表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
47/61

第47話 木下藤吉郎(まとめ編)

 改めて新話の投稿を開始します。

 木下藤吉郎 1537年生、1569年没、(第3部から第5部まで登場)


 尾張出身とされるが、確実な一次資料が無く、生年等にも疑問が呈されることがある。

 そもそも出生自体が「皇軍来訪」以前であり、「皇軍来訪」によって戸籍資料が整備されたという事情があるためである。

 その為に戸籍編成の際の届け出が、そのまま戸籍に反映されている事態が多発しており、戸籍の信憑性が欠ける時代なのも、そう言った主張に信憑性を持たせる事態を起こしている。


 だが、実弟になる木下小一郎が首相を務めており、更に木下小一郎が兄の藤吉郎について、

「木下藤吉郎は、1537年に生まれた同父母兄で、尾張で生まれ育った」

と公言していることから、それを最大の根拠として、尾張出身で1537年生まれが通説になっている。


 さて、弟の木下小一郎等の証言を主に頼りにして、藤吉郎の日本での生活を述べるならば、実父になる木下弥右衛門が1543年に亡くなったことから、実母の仲は竹阿弥と再婚した。

 だが、藤吉郎は継父になる竹阿弥と折り合いが良くなかったこともあり、小学校(この当時の小学校は4年制)を卒業して早々に家を飛び出して、この当時、大工事が行われていた濃尾三川改修の飯場で住み込みで働くようになったという。


 そこで、若年ながら徐々に頭角を現していき、1552年に濃尾三川改修工事が完工する頃には、作業員の中で小頭といってよい立場にまで出世していた。


 更に同じ頃に行われた日本のポルトガル領セイロン島侵攻作戦の結果、ポルトガル領セイロンが消滅し、更にセイロン島の仏教、ヒンドゥー教の宥和を図る一環として、セイロン島のポロンナルワの大復興事業が行われることになった。

 その為に必要な灌漑設備の大改修工事が行われることになったことから、藤吉郎は日本を旅立ってセイロン島に赴いた、とされる。


 そして、ポロンナルワの大復興事業に1556年頃まで従事した末に、藤吉郎はエジプトのスエズ運河開削等に他の者と共に赴いた。

 そして、ポロンナルワでお寧と結婚したとされる。


(尚、お寧と木下藤吉郎の結婚だが、これ又、複数説があり、お寧の実家の杉原家等の主張に因れば、藤吉郎が無理に関係をお寧と持って、醜聞にならないように泣く泣く結婚を認めたとのことだが。

 木下小一郎等に因れば、相思相愛の末に二人は結ばれたとされている。

 この辺り、お寧が戸籍上は1549年生とされていることもあって、杉原家等の主張が正しい、とされることが多いが、小一郎等に因れば、戸籍が誤っていて、1542年頃にはお寧は生まれていたとされており、真実は闇の中である。


 実際、ポロンナルワで藤吉郎とお寧が結婚したというのは、杉原家も認めるところであり、それからすれば、杉原家の主張に従えば7歳でお寧は結婚したことになり、小一郎等の主張の方が正しく見える。

 尚、戸籍上は1563年に藤吉郎とお寧は結婚している)


 そして、エジプトでスエズ運河開削に携わる中で、当時のオスマン帝国のジズヤ(人頭税)等に因る日本人差別に、藤吉郎は徐々に不満を溜め込んだ末に周囲を扇動し、オスマン帝国に対する叛乱を使嗾することになった。


 その藤吉郎の行動の果てに、1568年に浅井長政を旗頭とするエジプト独立戦争が起きた。

(尚、藤吉郎以外にも、それなり以上の面々がエジプト独立に加担していたが、藤吉郎が首魁と目されて当然の立場だった)


 このエジプト独立戦争に日本が介入した末、エジプトがオスマン帝国から半独立するのが認められたが、藤吉郎は叛乱の首魁として文字通りにクビが飛ぶことになった。

 そして、大罪人として墓の建立さえも認められず、妻のお寧は嘆くことになった。

 

 ご感想等をお待ちしています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
 史実の秀吉の木下藤吉郎時代を皇軍来訪の尺に収めたら史実以上にアグレッシブな人生になってるの凄い!(´⊙ω⊙`)ハタチ前にはひと旗上げて会社を起業し海の向こうのポロンナルワ•スエズと足を伸ばしてるのは…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