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第57話 島津義久と亀寿(解説編)

 木下小一郎(史実で言えば、豊臣秀長)に触れた以上、この世界の日本の首相にも触れない訳には行かない、という考えが浮かんだことから、まずは島津義久に触れることにしたのですが、その一方で、本編で義久について、余り描いていなかったことから、義久の娘の亀寿にも触れることにしました。


 それに、本編において、亀寿と伊達政宗(及び広橋愛)が、日系植民地問題等で色々とやり取りをしているのも踏まえることになる、という考えが浮かんだのもあります。


 まず義久について述べるならば、まとめ編でも描きましたが、皇軍と島津家の初接触以来の因縁から、義久にしてみれば「皇軍関係者」は宿敵と言って良い存在でした。

 そんな背景もあって、「皇軍関係者」と縁を結んだ織田信長は、義久にしてみれば宿敵で、島津荘の縁も相まって、近衛前久と義久は積極的に手を組んで、反労農党の面々を集めて、保守党を結党することになります。


 更には北米独立戦争の流れも相まって、1582年の衆議院総選挙の敗北から、信長率いる労農党主導の政権は崩壊し、義久は保守党を基盤とする政権を樹立することになったのです。


(尚、前久にしてみれば、二重に臍を噛む事態が起きました。

 実は織田(三条)美子らが煽ったのですが、衆議院を制した者が首相に成るべきだという世論が強まったことから、義久が首相に成るのが相当、と正親町天皇が主張することに。

 それならば、内大臣に居座ろうと前久はしましたが、これ又、これまでの慣例から、宮中と政府が手を組むのは良くない、と世論が煽られて、新内大臣は九条兼孝が就任する事態が起きたのです)


 そして、義久政権樹立後に北米独立戦争からの国力回復の為に軍縮を進めていたら、ローマ帝国の建国、勃興が起きて、日本も軍拡する必要が生じるとは。

 そういったこともあって、1590年に保守党は選挙に敗北し、義久は首相を辞任するとは。

 大体の仮想史モノにおいて、島津と言えば好戦的なイメージがありますが、私の世界では何故か平和主義で、外国の軍拡、戦争に翻弄される義久になってしまいました。


 そう言った政治状況下でしたが、義久の家庭事情は史実に准じて、娘3人には恵まれますが、息子に恵まれないことになり、義久は三女の亀寿の婿に、自らの甥、弟の義弘の息子の久保(その死後には忠恒)を迎えて、婿養子にしますが。

 史実に縛られ過ぎ、と言われそうですが、亀寿夫妻には子どもが恵まれない事態が起きます。


 そういった状況に、伊達政宗や上杉景勝が介入したことから、1598年に義久は政界から引退し、亀寿が父の跡を継いで、衆議院議員になります。

 又、亀寿の夫の忠恒は外国勤務を続けて、現地妻との間で子作りに励み、結果的に光久らの子どもに恵まれることになります。


 その一方で、亀寿は私の筆が奔った結果、本当に豪快な女性議員になっていくことに。

 考えてみれば、1598年に初当選していて政宗よりも一期下の議員なのに、1606年から1614年に掛けては副首相兼蔵相を務めるとは。

 幾ら父から譲られた保守党最大の島津派の領袖だったとはいえ、三期目の議員が副首相とは出世が早過ぎで、政宗が亀寿を陰で羨んでいてもおかしくない気がします。


 本編小説中で、日系植民地の自治領化やユーラシア大陸横断鉄道建設の為の資金調達等、それなり以上に仕事が出来る描写をしているので、亀寿が活躍してもそうおかしくはないのですが。

 本当に若くて切れる女性政治家になったモノだ、と思われてなりません。


 そして、伊達政権は1626年まで続いたことが暗示されていますが、1626年に亀寿が政権を奪還したのか否かは、作者の私は読者の御想像にお任せします。

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 日本の国政のトップに登り詰めながら当時の皇軍の物語の表看板は初代美子さんな上にそれに対するライバルキャラは北米ローマの海外勢や国内では何かにつけて目立つ策動をする近衛前久さんが配置され完全に影の薄か…
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