25
翌日はまだ薄暗いうちに起こされ、朝食を食べたらすぐ作業を開始するよう命じられた。
外は雨のまま。
格子窓の向こうに見える狭い空は、どんよりとした鈍色に塗り潰されていた。
ルゥくんは作業中ずっと部屋にいて、私の行動を監視している。
もはや社畜とおりこして、囚人にでもなった気分だ。
どうしたって佐伯えみ時代の辛い記憶が甦ってしまう。
そのせいで胃もずっと痛い。
当然朝食も全然食べられなかったけれど、ローガンさんもルゥくんも私の体調に無頓着だった。
過労で調子を崩し、人が死ぬこともあるなんて、微塵も想像していないのだろう。
一応そのことを説明して、「私が死んだら、誰も癒しアイテムを作れなくなるんですよ」と脅してみたものの、「仕事が人を殺すなんて聞いたことがないわ」と笑われてしまった。
この感じだとこちらの世界も社畜が多そうなのに、過労死をする人が今までいなかったのだろうか。
そもそも過労という事象が認識されていないようだから、それが原因で死んだとしても突然死扱いされているのかもしれない。
もし本当にそんな状況なら、過労死のことをこの国の人々が認識してくれるよう、私にできることを探したい。
でもそれは、私がここを無事に出られたらという仮定の話だ――。
◇◇◇
それから二日間は、本当に社畜時代と変わらない生活を強いられた。
体力と胃痛が限界に近づいた三日目。
ようやく反撃のチャンスがやってきた。
いつもとは違い、朝食を片付け終えるとルゥくんは部屋を出て行き、代わりにローガンさんが姿を現した。
「今日はルゥに王宮の偵察を任せるから、妃殿下の話し相手はアタシが勤めるわね」
「話し相手って、監視役の間違いじゃないですか」
私の厭味になんて動じることなく、ローガンさんがケラケラと声を上げる。
ローガンさんは私の癒しアイテムを認めてくれているみたいだけれど、私自身のことは完全に舐めている。
それで別に構わない。
私はその隙を突く機会をずっと待っていたのだから。
彼に気づかれないよう、さりげなく扉のほうを確認する。
ルゥくんがもう偵察にでかけたのかはわからない。
一応保険をかけて、しばらくは黙々と癒しアイテムを作ることにした。
そして一時間が経った頃。
私は初日の夜に寝ないで作ったアロマミストをこっそり取り出した。
ローガンさんの魔力の強さは陛下のお墨付きだ。
だからきっと効果があるはず……!
「ローガンさん。ちょっとこれ試してもらえますか?」
「あら。また新しく完成したのね。どれ?」
近づいてきたローガンさんに向かって、いきなりアロマミストを吹きかける。
突然のことに驚き、ローガンさんが目を見開く。
お願い、効いて……!
祈るような気持ちで、ローガンさんの反応を窺っていると――。
「妃殿下……こ、れ……」
彼の瞳がとろんとなって、言葉が途切れる。
その場に膝をついたローガンさんは、何度か眠気を追いやるように頭を振っていたけれど、結局、その場に倒れ込み、すやすやと寝息を立てはじめた。
「……やった。これで逃げ出せる……! 蝶々ちゃん、行こう!」
作業テーブルに止まっていた蝶々ちゃんが、慌てたようにパタパタと飛んでくる。
私はローガンさんの身体をまさぐり、鍵束を奪うと、蝶々ちゃんを連れて閉じ込められていた部屋を抜け出した。
◇◇◇
出口がどこにあるのかわからない。
それでもここから逃げ出すことだけを考え、暗く陰気な廊下を走り抜けていく。
靴音と呼吸音がやたらと響き、私を焦らせた。
大丈夫、ローガンさんはきっと当分目を覚まさない。
そう思っても、背後ばかり気になった。
廊下の角を曲がると、上階に向かう狭い螺旋階段しかなくて、「そんな……」という声が零れる。
だからといって、絶望してる暇なんてない。
「蝶々ちゃん、戻ろう!」
ずいぶん前に通り過ぎた分かれ道まで引き返す。
城と呼ばれるだけあって、この建物はうんざりするほど広い。
何度も道を間違えながら、ようやく玄関ホールに降りられる大階段を見つけ出す頃には、私の息は完全に切れていた。
この先に、外へ続く扉がきっとある。
走りどおしでカラカラになった喉に深く息を送り込んで、私は階段を駆け下りていった。
踊り場で方向転換して顔を上げたとき、胸の中の希望は一瞬で潰えた。
ローガンさんが敵だとわかったあの日と同じように、再び雷鳴が鳴り響く。
埃をかぶった天窓から白い光が差し込み、玄関ホールを照らし出す。
そういえばローガンさんが見せた国境の幻の中でも、雷光は恐ろしいものを容赦なく浮き彫りにした。
今もまた――。
白い光がピカッと駆け抜けた玄関ホール、そこには数え切れないほどの烏が止まっていたのだ。
その中央に、外へ続く扉を立ち塞ぐようにして美しい少年が立っている。
「ルゥくん……」
「違いますよ、妃殿下。ルゥは王都の偵察に出かけています。僕はロキ。ローガン様にお仕えする十三番目の魔道具です」
ルゥくんにそっくりなその少年は、そう言うと口元だけで笑った。
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