118.眉髭男爵夫人登場
王の執務室で出されたお茶を口にするアリス。
「わざわざすまないな、アリス」
アリスの前に腰掛ける王が彼女に話しかける。
「滅相もございません」
「うむ」
「ですが」
ピシャリと強めの口調で放たれた言葉に王はギクリとする。
「せっかくの義父と義娘の時間に部外者がいるのはどうかと思いますが……」
ちらりと一瞬だけ斜め前……王の隣に視線を向ける。そこには先程出くわしたクレアの20年後の姿を思わせる女性が座っている。
「う、うむ……」
王の目が気まずげにキョロキョロと彷徨う。そんな王の代わりと言わんばかりに――――――
「部外者などと酷いですわ。私と陛下は夫婦同然ですもの。あら、そうなりますとあなたは義娘かしら?アリス?」
ふふ、と笑いを含む品性もなければ礼儀も弁えぬ不快な声が室内に響いた。
「ケ……ケイト。男爵夫人がアリスを呼び捨てにするのは流石に……」
王の顔に水の玉がいくつも浮かぶ。そうケイトは男爵夫人。先程の調子こいているタリス男爵の妻である。そして、王の愛人でもある。
「まあ!冗談に決まっていますわ!アリス様申し訳ございません」
ケイトは頭を下げる。ちっとも悪びれた様子はないが。
「でも……部外者と言われたり、味方になってくれなかったりと意地悪ですもの。確かに私は男爵夫人ではありますが、陛下の恋人でございます。私は誰よりも陛下に愛されている女ですのに……」
だからこそ誰よりも価値のある女。アリスよりも、そして王妃よりも。そう聞こえてくるのはアリスのみか。
「ケイト……」
労わるようにケイトの背を撫でる義父をアリスは冷めた目で見据える。そしてギロ、とケイトを睨みつける。あまり人に敵意を表すことの無いアリスには珍しいことである。
「陛下……怖いですわ」
そう言いながら王の胸に顔を寄せるケイト。それと同時に娘に負けず劣らずの大きさを誇るものが王の身体にむぎゅっと当たる。
王の鼻の下がだらしなく少し伸びた。
そして、
アリスが思いっきり鼻の下をにょーんと伸ばした。
王が慌てて顔を引き締めるとアリスの顔も戻った。
「アリス様!陛下になんという顔を向けるのですか!?不敬ですわ!陛下、お労しい」
何がお労しいだ。アリスの背後に控えているイリスは思うが無言を貫く。内心では大した顔立ちでもない、身体だけババアが色気づきやがって……滅、滅、滅と怒り狂っていたが。
「顔?今日鏡を見た時は奇跡とも言える美貌がありましたが。この国で誰よりも美しい美貌が。化粧無しでもシミ、シワのない美貌が!あら、いけませんわ。陛下にとっては王妃様の次に美しい顔でございますわね!ね?陛下」
「うむ、王妃もアリスもこの国で1、2を争うほど美しいぞ」
王の言葉に満足気に頷くアリスをケイトは凄い形相で睨みつける。彼女の顔立ちは中の上といったところだから。
ケイトのシワが……
怒りでヤバいことになっている。
それはさておき。
「陛下、私に何かお願いごとがあるとか」
「その……クレアをルカの側室にしたいと思うのだが、王妃と公爵とハーゲ伯爵が良い顔をしなくてな」
そりゃそうだ。
夫の愛人の娘を大事な息子の妻にしたい女がどこにいるというのか。
娘の夫に他の女を……喜んで!なんて思う父親がどこにいるのか。
公爵はまあ……能力のない調子に乗った馬鹿は嫌いなようだ。
「ルカ本人が是非クレアをと望んでいるし、クレアもルカを慕ってくれておるだろう?側室に迎えても問題ないと思うのだが……」
側室ねえ?そこの母親はそれでは納得していないようだけれど。顔怖っ。
「タリス男爵も頑張ってくれているし、王族の力となってくれるはずだ」
そうか。妻と娘を王族に差し出すのが力となるということか。うんうん、子孫繁栄は大事だものね。
いや、それ男爵いらないし。妻と娘がいりゃいいじゃん。
彼自身何をしたというのか。政治的になんの役にも立っていない。彼に与えられた役職は昔血筋だけが良いバカ貴族にそれなりの地位は与えたい、でも仕事はさせたくないと作ったもの。即ち給料・地位泥棒だ。
「……アリス?」
「少々考え事をしておりました。失礼いたしました」
「なんて、無礼「私は」」
無礼と非難しようとするケイトの言葉に被せるようにアリスは言葉を紡ぐ。ケイトは王がアリスを諌めるのを期待したが何も言わぬ王にムッとする。
どこまでも自分勝手で身の程知らずの女だとアリスは思う。そんな者にいつまでも時間を割く必要はない。
「私はダイラス国に嫁いで以来ザラ様はもちろんのこと、王妃様も本当の母と思っております。母達が困ったら手を差し伸べ、苦しいときには支える。今後ともそれを変えるつもりはございません」
「アリス、だが……」
「ダイラス国の王族として国の繁栄も忘れてはおりません。公爵、ハーゲ伯爵はこの国において、なくてはならぬ忠臣。彼らとは協力関係でいなくてはなりません」
王とてわかっている。わかっているが愛しいものを側に置きたい。彼女の願いを叶えたいと思うのはいけないことだろうか。身体……ごほんっ!心に安らぎがあってこそ良い王、王子でいれらると思うのだが……。
不服そうな表情をする王をアリスは見つめる。
王は愚かではない。
しかし…………時に恋とは人を愚かにする。
王は暫く無言を貫いた後、とりあえず側室の件は保留にしようと呟いた。
そのときのケイトの顔はなんとも面白かった。
まさに、ガーンという表情だった。そのまま顎が外れてしまえばいいのに。
まじまじとケイトを見るアリスに視線を合わせぬまま言葉を紡ぐ王。
「ア……アリス。その……王妃にネックレスを贈りたいと思うのだが、少々金が足りなくてな。…………少し貸してくれぬだろうか?」
「構いませんよ。後で持ってこさせます」
「すなんな」
「それでは失礼致します」
「…………ふふっ」
王とアリスのやり取りを堪えられぬとばかりに笑い声を漏らすのはケイトだ。扉に向かっていたアリスはチラリと背後にいる彼女を見やる。いや、正確には首元を。
キラリと光るダイヤモンドがふんだんに付いたネックレス。愛人に貢ぎすぎて本妻に割く金銭が足りぬとは――――。
王の執務室を出て廊下を歩くアリスは思う。
恋というものは……人を狂わす。
それが良い方にいくのか悪い方にいくのかはわからぬものだ。
良い方に傾けば良し。
だが、現在の王室は?
急に立ち止まったアリスを見てイリスはゾッとした。
アリスが
――――――――――嘲笑っていたから。




