112.胸にしまう
ルビーだ。
ブランクはまじまじと彼女を観察する。
結構老けているがルビーだ。いや、アリスが老けていないからそう感じるだけかもしれない。彼女を最後に見てから7年程経っているのだ。
彼女は目を伏せたまま口を開く気配はない。
「……えっ……と久しぶり……。あっ!この子達私の子供達で……えっと……ルビーもしかして保護してくれてた?」
ヤバイ、動揺でうまく言葉が出てこない。格好悪いところを見せてしまった。ちらりとルビーを伺うが特に気にしている様子はない。
「お久しぶりでございますブランク様。迷子かと思い声をかけましたがアリス様のお子様であれば不要でございましたね」
ブランクの問い掛けに目を合わすこと無く頭を下げたまま話すルビー。ブランクはその落ち着いた様子に、以前の彼女からは考えられない低姿勢な言動に、目を見開いた。
「他人……行儀だね。せっかく久しぶりに会ったんだし、気軽に前みたいに話してくれても……」
「私は今平民です。王族の方と話すなど滅相もございません。失礼致します」
一度も目を合わさず足早に去っていくルビー。
それを見送る3人。
双子はお姉ちゃんありがとう、またね~などと言っているがルビーは振り返らず去って行く。
「お父様、あのお姉ちゃんとお友達なの?」
「えっ?ああ、そうだな友達……。以前、誰よりも大切だと思っていた友達だよ」
「えっ!浮気!?」
オリビアが叫んだ。
「浮気!?お母様と修羅場ったの!?」
続けてラルフが叫んだ。
「違うよ」
はは、と笑うブランク。
あれ?違う……違うよな?
ルビーの味方ばかりしてアリスを蔑ろにした。それは間違いない。心の浮気?
いや、でも浮気とは不貞行為だよな?肉体関係は結んでいないし口同士を合わせたことすらない。
……うんギリセーフだ…………うん…………というか
「君たち浮気や修羅場という言葉をどこで知ったんだい?」
「この前王妃様のお部屋のドアが開いていてね。そのとき王妃様がおじい様に浮気野郎って叫びながら枕をたたきつけていたの。そのときエリアスが修羅場ですねって言っていたわ」
すごい迫力だったねーと楽しそうに語るオリビアとラルフ。
「ははっ……そうだったんだね」
今度から扉はきちんと閉めるようにお願いしておこう。
「じゃあ帰ろうか」
「「うん!」」
――――――――――
「みたいなことがあったんだよ」
「そうですか」
夜、アリスとブランクの寝室にて髪の毛を梳かしているアリスにブランクが王宮の外であった出来事を話していた。
「久しぶりに会った愛しの君はいかがでしたか?」
「今はもう愛しの君ではないけれど。そうだなあ……老けていたよ」
あれだけ夢中になっていた相手に薄情というのか、失礼なやつだ。だからこいつはもてないんだとアリスは思う。
「あなたも老けていますからおあいこですよ」
「えっ!?」
「特に生え際あたりが」
「えっ!?」
慌てて鏡で生え際を確認するブランク。
「冗談ですよ」
「勘弁してくれ」
夫の安堵したような情けない表情を見てアリスは軽く笑う。アリスの笑みを見ていたブランクはゆっくりと話し出す。
「彼女にあのときのような特別な感情はないけれど……。別れ方があまり良いものではなかったし、2度と会えないと思っていたから。会えたのも何かの縁だと思って少し話でもと思ったんだけどね。逃げるように去っていってしまったよ」
少し寂しげな様子のブランクにアリスは
鼻で笑った。
「そりゃそうでしょうよ」
「え?」
「あれだけ自分に夢中になり言いなりになっていた人間に落ちぶれた姿を見られるなんて屈辱以外の何物でもないでしょうに」
「いや、でもなんかすごい礼儀正しくなってたし……大人になった感じがしたよ。屈辱とか感じているようには見えなかったけれど」
「従姉妹が優秀だったからか彼女本人も周りも気づいていないようですが意外と頭が良いんですよ。王子妃教育も可愛く見せようとわざと手を抜いていたようですし。生意気ではありましたが使用人に手をあげたことも、どこかの令嬢を没落させたこともない。正気に戻れば賢い常識人ですよ」
頭が良い……ルビーと結びつかない。
「平民の姿であなたにベタベタしたり、親しげに話すような品のない行いをすることはルビーさんのプライドが許さなかった。身分、金、あなたの愚かな愛があったからこその過去の所業。所謂調子に乗っていたというやつですね。修道院でこき使われ現実が見えたのだと思いますよ」
「現実……か」
あのときは自分たちを主役とした理想の世界で生きていた。まあルビーの王子様はルカ兄上だったが……。あのままあそこに囚われていたら今の生活はなかった。
「あら、ベタベタされなくて残念でしたか?」
黙ってしまったブランクをアリスはからかう。
「えっ!?いや、そんなことはないよ……でも、元気そうな姿を見ることが出来て嬉しいと思った。自分も愚かな行いをしたけれど今ではこんなに幸せな日々を送っている。彼女が少しでも穏やかな生活を送れていたらいいなと思っていたから」
まあそんなのは綺麗事だ。
我儘いっぱいの貴族生活を送っていた彼女が辛くないはずない。それはわかっている。でも修道院から逃げ娼館送りや自ら命を……などという事態もあり得ることだと思っていた。だからといって手を差し伸べたり彼女の様子を探ることをしなかったのは
自分の弱さ故――――だ。
本当に自分は情けない。妻のアリスは人を助け、生かす力があるというのに。自分には何の力も無い。勇気もない。アリスは本当に自分には勿体ない妻だ。本来なら離れるべきなのかもしれないが彼女が夫でいることを子供たちの父親でいることに何も言わないことに甘えてしまっている。
自分はアリスに何をしてあげられるのだろう?
「……あなた、聞いてます?」
アリスが呆れた顔でこちらを見ていた。色々と考えていたらアリスの言葉を聞き逃してしまったよう。
「すまない聞いていなかった。もう一回言ってもらえるかい?」
「素直で宜しい」
にんまりと笑うアリス。
「あなたとルビーさんの縁は切れたのです。相手に一方的に利用される縁でしたが」
ブランクの心にグサッと言葉のトゲが刺さった。
「それでもあのときあなたがルビーさんに向けた思いは本物でした」
ブランクはのろのろと顔を上げた。
「ルビーさんはあなたの中では最も美しく華やかなお姫様のような存在として在りたいと思っていることでしょう。ですから今日平民の彼女と会ったことはそっと胸の奥にしまうのが優しさですよ」
「わかった」
確かに自分に夢中だった男に落ちぶれた姿は見せたくないものかもしれない。
ルビーと会ったことはそっと胸の奥にしまっておこう。




