一人の力で生きていかねばならない。不安しかない。だが一歩踏み出して心機一転頑張るのだ。そう心に決めた。
はずだったのだが…………
「あら、私になんの挨拶も無しなんて寂しいわ」
懐かしい
美しい声が
ルビーを引き止めた。




