122.公爵の苛立ち
ルビーの家に行ってから数日後。ブランクはアリスと王宮の庭園にいた。
「ルビーは修道院でどのような日々を送っていたんだろうか」
きっと辛かったに違いない。でもこの前見たルビーは別人のように落ち着いたどこか優しい雰囲気を纏っていた。
「修道院へ行ってから色々あったみたいですね。良いことも悪いことも……我儘なところもありますが根は悪い方ではありませんもの。視野が広がりさえすれば私やあなたよりもまともでしてよ」
「…………なぜ君がルビーの生活を知っているんだい?」
「あら、覗き見は女性の嗜みですわよ」
「初めて聞いたよ」
「では一つ賢くなりましたね」
「………………人は変わるものなんだね」
あのとき自分にとってルビーは救いだった。でも今思い返してみると決して良い性格ではなかった。結婚した男にベタベタとくっついたり、妻を責めるように仕向けたり、普通はしない。まあそんな女性に引っかかったのは自分だが。
それがあんなに礼儀正しいサバサバとした女性に変わるなんて。人生とはわからないものだ。
「そう?どんなことがあっても変わらない人は変わらないわよ。ルビーさんはちゃんと自分を変える力がある女性だったのよ。あなたもね」
ふわり、と暖かい春の日差しのような微笑みをブランクに向けるアリス。思わず見惚れるブランク。
「アリス……」
「本当に素敵な奴隷に変わ……んんっ!素敵なパパさんに変わったわ」
「アリス……」
今がっつり奴隷って言っただろう。ジロリと軽く睨みつけると素知らぬ顔をされた。
「お話し中申し訳ありませんがブランク様。ちゃんと手も動かしてくださいね」
夫婦の会話に割り込むのは
「すまない公爵」
皇太子妃マリーナの父である公爵だった。
「いえ。ですが少々急ぎ目でお願いします」
公爵の言葉にブランクは慌てて手を動かす。
「それにしても公爵あなたも随分と厚かましくなってきたものね~」
「アリス様にだけは言われたくございません。お互い様というものです」
二人の間に火花が散ったのは気のせいか。
ところでこの3人がここで何をしているのかというと……
「……と言いたいところですが今回の件は私も被害者でございます。あの眉髭の傍迷惑な一言で決まったことですので」
「あっちもこっちも色々と尻拭いさせられて大変ね公爵も」
「あっちもこっちもにアリス様も入っていますからね」
色々とやらかすこの小娘に何度苦労させられたことか。
「はいはいわかっているわよ。だからこうして刺繍をしているじゃない」
そうアリスとブランクはハンカチの一部に小さな3つの花を刺繍していた。
王族である2人が刺繍している理由は公爵が言う眉髭――タリス男爵のせいだった。
おのれ眉髭……眉髭……とブツブツ言う公爵は丁寧にアイロンをかけている。そんな彼を横目で見るアリス。
「公爵、眉髭眉髭うるさいわよ」
「申し訳ございません。ですがあのような無能がのさばるなど…………ムカつくぅというものでございます」
「激しく同意するわ」
ニヤリと笑い合うアリスと公爵。
「しかしこの前の会議、アリス様にしては寛容な対応にございましたね」
「今は手札が揃ってないもの」
「ほう、手札にございますか」
「ふふっ」
「まあ、結果側室の件は先延ばしになり助かりましたが……」
愉しそうに笑うだけのアリスからこれ以上は何も引き出せないと思った公爵は閉口した。
そして思い出す。
胸糞悪い会議を。
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先日開かれた重臣会議のこと。
ただいま少々訳アリで王族の権威がゆらいでいた。そこで眉髭男爵が1週間後に孤児院や修道院、療養所へ配る支援品の一つであるハンカチに王族が自ら刺繍することを提案したのだ。
王族が民のことをいかに思っているかアピールするのだ、と。
公爵はなんとしょうもない、子供のままごとかと思ったのだが大多数の大臣が賛同したのだ。
公爵とハーゲ伯爵は猛反対したのだが、王家の名声を上げられるのにと言われてしまえばいつまでも反対はできない。王やルカ王子の後押しもあり最終的に押し切られてしまった。
まずい。
ハーゲ伯爵は青褪めた。
今王家、いや女の園である後宮は少し困った状況に陥っていた。
まともに政務をできるのは王妃とアリスだけ。
皇太子妃マリーナは体調不良。第二王子妃キャリーは第二王子であるユーリが伯爵家の商売に興味を持った為さっさと王家を出ていってしまった。新しく侯爵位を賜り現在夫婦ともにあちこちの国を飛び回っている。第三王子妃ラシアは実家に追いやられている。
王の側室にしてブランクの母ザラも体調が悪く、実家に戻っている。
ようするに人手が足りない状況だった。
そんな中、政務をしつつ1週間で何百枚もの刺繍など無理。じゃあどうすればいい?妃を増やせばよいのだ。
「ハンカチの件は決まったものの、王妃様とアリス様だけでは大変でしょうなあ」
タリス男爵が眉髭を触りなからニヤニヤと言う。やはりそう来たか!ハーゲ伯爵の瞳に怒りの炎が見える。
「おお、それであればルカ王子の恋人のクレア様を側室にすれば良いではありませんか!」
「それは良いですな!王族も助かり、ルカ王子の心も安らぐ」
「うちのクレアを側室になどと」
わざとらしく謙遜する男爵。ニヤニヤと口元は嬉しさを隠しきれていないが。
「やはり男にとって愛する人が側にいるというのは良いものですからなあ。ルカ様もお喜びになるでしょう!いかが思いますか陛下?」
他の大臣たちはルカの寵愛を受けるクレアが後々正妃になる可能性が高いと見て、男爵に媚を売ろうと必死なよう。
「う……うむ。公爵とハーゲ伯爵はどう思うか?」
問われた伯爵は公爵を見る。
ぎょっとする伯爵。
そこにはなんとも胡散臭い爽やかな笑みを浮かべる公爵がいた。
えっ……なんか気持ち悪い。
公爵の口が音もなく動いた。
『 じかんをかせげ 』
と。
「え、えー。皆様におかれましては我が娘ラシアがご迷惑を………………」
慌てて話し始める伯爵。それを確認した公爵は胸元についている鷲のブローチを一瞥した。




