55 額の傷
「エミ!」
扉が閉まるのと同時に、私の名前を呼んだ陛下が駆け寄ってきた。
さっきまで怖いくらい冷静な態度で采配を振るっていた人と同一人物なのかと疑いたくなるぐらい青ざめている。
「えっ、な、なに。どうしたの?」
「その傷……」
言われて思い出した。
そういえば私、すっ転んでおでこを切っていたんだっけ。
それどころじゃないからすっかり忘れていたよ。
確認するように指先を額に持っていくと、触れた場所からズキッと痛みが走った。
「じっとしていろ」
私の顔の前に陛下が手のひらをかざす。
ふわっとした日だまりのような暖かさを覚えた直後、額の痛みが消え失せた。
「あれ……。痛くない……?」
「魔法で治療した。これで傷痕が残ることもない」
「すご……。ありがとう、陛下」
「いや……。おまえの治療が最後になってしまってすまない」
「え!? そんなこと気にしないでよ。エミリアちゃんを止めることや、侍女さんたちをなんとかすることのほうが大問題だったじゃない? そもそも私ですら自分が怪我したことを忘れてたぐらいだし!」
陛下は複雑そうな顔で小さく溜め息を吐いた。
「それはそうなのだが、優先順位を平等につけたくない自分がいる……」
彼の指先がおそるおそるというように、私の前髪に触れる。
「本当にもう痛くないか?」
「う、うん」
気遣うような瞳に見つめられると、胸の鼓動が早くなってしまう。
「今日は逃げようとしないんだな」
陛下が私の気持ちを窺うように、目を覗き込んでくる。熱のこもった視線から逃げられない。
そのとき――。
「ちょっとー!! いい加減、私が出て行きづらい雰囲気出すのやめなさいよー!!」
「わあ!?」
私たちの間にむすっとした顔のエミリアちゃんが割って入ってくる。
慌てて飛び退いて陛下から距離を取ると、露骨にムッとした顔になった陛下が舌打ちをした。
「エミリア……せっかくエミが大人しく触れさせてくれてるのに、なぜ邪魔をした。もう少し気を遣って姿を隠していてくれればいいものを……」
「ふーんだ! 私はエミの味方だから、うっかり雰囲気に流されてるだけのエミの目を覚まさせてあげようと思ったのよ」
「……雰囲気に流されてるだけ。そうなのか、エミ」
いや、絶望した顔で私を振り返るのはやめて……! そんな質問に答えられるわけないよ! だって違うって言えば、陛下に惹かれ始めていることを本人に打ち明ける流れになってしまう。無理無理! まだそういう段階じゃない……!
私が眉間に皺を寄せて黙り込んだら、陛下はがっくりと肩を落とした。エミリアちゃんだけが満足げな笑顔でふわふわと揺れている。
◇◇◇
その日、陛下はエミリアちゃんが消えてしまう夜まで私たちをふたりきりにしてくれた。
防犯のため、部屋を出た先にはいつもどおり衛兵さんたちが待機しているけれど、室内に出入りする人間は誰もいない。
あれから侍女さんたちは、陛下の命令で即座に全員解雇されることになったのだ。
魔法で消し去った記憶が戻ることはほぼないらしいのだけれど、何かの拍子に思い出さないとは言い切れないのだという。
同じ場所で働き続けていれば、記憶が刺激される頻度も増える。
だから雇用し続けることはできないと言われれば、私も頷くしかなかった。
ハンドクリームをあげた侍女さんとは仲良くなれるかもと期待していたところなので、残念だけれど仕方ない。
そもそもハンドクリーム事件のことを知った陛下は侍女さんたちにかなり怒っていて、初めは「エミを傷つけたことへの償いを、解雇如きで済ませるなど俺は納得できない」と言っていたので、これでもましな結果になったほうなのだ。
私は報復なんて望んでいないと伝えて、自分のことのように怒りまくっている陛下を宥めるのはめちゃくちゃ大変だった。
エミリアちゃん的には子供のように怒っている陛下と、それをアワアワしながら宥めている私という構図が相当ツボだったらしく、何度も思い出してはおなかを抱えて笑っていた。
エミリアちゃんがあんまり笑うから、だんだん私も可笑しくなってきたくらいだ。
私とエミリアちゃんは笑い合ったり、たわいもない雑談をしたりしながら、ラベンダーのアロマを炊いた部屋の中でのんびり女子会をやって一日を過ごした。
「もしエミリアちゃんに行きたいところがあるのなら邪魔しないよ」と伝えたけれど、なんと彼女の方から「夜までエミと一緒にいるわ」と言ってくれたのだ。
――そしてついに別れの時間が訪れた。
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