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第36話 徳川家康(まとめ編・上)

 暫く執筆を中断した為か、徳川家康の話が、どうにも微妙な代物に。

 どうか、緩く見て下さい。

 徳川家康 1543年生 1616年没 (第2部から第14部まで登場)


 最初の頃の名は松平竹千代だったが、元服(成人)後は正妻の養父になる今川義元にあやかり、松平元康と名乗るようになった。

 更に後述する事情によって、最終的には徳川家康と名乗るようになった。

 又、「北米共和国建国の父」との異名があるのだが、その一方で「北米共和国建国の母」とされるのは武田(上里)和子なので、建国の両親が北米共和国の国内政治においては宿敵になるという事態が引き起こされており、日本やローマ帝国等からはこのことについて揶揄されることが多い。


 さて、元は三河の国人、松平広忠の長男として生まれた徳川家康だが。

「皇軍来訪」によって父の広忠は没落することになり、1546年に広忠の義兄になる水野信元と共に新天地として北米大陸のカリフォルニアを両親は目指した。

 この時に幼児だった家康は、太平洋横断の航海についていくのは困難とされて、両親と別れて随念院(祖父の松平清康の姉)に育てられることになった。


 そして、広忠夫妻と水野信元は、順調にカリフォルニアの開拓を進めたのだが、1549年に広忠は病死(異説アリ)したことから、広忠の遺産を相続するために、家康はまだ幼児の身で急きょカリフォルニアに向かうことになった。

 更に難儀なことに、当時のカリフォルニアは急激に開拓、発展を行っている真っ最中で、子どもを産んだ経験がある若い女性(ちなみに広忠の妻の於大の方は1528年生)は、結婚相手が引く手数多というのが実情だった。

 こうしたことから、広忠の妻の於大の方は、家康がカリフォルニアに到着する前に、久松俊勝と再婚しており、その為に、後々まで家康と実母の関係がこじれることになったと伝わっている。


(この当時、手紙でのやり取りしか、日本本国とカリフォルニアの連絡手段は事実上は無かった。

 その為に広忠の死から、家康がカリフォルニアにたどり着くのには1年以上も掛かる事態が起きてしまい、そこまで時間が掛かった関係から、於大の方と久松俊勝が結婚し、於大の方が異父弟を出産した後で、家康がカリフォルニアにたどり着く事態が起きたのだ)


 その一方で、1551年にカリフォルニアで黄金が見つかり、1552年以降にゴールドラッシュが引き起こされたことは、日本からカリフォルニアへの大規模な移民の波を引き起こすことになった。

 そうした状況から、今川義元はかつての松平家との因縁を活用して、自らの姪の瀬名を自分の養女にした上で家康と結婚させて、更には東海地方や甲信、南関東の諸勢力(具体的には武田氏や北条氏等)と協力して、北米大陸西海岸で利権を確保しようと画策した。


 これは家康にとって、必ずしも悪い話では無かった、とされている。

 実際問題として、松平家の力だけではカリフォルニアの旗頭になるのは、様々な意味で困難だった。

 だが、今川義元との縁ができて、更に義元の甥になる武田義信と和子夫妻がオレゴンへの入植を試みることにもなって、松平家はカリフォルニアの旗頭といえるようになったのだ。


 そして、この頃から移民の増大によって、日本の北米植民地はロッキー山脈を越えて無秩序に近い急激な拡大が行われることになったが。


 今川家は日本国内では有力者であり、その縁者ということから、北米植民地の日系植民者の間では最有力者の地位を引き続き松平家は維持し続けることになった。

 更に言えば、1562年から始まった日本対スペイン戦争において、スペイン軍に家康は勝利を収めたことから、対スペイン戦争の英雄としての声望をも勝ち取ることになった。

 その一方、妻の瀬名との仲は徐々に冷えていき、後に破断することになる。

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― 新着の感想 ―
徳川家康さん、皇軍来訪世界でも、それなり以上に苦労しているけど、史実世界での苦労に比べれば、到底、苦労が足りない、と思います。(本人は認めないでしょう。俺は十分すぎる程、苦労している、と思っているでし…
 史実では桶狭間で歴史舞台から退場した今川義元さんもココでは北米初期開拓の筆頭出資者として名を連ね後に独立の旗頭となった武田も徳川も頭の上がらぬ父親の様な存在となればなかなかの傑物感ですよね(・Д・)…
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