16
「ねえ、陛下ここのところ全然顔を見せないわね」
沈みかけた夕陽に追い立てられるようにして、片づけをしていると、井戸の前にしゃがみ込んで今日使ったガラス瓶を洗ってくれていたローガンさんがそんなことを言った。
手は動かしたままだけれど、彼の視線はお城のあるほうを見ている。
私もつられてそちらを向く。
林に視界を遮られて全貌を見ることはできないけれど、空に伸びた見張り塔の位置から、あの場所に王宮があるのだと推測することはできた。
「今日で四日目ですね」
「あなた全然気にならないの?」
「え? あ、はい。しばらく仕事に集中するって手紙はもらったので、がんばってるのかなあって」
「それ陛下が聞いたら死ぬほど落ち込むわよ。会えなくても全然気にならないって感じじゃない」
「そ、そういうわけでは……」
「うーん、複雑な心境だわ……。陛下と妃殿下が上手くいきすぎてるのも、小姑ポジションでいびるのを楽しんでるアタシとして面白くないし」
「ちょ、楽しんでたんですか!?」
「当り前じゃない! 嫁いびり最高! ――とはいえ、陛下があなたにベタぼれなのは、嫌でも伝わってくるからね。その想いが報われてないのは、正直可哀そうでもあるのよねえ」
「なんていうか、ローガンさんって本当に陛下が好きなんですね」
私が苦笑しながらそういうと、ローガンさんは何かを思案するように黙り込んだ。
「……昔は大っ嫌いだったのよ。なんて生意気なガキだ! って思ってたんだから」
「え!? そうだったんですか!?」
「今日も栄養ドリンク作りを朝早くから頑張ってくれたから、ご褒美にちょっとだけ陛下の過去を教えてあげるわ」
ガラス瓶を洗い終えたローガンさんは立ち上がると、唸り声を上げながら腰の骨を伸ばした。
それから、着崩した軍服の胸ポケットに手を入れて、煙草ケースを取り出すと、口の端に加えて火をつけた。
ローガンさんが私の前で休憩をするのは初めてのことだし、彼が煙草を嗜むのも今初めて知った。
彼は私にも手を休めるよう身振りで示した。
「もともと幼少時の陛下の面倒を見ていたのは、ジスランの兄だったのよ。レイモンドと言って、年はジスランやアタシの一つ上。めちゃくちゃ優秀なうえ、ものすごく面倒見のいい人でね。それに誰にでも優しかった。ゆくゆくは侯爵家を継ぐお坊ちゃまだってのに、庶民に接するときでさえ対等な態度で。でも、ただおっとりしてるってわけじゃなくて、いくつになっても子供心を忘れないようなところがあってね。十五歳で社交界デビューしてからも、廃墟になってる屋敷で肝試しをしようとか、遺跡探索に行こうとか、そんな誘いをしょっちゅう受けたわ」
ローガンさんが懐かしそうに目を細める。
彼の口調はいつもに比べてとても穏やかだ。
話を聞いているだけで仲のいい少年たちの姿が思い浮かび、気づけば私も微笑みを浮かべていた。
「でも、レイモンドは十七歳のとき、事故で亡くなった」
「……っ」
それまで優しい気持ちで話を聞いていたから、いきなり突きつけられた悲しみを前に、なかなか言葉が出てこなかった。
ローガンさんはじっと夕焼け空を見上げている。
「……それは……皆さん辛かったですね……」
「そうね。陛下もジスランも、もちろんアタシもすごく落ち込んだわ。陛下は当時まだ四歳だったけれど、すごく利発な子だったから。死というものが何かも理解していた。だから、手が付けられないほど荒れてね」
「そうだったんですね……」
「アタシはレイモンドが大好きだったから、彼の意思を継ぎたいと思ったの。それで、亡き友に代わって、陛下に尽くすようになったわけ。――月日が経って多少傷は癒えたけれど、この話題を口にするのは未だにご法度になってるの。だから妃殿下も知らないふりをしておいて」
「わかりました……」
誰にだって触れられたくない過去のひとつやふたつある。
だからその傷を抉るようなことはしたくなかった。
「今まで、誰にもこんな話したことなかったのに。なぜか妃殿下には言いたくなっちゃったのよね……。最初は妃殿下のこと絶対に認めるもんですかって思ってたのに、なんだかんだアタシもほだされちゃったのかしら」
ローガンさんは納得がいっていないという態度で首を横に振った。
「もしそうなら私としてはありがたいです」
ローガンさんと陛下の間にある絆を知ったことで、やっぱり彼に認めてもらいたいという気持ちは一段と強くなったのだ。
