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第46話 上里(鷹司)松一(解説編)(おまけ)

 本来からすれば、まとめ編が2話になって当然なのですが。

 そんなことをしたら、余りなことになると作者の私が考えたことから、事実上のまとめ編の下が、解説編になりました。


 何しろ、まとめ編で詳細を書けなかったことが多々あるのです。

 上里(鷹司)松一ですが、最終的には陸軍大将に栄進しました。

 そして、退役後は内大臣を務めるという栄誉を松一は果たすのですが。

 それは、本編完結後の遥かな未来のことです。

(何故にそうなったのか、そこまで具体的な話を描くとなると、数万字は掛かるので、平にご寛恕を)


 後、鷹司教平も、後光明天皇陛下の異父兄になるのでは、という指摘がありそうですが、妻が九条幸家の娘であり、又、松一のようには政治的才能が無いこと、それに1668年に薨去したことから、長命した松一が摂家の最長老としても、重きを置かれることになったのです。


 そんなことから、まとめ編については色々と考えた末に、又、削れるところは削って、何とかまとめるという事態が起きました。


 尚、この世界の七摂家の当主の相続関係ですが、史実の五摂家の相続関係をそれなりに参考にしており、御都合主義にも程がある、という代物ではない、と作者の私としては明言します。

 史実でも1700年代初頭には、鷹司教平の男系の孫4人が、鷹司、九条、二条、一条の4摂家の当主となっており、近衛家当主の近衛基熈が一人で、他の四摂家と対峙する事態が引き起こされています。

 そうした事情から、この世界では、近衛家が単独で、鷹司、九条、二条の三摂家、上里、松殿、一条の三摂家と鼎立する事態が、1700年代初頭には引き起こされることになりました。


 後、細かいことを言えば、松一が内大臣を務めたのは、広橋正之が首相を務めた後になります。

 というか、恐らく広橋正之が首相を退任するどころか、政界を引退した後で、松一は内大臣を務めることになりそうです。

 この世界の日本の政治家は、それこそ60歳を過ぎたら、引退するのが、いつか恒例になっています。


 この世界の代々の日本の首相を考えていくと。

 織田信長 1534年生、1574年、首相就任、1582年、首相辞任、1595年没

 島津義久 1533年生、1582年、首相就任、1590年、首相辞任、1611年没

 木下小一郎 1540年生、1590年、首相就任、1598年、首相辞任、同年没

 二条昭実 1556年生、1598年、首相就任、1606年、首相辞任、1619年没、

 尼子勝久 1553年生、1606年、首相就任、1614年、首相辞任、?年没

 伊達政宗 1567年生、1614年、首相就任、1626年、首相辞任、1636年没

とこんな流れになります。


 こうして表にしてみると、一目瞭然です。

 そして、1601年に広橋正之は産まれている以上、1660年頃には首相を辞任しているのが、自然な流れになります。

 一方、上里松一は1610年生まれ、陸軍大将まで栄達して退役ですから、退役軍人になるのは1660年代半ば以降になります。


(現実の日本より、首相が若過ぎ、政治家引退が早過ぎ、と言われそうですが、この世界の日本の首相は世界を駆けまわる必要があるので、60歳を過ぎると、お歳を考えては、と批判されるという事情が。

 それに人口増が続いていて、この世界は、若い人が多い社会というのもあります。

 尚、内大臣は宮中専任ですので、別に60歳代でも構わないのです)


 そんなことを、書いて、上里松一に関する解説を終わりにしたい、と考えます。


 それから、余談に近い話になります。

 質問等が来る前に、ここで述べますが。

 美子中宮の陵墓ですが、本来ならどうなったのか、を書くべきなのですが。

 どうにも書けなくなってしまって、読者の御想像にお任せします。

 

 本来ならば、美子中宮の本人の意思が尊重されるべきで、その通りになるのが筋ですが。

 考えれば考える程、周囲の意見が割れて、私の脳内の収拾がつかなくなりました。


 美子中宮自身は、夫の後水尾天皇陛下と千江皇后陛下の御傍に死後もいるのもどうか、それよりも最初の夫の鷹司信尚の傍に遺骨を納めて欲しい、と遺言を残しそうですが。

 後水尾天皇陛下は、死後も美子と共に眠りたい、と遺言を残しそうです。


 そして、美子中宮と後水尾天皇陛下との間の子や孫、今上陛下等はやはり後水尾天皇陛下の意思を尊重したい、というでしょうし。

 一方、鷹司(上里)松一を始めとする摂家の面々は、自分達が鷹司信尚の子孫であることも相まって、母の美子中宮の意思を尊重すべし、と言うでしょう。

 更にややこしいことに、文子内親王殿下を始めとする後水尾天皇陛下と千江皇后陛下の間の子や孫らにしてみれば、両親の傍に美子中宮が眠るのは余り喜ばしいことではなく、それも相まって摂家に味方しそうな気が。

 日本の国内外の世論も酷く割れる気がします。


 本当にこのような場合、どうなるのか。

 作者の私が悩んでしまい、どうにも書けませんでした。

 これで、一応、完結させます。


 ご感想等をお待ちしています。

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― 新着の感想 ―
 兄が自身より先に亡くなり一門の最長老格になる流れまで松一くんは藤原道長さんと似たような経歴なら「御堂関白」に擬されるのも「さもありなん」だけど還暦近くまで生きた鷹司教平さんは早世と言うほどでも無いの…
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