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侍女さんはメイジーという名で、年齢はエミリアちゃんの一個上、十六歳だった。
「どうかメイジーとお呼び下さい」と懇願されてしまったので、親しみを込めて呼ばせてもらうことにした。
メイジーは根っからの働き者らしく、私のしていることを傍らでただ見ているだけでは落ち着かないようだ。
そわそわと指を動かしたり、もじもじしたりしている。
さすがにこのまま放っておくのも可哀想だ。
それならばということで、料理長さんたちにお裾分けする栄養ドリンクを厨房に運んでくれるか頼んでみたら、彼女は元気よく頷いた。
素直で本当にかわいい子だ。
メイジーがお遣いをしている間に、私は一人、林の中に入っていった。
これから野いちごを集めて、自分用のフレッシュジュースを作ろうと閃いたのだ。
離宮の裏手に広がる林は、ほとんど毎日散歩に来ているから、もはや自分の庭と変わらない。
木漏れ日の中を歩き回っていると、青々とした匂いの風が鼻先をくすぐって心地良い。
少しずつ鳥の鳴き声も聞き分けられるようになってきた。
この世界にきて、自然の存在がぐんと近づいたような気がする。
鼻歌を歌いながら野いちごを摘むなんて、元の世界では考えられなかった道楽だ。
そんなことを考えていると、不意に背後で草を踏みしめる音がした。
メイジーが探しにきたのだろうか。
でもやけに早い。
小首を傾げながら振り返ると――。
鬱蒼と生い茂る草木をかき分けて姿を現したのは、予想に反してメイジーではなかった。
見たこともない若い男性だ。
短く切られた、燃えるような赤い髪が印象的だった。
多分、年齢はジスランさんぐらい。
水浅葱色をした軍服のようなものを着ているけれど、離宮で見る衛兵さんたちの格好とはなんとなく違う。
彼は視界に私を捕らえるのと同時に、目を細めてニイッと笑った。
人懐っこい笑顔を向けられ、反射的に笑い返してしまう。
でも、この人いったい誰だろう。
なぜ親しげに笑いかけてきたのかもわからない。
……だけど、変だな。
今の笑い方、どこかで見たことがあるような……。
男性は大股でズカズカと歩み寄ってくると、流れるような仕草で戸惑っている私の手を取った。
「初めまして、妃殿下。どうぞお見知りおきを」
「あっ。……ひゃっ!?」
野いちごを摘むため手袋を脱いでいたむき出しの指先に、男性はちゅっと音を立ててキスをした。
さすがに唇が触れることはなかったけれど、驚きすぎて上ずった声が出てしまった。
だって、陛下以外の人にこんな挨拶をされたのなんて初めてだ。
私が慌てて手を引っ込めると、彼は低い声でくくっと笑った。
「ずいぶん可愛らしい反応をするんですね。嫁いできたのは、傍若無人な姫君だって聞いていたんですけどね」
口元に人差し指を当てながら 、気の抜けた調子でそんなことをいう。
こちらに対してどういう感情を抱いているのかわかりにくい人だと思った。
身長が高いせいか、目の前に立たれるとちょっと威圧感があるし……。
ていうか、近いな……!?
私がスッと間を取るように後退ると、その分サッと距離を詰められた。
ええっ……。
初対面だってのに、距離感おかしくないですか……!?
「あのっ」
「こいつ誰だよって思ってます? 大丈夫。この敷地内をうろついてても怒られない立場の人間なんで。ほら、このナリを見ればわかるでしょう?」
観察して下さいと言わんばかりに男性が両手を広げる。
つい言われるがまま彼の姿を眺めてしまった私は、目の前の男性ががっしりとした無駄のない体躯をしていることに気づいた。
もし日本で出会っていたら、間違いなくスポーツマンだと思っただろう。
……この世界でそれはないだろうから、おそらく、軍人さんなんだよね。
このナリでわかるって言われても……。
胸元に付いているやたらたくさんの勲章を見ても、そこに込められた意味なんて私が知っているはずない。
余計なことを言ったら、ボロが出そうだ。
陛下との出会いの場でも私はそういう失敗を犯している。
そろそろと窺うように顔を上げると、ずっと私を見つめていたらしい瞳とばっちり目が合ってしまった。
うっ、きまずい。
私はそう思ったのに、男性のほうは明らかにこの状況を面白がっていた。
なんというか見られ慣れている感じがする。
男らしくて見栄えもするし、恐らく彼はすごくモテるのだろう。
そしてそれを自覚しているタイプだ。
喪女である私は、とくにこういう男性が苦手だった。
「あれ? どうしました、妃殿下。突然、警戒心むき出しの顔になりましたね」
「いえ、別にっ」
って、身元不明の人とこんな悠長に話をしていたらまずいんじゃない!?
魔力がないのがバレたら大変なことになるっていうのに、出会いが唐突すぎてつい失念していた。
よし、逃げよう。
こういうときは撤退に限る。
この人が誰かなんてことは、陛下に会ったときに確認すればいい。
「すみません、私、ちょっと――」
「ああ、逃げようとしてますね。――でもだめよ。逃がさなーい」
「え……はっ!?」
彼は私の背後に立っている木の幹に右手をつき、無遠慮に距離を近づけてきた。
……って、今『だめよ』って言った?
「アタシは妃殿下がどんな類の女狐なのか知りたいの。だから化けの皮をはぐまで、解放しないわよ」
聞き間違いじゃない、やっぱり口調がオネエだ……!
もしかしてこれが彼の素なのだろうか。
なんだかめちゃくちゃ辛辣なことを言われているけれど、オネエなのが衝撃過ぎて会話の中身が頭に入ってこない。
……いや、でもこの体勢は問題だ! それに女狐って!
「もう少し離れてください。それに私、あなたから女狐なんて呼ばれるようなことしました?」
彼は、離れてくださいと言う言葉を平然と無視した。
「そんなふうにしらばっくれたって、貴女が陛下を誑かしていることは、王都中の人間が知っているわよ」
「た、たぶっ……!?」
私が陛下を!?
「『陛下は離宮という鳥かごに妃殿下を閉じ込めている』――こんな噂を民衆たちが面白がってするようになるなんてね。あの完璧な陛下も、まだまだ子供だったってことかしらね」
「ま、待ってください。何それ……」
「陛下が公務の場に妃殿下を連れていかないのは有名な話よ。毎回、『我が妻には公務を行わせない』『我が妻は表には出さない』と言って突っぱねてるらしいじゃない? それが噂になって、『陛下は新妻が大事すぎて、自分以外の者と関わらせたくないんだろう』『魔力だけじゃなくご寵愛の仕方も最強レベルか……』『溺愛しすぎて、妃殿下のことになると我を忘れてしまうのだろう』なんて言われてるわけ」
なっ、ななな……!?
我を忘れる!?
溺愛!?
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