23
頬が冷たい。
そう思って目を覚ました私は、自分が石の床に転がされていることに気づいた。
まだ頭がボーッとしていて、状況をすんなり理解できない。
どこか遠くで雨の音が寂しく響いている。
ゆっくり身を起こして、周囲を見回す。
椅子とベッドがあるだけの殺風景な部屋。
その隅に目を向けた瞬間、息を呑んだ。
見るも無惨な姿になった蝶々が落ちている。
羽の色から、それがあの蝶々ちゃんだとすぐにわかった。
「そんな……」
ふらつきながらも傍に駆け寄り、彼女の体をそっと掬い上げる。
ところどころ千切れた羽が微かに揺れた。
息があることを知っても、安心することなんてできなかった。
彼女の触覚は引き抜かれ、眼球は潰されていた。
「ひ……でんか……」
「蝶々ちゃん!」
「ご、めんなさい……。……これではもう陛下に信号を送れません……。妃殿下が……助けを必要としているのに……」
「そんなことはいいよ! それより私に何かできることはある?」
その時、低い音を立てて、部屋の扉が開かれた。
姿を現した人物を見て、衝撃に目を見開く。
「ルゥくん……」
ローガンさんの魔道具であるルゥくんは、後ろ手で扉を閉めると、通せんぼうをするように両手を広げた。
「魔道具の身体を復元するには魔力が必要です。だから、妃殿下がその蝶のためにできることは何もありません。あ、それから、無理矢理出て行こうとしないで下さいね。妃殿下を傷つけたくはないので」
まるで牢獄のようなこの部屋と、窓にかけられた鉄格子。
それに今のルゥくんの発言。
……私、閉じ込められたんだ。
でも、今はそんなことより!
「あなたは魔法を使えるの? だったらお願い、蝶々ちゃんを助けてあげて! このままじゃ、この子は……」
「安心して下さい。魔道具は壊れるだけで死にません。体を再生させて、今の個体が持っている記憶を植え付ければ、なんら変わらず同じ魔道具になりますよ。ね? 死ぬわけじゃないでしょう?」
ルゥくんには、それがひとつの『死』を意味することだとはわからないのだろうか。
「でも、それ以前にその魔道具は今のところ壊れません。僕の判断でそこまでしていいのかわからなかったので、ちゃんと手加減をしました」
相変わらずルゥくんは微笑み続けている。
この愛らしい少年の笑みを、私は心底恐ろしく思った。
「……あなたが、蝶々ちゃんにこんなひどいことをしたの?」
「はい。そうしないと妃殿下を連れ去ったのが僕だとすぐにバレてしまうので」
「どうしてこんなこと……」
「妃殿下を連れ去った理由ですか? もちろんローガン様のためです。ローガン様は妃殿下の力を必要とされています。それなのに、陛下の命で妃殿下から遠ざけられてしまいました。 今のままではお困りだと思ったので、陛下の掌中から妃殿下を奪わせていただきました」
どうやらこの事態はルゥくんの独断で実行されたもののようだ。
それを知って、私は内心安堵した。
それなら、きっとすぐ解放してもらえるはずだ。
ローガンさんがこの状況を知ってくれさえすれば……。
「ローガンさんはどこ? 彼はこんなこと許さないよ」
「はい……。勝手な行動をしたと怒られてしまいました」
そこで初めてルゥくんがしょんぼりした顔になって肩を落とした。
「待って。ローガンさんは私がここにいるのを知っているの?」
「はい」
「……っ。ローガンさんは私をすぐ離宮に戻すよう言わなかったの?」
「ローガン様は――……あ、お帰りになられました! こちらに向かわれているので少々お待ち下さい」
ローガンさんの魔道具だからわかるのか、ルウ君が扉のほうを振り返り、うれしそうな声を上げる。
子供らしくはしゃぐ彼の姿は、ひどく場違いだった。
なんだか嫌な予感がする。
しばらくすると、私の気持ちを不安にさせるような音を立てて、再び扉が開いた。
ルゥくんが予告したとおり、現れたのはローガンさんだ。
「ごめんなさいね、妃殿下。びっくりしたでしょう? ていうか、あなたが倒れちゃった日以来よね。その後どう?」
「そんなことより……!」
「ああ、ここがどこか知りたいわよね。ここは王都の南西にあるウィンフォード城。アタシの祖父の持ち物で、もともとは王都を守るための砦だったのよ。まあ十年以上前にお役御免になって、今はこのとおり廃城だけれどね」
ここがどこかなんてどうでもいい。
「そうじゃなくて、私たちを離宮に帰して下さい。一刻も早く蝶々ちゃんを陛下に治してもらいたいんです」
「あら、それは無理よ」
「なっ……。どうしてですか! 私たちをこの城に連れてきたのは、ルゥくんの独断だったんですよね?」
「そうなのよ。本当に困った子でしょ。こっぴどく叱っといたわ」
「それなら、なぜ……!」
「アタシが怒ったのは、勝手に相談なく行動を起こしたことに対してなのよ。命じてもいないことをされたら収拾がつかなくなってしまうもの。でも妃殿下を陛下から奪ったこと自体はよくやったって褒めたのよ? ――これでアタシは、あなたを独占できる」
お読みいただきありがとうございます!
スクロールバーを下げていった先にある広告下の☆で、
『★5』をつけて応援してくれるとうれしいです




