22
陛下と取り残された部屋に嫌な沈黙が流れる。
「ようやく二人きりになれたな」
どうして今そんなことを言うのだろう。
陛下の意図がわからなくて窺うように視線を向けると、暗い眼差しと目が合った。
ぎくりとして反射的に身を引けば、陛下は自分の感情を持て余しているかのような仕草で前髪を乱暴に掻き上げた。
「俺と違って、エミはうれしくないみたいだな」
「そんなこと言わないで……」
「どうして?」
「だって、それじゃあまるで、この状況を喜んでるみたいに聞こえる」
「別に構わない。間違ってないから」
「……っ」
「ローガンも、侍女も、料理人たちも、エミリアも。俺が邪魔だと思っていた奴らがみんないなくなったんだから」
私は呆然とした。
こんな言葉、きっと陛下の真意ではない。
だけどそれならどうしてそんなひどいことを言うのか。
「俺は俺以外の奴なんて、エミの傍からいなくなればいいのにって思ってる。そうすれば、エミに及ぶ危険を最小限に食い止められるし、こんなふうに苛立つこともなくなる。なあ、エミ。俺以外の人間が必要?」
「どういう意味……」
「話し相手には俺がなる。寂しがらせたりしない」
「それで陛下以外の誰とも接することなく生きていくの?」
そんな狭い世界、私は怖い。
「たった一人の人としか関わらないなんて、何もかも依存してしまいそうだよ」
「それで構わない。俺がエミのすべてを受け止めるから」
陛下は私の両腕を掴むと、自分の胸の中にぐっと引き寄せた。
私たちの間に生じてしまった心の隙間を強引に埋めるかのように。
すれ違った心を体温で誤魔化すなんて、私は正しいと思えない。
その気持ちを伝えたくて、陛下の胸を押し、距離を取る。
彼の瞳が、なぜ拒むんだと問いかけるように揺れた。
「私にとってエミリアちゃんやメイジーや料理長さんたちとの繋がりは大切なの。それにローガンさんだって」
「は? どうしてそこにローガンが入る」
どうしてなんて、そんなの決まってる。
彼は陛下と近しい親族だ。
私が陛下の奥さんとしてこの世界で生きていくのに、彼の親族を蔑ろにできるわけがない。
「あのね、陛下、私がローガンさん と仲良くなりたいのは、陛下のためだよ」
「俺のため? 俺がその行動に腹を立ててるのに?」
さすがにムッとなる。
どうして全然わかってくれないんだろう。
「そもそも腹を立てるのがおかしいとは思わないの? ローガンさんはあんなに陛下のためを思って行動してるじゃない。もうちょっと優しくしてあげてもいいんじゃないかな」
「だからそれだって俺は望んでない」
「なんでそんな子供っぽいこと言うの。いつもの陛下らしくないよ」
「どうせ俺はエミからしたら子供だよ」
だめだ。売り言葉に買い言葉になってきた。
私たち、なんでこんな幼稚なケンカをしているのだろう。
「とにかくあんまり蔑ろにしてたら、ローガンさんが可哀そうだよ」
「……エミはあいつを庇ってばかりだな。俺が悪者で、ローガンは可哀そうか」
「庇うとかそういうことじゃなくて――」
「そんな話なら聞きたくない」
「もう! ローガンさんは陛下の従兄でしょ」
「従兄だから何。あいつは男だ。いや、性別なんてどうだっていい。俺とエミの間を邪魔する人間は男女関係なく腹が立つ」
「それはちょっとどうかな!?」
「言っとくけど俺のせいじゃないからな。妬かせるエミが悪い」
「……!? なんで私のせいなの!? 私は何もしてないよ……!」
「俺をこんなふうにしたのはエミなのに。何もしてないだって? ひどいな……」
掠れた声で陛下が自嘲気味に笑う。
彼の暗い瞳の中に、燃えるような熱が宿る。
あっと思ったときには腕を掴まれ、痛いぐらいの力で抱きしめられていた。
多分彼は今、コントロールできないほどの感情を抱えていて、こうやってぶつけることしかできないのだろう。
でも、陛下。こんなのは間違ってるよ。
「……放して」
「放したくない」
私を拘束したまま、陛下が顔を近づけてくる。
