76 誰の女
「くっそ、調子乗りやがって」
千夏を囲む男の一人がいらだちを言葉に乗せる。倒れた仲間を見ては任侠映画の見過ぎでは無いかと言うほどに、「落とし前」と称し、千夏の体を嘗め回す。
千夏の生来のスタイルの良さに加え、ボクシングで鍛えた引き締まった体は健康的な美を連想させる。それでいて女性として出るところは出ている彼女の体は、世の男性陣にとって蜜のごとく魅力的なものだ。彼女の弾む吐息と動いたことで朱に染まった頬が、更に彼女の魅力を増幅させる。
望んではいなくても男を引き寄せる彼女の体は、さながら木に塗られた蜜、そしてそれに群がるは有象無象の虫だ。それも質の悪い、観賞用にもならない虫だ。千夏は迫ってきた男の一人を避けると、続いて迫りくる男のみぞおち付近に腰の入ったフックをお見舞いする。
うめく男を見下しながらも千夏は、このままではじり貧だと舌打ちをした。
もともとスポーツボクシングを中心にトレーニングをしていた彼女にとって、多対一は未経験。なかなかに難しかった。加えて相手は同性ではなく異性、対格差もある以上、先ほどの不意打ちが利くとは思えない。さらに困難だったのは男の中に格闘技経験者がいたことだ。それも同種。対格差がある以上、勝つのは難しい。
「手当てしてもらわないとなぁ」
倒れた仲間を見ながら、男たちが笑う。
「手取り足取り、ご奉仕してもらおうか」
千夏を逃がさないと後ろに回った取り巻きの男が、鳥肌の立つような気味の悪い笑みを浮かべる。
「早く楽しみたいぜ」
ボクサー男の傍に立つ男のいやらしい手つきに、千夏は汗を浮かべる。
周囲を見ても、助けは期待できない。警察沙汰もごめんだ。入社したばかりなのに、問題を起こしてしまっては、せっかく考えた企画がぱぁになってしまう。
「とった!」
後ろからタックルを仕掛けてきた男をとっさに横に動いて避けた千夏であったが、意識外からの攻撃に転倒してしまった。先ほどみぞおちを殴られうめき、倒れた男が背後から千夏の足首を掴んだのだ。
前に出そうとした足を掴まれたことで、千夏の重心は崩れ前のめりに転倒してしまう。可愛らしい悲鳴をあげ、すぐさま後ろを見た。「いい景色だ」と舌なめずりをして笑う男に、彼女の背にナメクジが這ったような、ぞわぞわと寒気がする。
「くっ、セクハラ!」
掴まれていないもう片方の長い足で千夏は足を掴む男の顔を蹴った。けれどその攻撃は予期されていたのか、あっさり手でふさがれてしまう。そうなれば形勢は更に悪化し、千夏は両足を男に拘束されることになった。
周囲にいまだ残っていたギャラリーがざわめくも、関われば自分がターゲットにされると思っているためか、ただ見るだけしかしない。千夏はそんな現状に苛立ちを覚えつつ、けして弱音を含んだ表情を一切見せない。
「女一人に、ひどい仕打ちね」
集団なんて格好悪いと千夏は笑うと、リーダー格の男も千夏を見下しながら笑った。
「いいねえ、その表情。おい、さっさと連れて行くぞ」
千夏の背後から羽交い絞めにするように、別の男の腕が絡まっていく。そしてその腕は彼女の胸をがっしりと鷲掴みにした。デリカシーも優しさもない、乱暴な手つきだ。
「この、やめろ!」
胸に触れようとする男の股間に千夏は鋭い蹴り、パンチを入れようとするも、手足のふさがった千夏に抵抗は難しい。尚も胸を揉もうとする背後の男に対し、千夏は後頭部で頭突きをした。
背後の男は鼻を打ったのか、鼻血を出しながら、呻きながらも彼女からは離れない。
「こんないい女、久々だからな」
はぁはぁと荒れる息が気持ち悪い。千夏は寒気を覚えると同時に、こんな場所で堂々と犯行に及ぼうとする男たちが、信じられなかった。千夏の反攻に対し、リーダー格の男が千夏の髪を掴んで警告をした。
「いいねえ、勝気なのは。俺の好みだ」
「ちょ、やっ」
シャツの中に手を入れてきた男に対し、千夏が初めて焦りを見せた。身をくねらせ男から逃れようとするも、男たちに囲まれた手前、逃げることは不可能だった。慌てて大声で助けを呼ぼうとするも、背後から口に猿轡代わりにタオルを巻かれ、声を出せずにいた。
やられる、そう思った千夏のこめかみに汗が流れる。自分を見下す男たちに、気が付けば涙目になって暴れる自分がいた。千夏は誰でもいいから助けてと、声を大にして叫ぼうとした。
「ん゛ー!」
そんな助けを求める様にじたばたする千夏の頬を、男は叩いた。そしてその男の側頭部に、純がヤクザキックを放った。
仲間が蹴倒された事で男たちは千夏ではなく、その発端となった男を見た。
息を切らして男たちの輪に入ってきた純に対し、チンピラじみた男が「なんだぁ兄ちゃん、仲間に入れてほしいってか?」と笑い出した。そんなチンピラの頭を純は掴むと、そのまま地面に向けて押し付けた。後頭部からアスファルトにたたきつけられ、情けないうめき声と共に意識を失ったチンピラを見て、その仲間たちの雰囲気が変わった。
「何してくれてんだ、兄ちゃん」
「アニキ、慰謝料もんだぜ、イシャリョー」
千夏を抑えている三下のようなチンピラの一人が、口悪く純をののしる。リーダー格の男も千夏を仲間に任せ、純と向かい合う様に対峙した。
「なんだ、兄ちゃん文句でもあるってか?」
典型的な脅し文句と共に、ナイフの様に鋭い視線が純に突き刺さる。だが純はけっして動じることはなかった。たかがナイフにかまう暇はないと、その奥にいる千夏を捕まえている男の方をじっと見た。純の怒りに、千夏はこんな顔をするのかと驚くと同時に嬉しさを覚える。純は目の前のリーダー格の男を押しのけ、千夏を捕まえている男を見下した。
「誰の女に手出してんだ」




