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53 エミリアちゃんの心の叫び

「私の結婚話が浮上したのは、十歳の時だったわ」


 エミリアちゃんはそう言って語り始めた。


「相手はテオドール陛下。私もそのときはすんなり受け入れて、嫁ぐための準備や花嫁修業を懸命に頑張ったわ。ところが話が出た半年後、陛下側の都合で無期限の延期を申し入れられたの」

「無期限の延期? それって……」

「ほとんど話が立ち消えたようなものよ。別に結婚に夢を見ていたわけじゃないわ。だけど、ずいぶん身勝手な話だって思った。それに、そんな身勝手な話に振り回されて必死になっていた自分もすごく馬鹿に思えたわ」


 陛下にもきっと何らかの事情があったのだろう。

 でもエミリアちゃんの気持ちもわからなくはない。


「私の結婚が消滅した影響で、私の国は別の国と国交を強化する必要が出てきた。その結果、五つ上の姉が、父の命令で北にある雪深い国にお嫁に行くことになったの。でも姉は環境の変化に馴染めなくて病に倒れた。――そして、国に戻ってきたあと病死したわ」

「そんな……」

「姉が死んだと聞いて、父は姉のことを罵ったわ。『役立たず』だってね。その父の言葉で思い知ったわ。王族に生まれた私たちは、国王や国のための存在なんだって。国の役に立たなければ、実の親からも無意味な命だと罵られるのよ!」

「……っ」


 エミリアちゃんの感情が波打ちだしたことに合わせて、彼女の声も少しずつ大きくなっていく。

 私はかける言葉を見つけられないまま、両手をぎゅっと握りしめた。


「十三歳の冬に、陛下との結婚の話が再浮上した。勝手な話よね。また強制的に花嫁修業がはじまって、私はすべての自由が奪われたわ。公務のあいだに庭に出たり、お茶を飲んだり、そんなささやかな楽しみもすべて禁止された。そんなことをしている時間があるなら、嫁いだ後、相手の男に気に入られるような手練手管を少しでも身につけろってことらしいわ」


 まだ十三歳の女の子に、それは辛すぎる。


「私は耐えきれなくなって脱走したわ。でも、逃げても逃げても見つかって連れ戻された。二回逃げて、三回逃げて、とうとう軟禁されたのよ。だから、食べるのをやめたの」

「ええ!?」


 ハンガーストライキってこと!?


「その直後、父のもとに連れて行かれて怒られたわ。『おまえも姉のように役立たずのまま死ぬ気か』って。私は言い返したわ。『せめて人らしい生き方をしたいと思うことがなぜいけないの!』とね。私は父に平手打ちされたあと、手足を拘束され、塔の上に押し込められたの。魔法で強制的に栄養を摂るようにされたせいで、食べないという反抗も無意味なものになったわ」


 ひどい。

 もしかしてエミリアちゃんの胃がすごく弱いのは、その一件が影響を及ぼしているのかもしれない。

 ちゃんと食べて消化するっていう活動をし続けなければ、胃は小さくなって弱ってしまうとどこかで聞いたことがある。


「誰かエミリアちゃんの話をちゃんと聞いてくれる人はいなかったの? 相談する相手とか……」

「様子を見に来てくれた母には相談してみたわ。母は優しかったから」

「お母さんの返事は?」

「私は手足を拘束されたまま、車椅子で王家の人間の肖像画が飾られた部屋へ連れて行かれたの」

「そこで、なにがあったの?」

「母はあくまで穏やかだったわ。そして笑いながら言った。『王族の命も体も国のもの。王の娘として生まれたからには、人形として求められた振る舞いをすればいいの。何も考えずに。皆、そうやって運命にしたがってきたのです。わたくしも、あなたのおばあ様も、そのまたおばあ様も。どうしてあなただけが運命から逃れられると思うのです? おかしな子ね』って」


 エミリアちゃんから語られた言葉を聞いて、私はぞっとした。

 それは彼女も同意見だったみたいだ。


「生まれて初めて母親を恐ろしいと思った。父よりもね。『皆があなたの行いを見守っています。恥と思われぬよう、生きなければなりませんよ』……そんな風に母は言ったわ。抗うだけ無駄だって悟って、聞き入れたふりをして大人しく過ごした。その間も、王家や両親、自分の宿命に対する憎しみを募らせたまま」


 そうだったんだ。

 エミリアちゃんはそのまま嫁ぐ日を迎え、この国に連れてこられた。

 そして、そこで再びチャンスを得たのだ。

 エミリアちゃんが逃げ出したのは発作的な行動じゃなくて、ずっと機会を窺っていた上での行動だったのだと知った。


「結局、満を持した脱走も失敗に終わった揚句、私は死んでしまったけれど。でもそのことに関しては後悔していないわ」

「エミリアちゃん……」

「だって嫌だったもの……! 王家も王族も全部、全部嫌だった!」

「……うん。そうだね」

「国がどうなろうと、もう知ったことじゃない。母も父も死ぬまで何十年も王家と国に縛られてればいい! あいつらの持っていない自由を私は手に入れてやったわ!」


 エミリアちゃんは大声で叫んだ。

 黒い靄が増すことはない。

 むしろエミリアちゃんの吐き出す言葉の威力に驚いているかのように、散りはじめた。

 効果が出てるんだ……!


「そう、私は死ぬことで自由になってやったのよ! ばーかばーか!」

「その調子だよエミリアちゃん! もっと吐き出して!」

「私は絶対に転生して、次は幸せで自由な人生を生きてやるんだから! こんなところで悪霊になんかなってる場合じゃないのよーっ!!」


 黒かった靄の色が薄くなり、消えていく。

 エミリアちゃんの表情も、心なしかすっきりしてきたようだ。


「はあ、はあ……」


 息切れしながらも呼吸を整えるエミリアちゃんと目が合った。

 ちょっと照れくさそうだけど、彼女の目に、さっきまでのよどんだ暗さはない。


「他には?」

「もうないわ」

「すっきりした?」


 エミリアちゃんは、自分の胸に手を当てると、仏頂面でそっぽを向いた。


「……言いたいことは何も残ってないわ」

「よかったあ……」


 私はそれを聞いてほっとした。

 エミリアちゃんはばつが悪そうな顔をして、珍しくもじもじと俯いている。


「言いたいこと言っただけでこんなにすっきりするなら、もっと前にやっておけばよかった。――いいえ、違うわね」


 そう言って、彼女は顔を上げた。何か理解した表情で。


「生きていた頃の自分には、どうしてもそれをする勇気がなかったんだわ。どうして姉の悪口を言う父を見て見ぬ振りしたのか、どうして母に反論しなかったのか、分かった気がする」

「エミリアちゃん……」

「結局、私もあいつらと一緒なのよ。逆らうほどの勇気が持てなかった。本当はそんな自分に対して一番腹が立っていたの」


 彼女が晴れやかな顔で視線を挙げた瞬間。

 エミリアちゃんの周りに漂っていた薄い靄が、完全に消滅した。

 吹き荒れていた風も、いつのまにか止んでいる。

 私の前に浮かんでいるのは、真実と向き合ったことで憑き物が落ち、晴れ晴れとした表情のエミリアちゃんだった。

お読みいただきありがとうございます!

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