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第31話 エウドキヤ女帝(まとめ編)

 エウドキヤ女帝 1559年生、?年没 (第8部から最終部まで登場)


(少なからずお詫びというか、言い訳を。

 私が読み返す限り、エウドキヤ女帝の生年は1559年と1560年が、本編では混在していますが。

 浅井亮政が1563年生なのは間違いなく、エウドキヤ女帝が4歳年上と明言しているシーンが本編であるので、1559年生ということでお願いします。

(この辺りは早生まれ等に因る学年に因る勘違いで済む話かもしれませんが)

 本編を私が読み直し、気が付いた時点で修正していきます)


 出生後すぐにモスクワ大公国の大公位継承問題を防ぐ為に、姉二人(アンナ、マリア)と同様にモスクワのクレムリンにて幽閉生活を送ったとされる。

 そして、アンナとマリアはクレムリンで夭折したが、エウドキヤは辛くも生き延びて、1571年に(当時の)エジプトのモスクワ襲撃の際、エジプトへの亡命を果たした(とされている)。


(この辺りだが、後のエウドキヤ女帝の主張等や当時の記録が極めて錯綜しており、何処に真実があるのかの論争が絶えないという現実がある。

 実際に後にモスクワ大公国の全国会議では、エウドキヤ女帝はモスクワ襲撃時に崩御しており、エウドキヤ女帝は真っ赤な偽者説を採った程である。

 尚、エウドキヤ女帝はこれに激怒して、後述するが全国会議出席者全員が最終的に虐殺された)


 ともかく、エジプトに亡命した後にエウドキヤは、浅井長政夫妻らに庇護されることになり、浅井亮政と1577年に正式に結婚することになる。

 そして、1585年のローマ帝国復興戦争で勝利を収めたことで、ローマ帝国皇帝にコンスタンティノープルにて即位することになり、これ以降はローマ帝国復興等にまい進することになった。


 1590年にはイタリア半島及びその周辺のローマ帝国領奪還を図り、それにほぼ成功する。

 更にはドナウ河以南、ハンガリー以東のバルカン半島もローマ帝国領として確立した。

 

 その後、暫くは内政整備を行ったが、1595年にはウクライナへ侵攻して、ほぼ旧キエフ大公国領全てをローマ帝国領とする一方、その翌年には東西教会合同を果たし、ローマ教皇から正式にローマ皇帝への戴冠式を挙行される。

 これらの功績により、エウドキヤには大帝の称号が帝国内外から奉られることになった。


 1600年にはモスクワ大公への即位を果たす為に、モスクワ大公国に侵攻することになるが、上述の事情からモスクワ大公国の貴族を始めとする多くが徹底抗戦することになり、1605年頃にモスクワ大公国のローマ帝国領併合を宣言し、武装抵抗もほぼ収まったが。

 その代償として、モスクワ大公国の住民の約5%が抗戦の末に死亡したと推定される事態が起き、父のイヴァン4世と同様に、雷帝と帝国内外からエウドキヤは呼ばれることもになった。


 その後もシベリア方面等への侵出を試みるが、日本やその同盟国である後金やモンゴル等に阻止されることになり、ローマ帝国の復興、領土拡張は1610年頃に終焉を迎えることになった。

 それ以降は、ユーラシア大陸横断鉄道や帝国内の大運河建設等に勤しむことになり、建設帝の異名が新たに帝国の内外にエウドキヤに奉られる程であった。


 ローマ帝国の立憲君主制への移行を遺言で指示していたが、エウドキヤ自身は専制君主としての姿勢を最期まで崩すこと無く崩御することになり、夫の亮政や長男で皇太子になるユスティニアヌスがそれを看取ることになった。


 更にはモスクワ大公国の住民に対する「大虐殺」も相まって、世界史上最高の女性の暴君、空前絶後の血に塗れた女性独裁者との非難が絶えないが。

 その一方で、時代的に止むを得ない措置だったと擁護する人も多い。

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― 新着の感想 ―
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