ところがそれを伝えると、ローガンさんは「絆じゃなくて、完全な片思いなのよおおお」と言って、顔をぐしゃりと歪めた。
「レイモンドと違って、アタシのことは陛下がすっごく鬱陶しがるのっ。今回なんて国境から一年半ぶりに戻ってきたって言うのに、一緒に食事する機会さえ作ってくれないんだからっ。アタシ、悲しいっ!!」
ワッと声を上げて泣き出したローガンさんを慌てて慰める。
さっきまで真面目な顔して過去の話をしていたのに、今は泣きながらハンカチを噛んでるなんて……。
なんというか本当にいろんな一面を持っていて、掴みどころのない人だ。
ただ陛下を大事に思っている部分に関しては一貫してぶれない。
とくに彼らの過去に起きた出来事を鑑みると、ローガンさんはおそらく友の代わりを果たしたいという強い使命感のもと、陛下に尽くしてきたのだろう。
ジスランさんもだけれど、そうやって支えてくれる人たちが陛下の周りにいてよかった。
国王陛下として責任を果たしていくことは、きっと私が想像している以上に大変だろうから、優秀なうえ、陛下を大事に思ってくれている人が傍にいてくれれば、すごく助かるはずだ。
いつか、私もそのうちの一人になれたらいいなと思った。
◇◇◇
それからさらに数日、休む間もなく作業をし続けた甲斐もあり、ついに三百人分の栄養ドリンクが完成した。
作業台の上に並べた二本の ガラス瓶をジャーンと言って見せると、ローガンさんとメイジーが「おおおー!」と声を上げて拍手してくれた。
ローガンさんがちょっかいを出してくるせいで、いつもすぐ言い合いになる二人が仲良くしている姿を見るのはうれしい。
「妃殿下、ありがとう。本当に感謝しているわ。正直途中で三百人分なんてやっぱり無理だって断られると思っていたのよ」
「ええ!? 引き受けた以上、投げ出したりしないって言ったじゃないですか」
「そうね。あなたは責任感の強いお姫様だってよくわかったわ。見くびったりしてごめんなさいね」
癒しアイテムを作る能力ではなく、私という個人をローガンさんが認めてくれたのはこれが初めてだ。
陛下のためにも、彼の従兄であるローガンさんとはできるだけ仲良くしたい。
そう思ってきたから素直にうれしい。
「ヒル卿もやっと妃殿下の素晴らしさに気づいて下さったんですね。私としては遅すぎますけど!」
メイジーが得意げに鼻を上げる。
「なあによ、小憎たらしい子ね! こうしてやるわ!」
「ひょ、ひょっと! ほっぺたひっぱるのはひゃめてくだひゃい!」
ローガンさんがまたメイジーで遊びはじめたので、慌てて彼女を背中に庇う。
「ああん、アタシのおもちゃが」
ローガンさんってば、やっぱりメイジーをおもちゃだと思ってた……!
「そ、それよりローガンさん! よかったら、これ見て下さい」
「ん? なあに?」
メイジーから気を逸らすため、何日か前に作っておいた『私の作れる癒しアイテムリスト』を差し出す。
受け取ったローガンさんは、内容を確認した途端、目つきを変えた。
「妃殿下、これ……」
「栄養ドリンク以外でも役に立てそうなものがあったら言って下さい。そこに載っているものならどれでも作れるので。ただ、栄養ドリンクみたいに特別な効果が付くかはわからないので、ひとつずつ試してもらう感じになっちゃうんですが」
「……どうしてそこまでしてくれるの?」
「えと、最初はローガンさんに認めてもらいたいって動機からお手伝いを決めました。でも、そのあとに国境でのことを知りました。大変な戦いだったんですよね……。知ってしまったら、もう居ても立ってもいられなくて。大したことはできないかもしれないけれど、少しでも力になれればって……」
「そう……。……妃殿下、ちょっと来てちょうだい」
「え? わっ!?」
おもむろに私の手を掴んだローガンさんは、もう片方の手で完成したガラス瓶を掴むと、早足で歩き出した。
「あ、あの!? 来てって、いったいどこに……!?」
「いいからこっち!」
「妃殿下!?」
自分もついて行くべきなのか迷っているメイジーが、オロオロした声で私を呼ぶ。
「あ、えっと多分大丈夫! メイジーは離宮に戻っていて……!」
とりあえずメイジーを安心させるために、自由なほうの手を振って指示を出した。
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