第七話 反抗心(1)
その日の昼休み。
朝の萱愛先生の行動を受けて、みんなもその話題についてヒソヒソと話していた。
「どうして自分たちがこんなことを考えないとならないのか」や、「余計なことをしやがって」といった意味の言葉が、聞きたくないのに聞こえてくる。せっかく母さんが作ってくれたお弁当も、あまり味がしないように感じられた。
しかし今の僕にとって、もっと気になるのは扇さんの動きだ。朝の出来事を受けて、彼女が僕に対してどういう印象を抱いたのかが気になる。まあ恐らくはさらに僕への印象は悪くなったとは思うけれども、昼休みになった今になるまで、まだ彼女は動いてはいない。
だけど動いてはいないけれども、時折こちらの方をチラチラと見ていたような気がした。なんというか、こちらの出方を伺うような、そんな感じだった。その行動の意図はわからない。
とりあえず扇さんがこのまま動かないのであれば、まずは当面の目的である、記憶を失う前の僕がどういう人間だったのかを探ることに集中するべきだろう。萱愛先生に聞いてもアテにならず、両親に聞いても学校での僕はおそらくわからないだろう。そうなるとあとは誰がいるか……
「ちょっと、蓬莱」
考えを巡らせていると、いきなり声をかけられた。顔を上げると、背中の銀髪を揺らしながら、扇さんが僕に向かってくる。
「は、はい?」
返事はしたが、扇さんの顔は不機嫌そうにしかめられていた。やはり朝の件で、僕に何か言いたいのだろうか。
「どういうつもり? アンタ、私から暴力を受けてるって萱愛先生に話したの?」
「……」
どういうつもりと言われても、別に僕は萱愛先生に相談しようとしただけだ。何も悪いことはしていないはずだ。
「答えなさいよ。それともなに? 『僕は扇さんにいじめられています、助けてください』って萱愛先生に泣きついたの? 男のくせに」
扇さんは僕を嘲るように笑う。その様子に僕の心にまた暗い感情が生まれた。そもそもなぜ、僕が悪いように言われるのか。扇さんが僕に暴力を振るっているのは事実だし、僕が誰かに助けを求めるのは当然の行動だ。萱愛先生があそこまで話を広めたのは計算外ではあったけど。
そうだ、全てはこの扇綾香がいなければよかったんだ。どうして僕はこいつにやられっぱなしでないといけないんだ。それどころか、どうしてあざ笑われないといけないんだ。絶対にこんなことはおかしい。
「何とか言いなさいよ!」
そして、扇綾香は腕を振り上げた。その腕が僕に振り抜かれることを、僕はこれまでの経験から察することができた。だから……
「えっ!?」
その腕が振り下ろされる前に、僕は左手で掴んで止めた。掴まれた腕の持ち主である扇綾香は、驚きで身体が固まっている。
「あ……」
そして僕と目が合った瞬間、その身体をビクリと震わせた。どうしたのだろう、僕はそんなにおかしな顔をしていただろうか。
いや、というか僕は何をしているんだ? 今まで殴られる前に扇さんの動きを止めるなんてことはしたことがなかった。正直、怖くてできなかった。だけど今、現実に僕はその行動をたやすく行っている。
考えてみれば、別に扇さんは運動神経がいいというわけでもない普通の女子だ。身長も僕より少し低いし、単純な腕力で言えば、男子である僕の方が強いに決まっている。だから彼女の腕を止めるなんてことは、普通に出来て当然のことのはずなんだ。
そう、なら僕はこのまま彼女の暴力を黙って受けてやる道理はない。このまま受け止めればいい。だけど……
「……」
僕も、扇さんも、互いの目を合わせたまま、何も言えずにいる。どうしよう、この次は、どうすればいいのだろう。単純に考えれば、この腕を放してやるべきなんだろうけど、そうしたらまた彼女は僕に攻撃するかもしれない。それを防ぐには……
僕が、彼女が暴力を振るえないようにする? 力尽くで?
でも、そんなこと……していいのだろうか。確かに僕は今まで散々彼女に殴られてきた。だけどそれで僕が彼女に復讐するのはあまりにも短絡的かもしれない。冷静になろう。
だから僕は、扇さんの腕から手を放す。
「……」
意外にも、扇さんはそれ以上僕に何かを言うわけではなかった。しばらく僕のことを見つめていたが、僕が何も言わないことを確認すると、黙って背を向けて自分の席に戻っていった。




