09 厨房の使用権(仮)を手に入れました
離宮に戻ってきた私は、冷や冷やしながらおじいさんの後について廊下を進んでいった。
おじいさんは厨房を借りるつもりでいるらしいけれど、本当に大丈夫なのだろうか。
心配している間に、一階の奥にある厨房へ辿り着いてしまった。
「ほほっ。迷わず辿りつけてよかった。さあ、妃殿下」
後ろで手を組んだおじいさんが、まるで自分の家にでも入っていくような気やすさで、厨房の仕切りを越えていく。
ええっ、怒られないのかな!?
思わず立ち止まった私に向かい、おじいさんは笑顔で手招きをしてきた。問題ないからおいでというように。
邪気のないほのぼのとした笑みを浮かべているのに、なぜか逆らい難い。
うう……、怒られたらそのときはそのときだ。
私は観念して、おじいさんのあとを追った。
厨房の中は、かなり広々としていた。
ここで何人分の料理を作っているのかわからないけれど、ちょっとしたレストランの調理場ぐらいはありそうだ。
壁や床、釜はすべて石造りだ。
火のついた大きな壁炉には、鍋をぶら下げる黒い鉄の棒や、フライパンをのせるであろう台が設置されていた。
この時間から料理の仕込みをしているのか、鍋の中で何かを煮込んでいるようだ。
むわっとした脂の臭いが、鼻の先まで漂ってきた。
庭に面した窓がせいせいと開け放たれていて、新鮮な空気が出入りしているのが救いだ。
床には大きな甕が置かれていて、水がなみなみと注がれている。
中央の作業台には、籠に入った野菜や果物が山のように盛られていた。
まさにファンタジー映画の世界だ。
テーマパークに来ているようで、ちょっと感動してしまった。
あの野菜をせめてひとつでも譲ってくれれば……。
いけないけない、空腹なせいでつい恨みがましくなっている。
厨房の中には料理人が三人いて、下処理を行っていた。
コック帽をかぶった年配の男性が指示を出している。
彼はかなりでっぷりしていて、白いコック服のボタンは今にもはじけ飛びそうだった。
場を仕切っている雰囲気から考えて、多分彼が料理長なのだろう。
私たちの気配に気づいたらしく、全員がハッとした顔で一斉に振り返った。
中でも料理長は、私と一緒にいるおじいさんを見た途端、目を見開いて固まってしまった。
「……! あなたは……!?」
おじいさんが、しーっ、という仕草を見せる。
料理長はハッと息を呑んだあと、言いたい言葉を無理やり飲み込むように、口を引き結んだ。
それから私の方に視線を向けると、さらに表情を険しくさせた。
「妃殿下まで……」
うっ。
普段食事を残しているのはこいつか! と思われているんじゃないかな。
気まずくて背筋が丸くなる。
おじいさんはそのまま厨房の奥に入っていくと、料理長に気安い感じで声をかけた。
「すまんが厨房を貸してもらえるかな?」
おじいさん、そんな真正面から頼んじゃっていいの!?
絶対断られるよと思っていたのに、なぜか料理長は、慇懃な態度で頷いてみせた。
「もちろんでございます。あなた様のご命令であれば、我が城も明け渡しましょう。おいお前たち、そこの道具を今すぐ片付けるんだ」
ちょっと信じられないくらい、あっさり料理長の許可が出た。
侍女長から聞いていた感じでは、かなり渋っていたはずなのに、どういうことだろう?
でもなんとなくだけど、侍女長は生真面目だし、嘘を吐くタイプではない気がする。
となると、このおじいさんが、かなり特別な存在なのでは……?
隣に立ったおじいさんを見ると、相変わらずニコニコした笑顔が返ってきた。
「さ、妃殿下。どうぞ厨房をお使いください。なにかいるものがあれば、料理長にお聞きくだされ」
「で、でも……」
本当にいいのかな。
視線で窺うと、料理長はただ静かに、何でも聞いてくださいと言ってきた。
「必要でしたら、私どもの料理はすべてどかしますので」
「とんでもないです! すみっこをお借りできれば十分なので!」
「では、どうぞ」
き、気まずい……。
料理長は職人肌というか、ちょっと威圧的な雰囲気を醸し出している。
王妃を前にしても、決して媚びたりしない。
ただ、おじいさんに対しては、心から敬意を表している感じがした。
私一人だったら絶対にこうはいかなかっただろうな。
エミリアちゃん、妃殿下ってポジションのわりに、なぜか結構ないがしろにされているからなあ。
それにしても、おじいさん、あなたはいったいどういう存在なんですか……?
「妃殿下。必要であればご命令を。あるいはお邪魔なようであれば、廊下で待機しておりますが」
「え!? そんなに気を使わないでください」
厨房を貸してもらえるのはとてもありがたいけれど、仕込みの邪魔はしたくない。
出来る限り邪魔にならないよう、気をつけよう。
「じゃあ、お借りします……!」
袖をまくり、手をしっかり洗ったら、料理開始だ。
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