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第33話 前田慶次とアンナ(まとめ編)

 本来的には、何時の部で登場したのか、を描くべきですが。

 それこそ、断続的に、更に断片的にしか、登場しないので省略しました。

 前田慶次 1541年生、1613年没 

 アンナ  1550年生、1614年没


 欧州各地や中近東、北アフリカ各地に様々に二人が訪問した漫遊記が遺っている夫婦である。

 更にはそれ以外の地域、それこそ東アジアや南北米大陸、豪州大陸等までも実は夫婦は訪問、漫遊したという伝説があり、その伝説を基にした様々な創作物が人気になっていて、尚更に史実と伝説の境目が分かりにくくなっている夫婦でもある。


 前田慶次だが、1541年生に日本本国で生まれて、1564年頃にエジプトに赴いている。

 日本でどうしていたのかは、本人曰く、

「ひたすら自由に生きていた」

 とのことで詳細を語らず、更にこの頃は無名といって良く、記録が日本本国では残っておらず、不明としか言いようがない。

 だが、子どもらによれば、何らかの職業で働いていたのは間違いないようである。


 エジプトに赴いた後は、スエズ運河警備隊に奉職し、様々な武芸等に通じることになる。

 そして、その武名を一度に高めたのが、エジプト独立戦争での奮戦で、エジプト一の兵(つわもの)と多くの者から見られるようになり、正式にエジプト陸軍士官になった。


 更に1571年に行われたエジプトのモスクワ襲撃行に慶次は参加し、見事にエウドキヤ(後の女帝)の救出に一番の功績を挙げることになった。

 それをきっかけに、エウドキヤ女帝の侍女アンナを後妻に迎えることになった。


 アンナは1550年生であり、元は庶民(下級貴族説もある)だが、エウドキヤが物心つく頃から、姉代わりの侍女を長年に亘って務めていた。

 そして、エウドキヤのモスクワ脱出に賛同して、エジプトまで行動を共にした後、当時、先妻を亡くしたばかりだった前田慶次の後妻になった。


 尚、伝説ではモスクワで二人が出会った際、共に一目惚れしたことになっている。


 その後、前田慶次は表向きは陸軍を退役し、裏では情報将校として、欧州や中近東、北アフリカを妻のアンナと共に旅をして、その旅行記を出版することで生活するようになった。

(勿論、実際にはエジプト、後にはローマ帝国から様々な費用面等の援助があった)

 そして、その旅の途次でロマと夫妻は深く知り合うことになり、ロマの仲間と同視されたという。


 更に旅の途次で、何度か慶次夫妻が様々なトラブルに巻き込まれることがあったが、慶次の武勇は卓越したモノであり、70歳を過ぎても、余程の武芸の達人で無いと太刀打ちできず、襲撃者を何度も返り討ちにしたとされており、そうしたことから、様々な伝説が生まれて、更に世界に広まっていくことになった。


 アンナは慶次の妻となった後、その傍に寄り添う生活を基本的に続けたが、時々、エウドキヤ女帝の許を一人で訪ねていたと伝わる。

 エウドキヤ女帝にしてみれば、物心ついた頃からの腹心の侍女であり、時々、相談をしたかったからだとされている。

 更にアンナはその際には適切な助言等を行ったとされており、二人は本当の姉妹に見える程の仲だったという証言までも残されている程である。


 夫婦になった後、慶次とアンナはずっと極めて仲の良い夫婦ではあったが、一つだけどうにもならないことがあり、二人の間には実子が産まれなかった。

(慶次は先妻との間に1男4女を儲けており、アンナが不妊症であったと推測されている)

 その為に、先妻の子5人をアンナは養子に迎えて、最期を看取って貰うことになった。


 1613年に慶次が病で亡くなった後、後を追うようにアンナも体調を崩して翌年に死去した。


 尚、実はアンナはエウドキヤ女帝の実姉で、その為に実子を慶次夫妻はつくらなかったという創作物が複数あり、人気を博してもいるが。

 多くの学者が、トンデモ説だと冷笑している。

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― 新着の感想 ―
>多くの学者が、トンデモ説だと冷笑している。 往々にして、学者先生は「一次資料にはそのような記述は無い。」とか、「それは、歴史書では無く神話だ。」とか、「その資料は100年以上後の記述だ(よって、正…
 最後の一文── 実はアンナはエウドキヤ女帝の実姉で、その為に実子を慶次夫妻はつくらなかった──(´⊙ω⊙`)おー!作家先生の想像力が慶次やローマ忍びの隠蔽工作の裏に肉薄した!!と思ったのも束の間──…
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