彼が何をしようとしているかわからないほど子供ではない。
咄嗟に俯くと、強引な指に顎を捕らえられた。
「やめて」
「どうして」
「触れられたくない」
そんなふうに憤りながら、キスを求めるなんて間違っている。
私が冷静に拒絶の言葉を伝えると、陛下は一瞬怯んだように動きを止めた。
その隙に彼の腕の中から抜け出す。
「エミ……」
混乱しているような声で私の名前を呼んだ陛下が、すがるように手を伸ばしてくる。
体を背けて逃げると、彼は茫然とした顔で力なく腕を下ろした。
「私、こういうのは嫌だ」
「……っ」
陛下の表情が歪む。
彼は、まるで迷子になった子供のような、今にも泣きだしそうな顔をした。
それを見て、ハッと我に返る。
なにもこんな手ひどく拒絶することはなかった。
「あ、陛下……」
傷つけた。
そう気づいた時には、すでに手遅れで……。
「わかった。もういい。 エミはこの部屋にいろ。外に出ることは許さない」
感情のこもっていない声でそう命じると、陛下は私のほうを見ることなく部屋を出ていった。
引き留めることなんてできなかった。
彼の背中が全身で私を拒絶していたから――。
◇◇◇
「どうしよう……」
陛下がいなくなってからしばらく、私は扉を見つめたまま途方に暮れていた。
傷つけてしまったのに、謝ることもできなかった。
「あんな顔、させたかったわけじゃないのに……」
数日前 、蝶々ちゃんのことで意見が食い違ったときは、しっかり話をして分かり合えたことをうれしく思えたのに、どうしてこんなにこじれてしまったのだろう。
ため息がとめどなく溢れ出す。
「……冷静になってちゃんと話せば、きっとまた仲直りできるよね……」
でもそれは陛下が会ってくれたらの話だ。
去り際の彼は「もういい」と言っていた。
もしかしたら、容赦なく拒絶の言葉をぶつけた私の顔なんて二度と見たくないと思われているかもしれない。
自分が蒔いた種なのに、想像しただけで息が詰まった。
「……って、自分のことばかり考えてたらだめだ」
今この時もメイジーや料理長さんたちは恐ろしい思いをしているのだ。
彼らがひどい扱いを受けていないかそれだけでも確認しないと。
幽閉されているのは、この王宮内にある塔だと言っていた。
林を抜けて視野が開ければ、背の高い塔を見つけるのは難しくないはずだ。
以前ローガンさんが一般兵の中には、私の魔力が皆無だと見分けられるほどの実力者はいないと言っていたし、今は大切な人たちの危機なのだ。
自分の身の心配など二の次だった。
だって尋問って……。
陛下は、場合によっては拷問すらありえるような言い方をしていた。
そんなこと何が何でも止めなくちゃ……!!
私は以前部屋を抜け出した時と同じ方法を取るため、バルコニーに出た。
ここ数日、ずっといい天気だったのに、今日の空にはどんよりとした雲が垂れ込めていた。
風は湿気をはらみ、いつ雨が降り出してもおかしくないような陽気だ。
「……蝶々ちゃん、いる?」
蝶々ちゃんの主人は陛下だとわかっているけれど、だめもとで口止めをしてみようと思ったのだ。
すぐに脱走を陛下に報告されて、連れ戻されてしまうのでは困る。
ところが何度呼びかけても、蝶々ちゃんは姿を見せない。
変だな。
いつも私の傍にいるわけじゃないのかな?
訝しく思いながら、柱をつたって地上に降り立つ。
周囲を見回しても、やはり蝶々は一匹も飛んでいない。
首を傾げつつ、林の中へ入っていく。
しばらく進んでいくと、背後でカサッと葉の揺れる音がした。
蝶々ちゃんであることを期待して振り向いた私は、突然、頭がクラクラするような甘い香りに包まれた。
「な、に……これ……」
ぐらりと傾いた私の体を誰かが支える。
その相手の正体も掴めないまま、気が遠くなっていく。
うそでしょ……。
こんな頻繁に気絶するとか、一昔前の漫画のヒロインじゃないんだから……。
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