49 怒ったぞー!
侍女長さんの厳しい声を聞いた途端、侍女さんたちは気まずそうに視線を逸らした。
でも多分、それが余計にいけなかった。
なお一層眉をつり上げた侍女長さんは、委縮して固まる侍女さんたちのもとまで向かうと、ひとりひとりの顔を睨みつけて回った。
無言なのがまた怖い。
私まですくみ上りそうになった。
「あ、あの……侍女長さん。本当に私が不注意で割っちゃったのかもですし……」
「有り得ません」
ひっ。
止めに入った私にまで、凍りつくような視線がぶつけられた。
「私は妃殿下の作業を、最初から最後まで、至近距離で拝見させていただきました。万が一にもお怪我をなさらぬよう、注視しておりましたから決して見落としなどはありません。妃殿下はガラスを割ったりなどしていらっしゃいませんでした。そうでございましょう?」
「えと……」
「そうでございましょう!」
「は、はい! そうでございますっ」
ああ、威圧感がすごくて口調が移っちゃったよ。
侍女長さんは確かに、私の一挙一動を、すごく厳密に見ていてくれた。
というか見張っていた。
おかげといってはなんだが、侍女長さんが保証してくれるなら、私も自分の失敗じゃないんだなと思えてきた。
そうなると、じゃあどうしてハンドクリームに何かの破片が混入することになったのだろうという話になる。
「状況を整理します。あなた、ハンドクリームは普段どのように管理していたのですか?」
「普段は肌身離さず持ち歩いていました。あ、でも、お風呂と寝るときはベッド脇に置いていました」
「では、そのときは他の者がハンドクリームに細工をできたということですね」
侍女さんたちの輪の中から、微かなざわめきが起こる。
私もなんだか嫌な予感がしていた。
「侍女の部屋には、侍女以外が出入りすることは出来ません。つまり、この中の誰かがハンドクリームに何かを仕込んだということです」
「え……」
侍女長さんの発言にショックを受ける。
それってつまり、誰かがわざとやったってことなの?
突然、人の悪意を感じる展開になり、ゾッとしてきた。
いたずら……っていうには、かなり悪質だよね。
もし本当に故意になされたことなら、かなりの問題だ。
「何か知っている者は?」
部屋の中はしーんと静まり返っている。
誰も反応を示す者がいない。
数秒間、待った後、侍女長さんはさらなる爆弾を投げた。
「答えないのであれば、この場にいる者は全員クビです」
「そんな……!」
とっさに数人が声をあげた。
黙ったままの子たちの顔にも、明らかに焦りの色が見える。
侍女長さんは脅しのためだけに、クビという言葉を口にするタイプではない。
私よりも、侍女さんたちのほうがそのことをよく知っているのだろう。
中には半泣きになっている子まで現れはじめた。
「さあ、どうしますか?」
侍女さんたちがお互いに目配せをし合っている。
どうやら何も知らないってわけじゃないみたいだ。
「答える者はいないようですね。わかりました。では、侍女を総入れ替えすると上に話してきます。全員今すぐ荷物をまとめなさい」
「待ってください、侍女長! 私は関係ありません!」
「それだけでは信じようがありませんわね」
「……っ」
突き放された侍女さんの一人は、たまりかねたように隣の子を指さした。
「彼女です! 彼女がハンドクリームにガラスの破片を入れました」
「な!? ちょっと!」
「私も見ました。それにこう言っていました。『ハンドクリームなんか使って妃殿下に取り入ろうとしてる、だから嫌がらせしてやるんだ』って!」
「あんたたち、どういうつもり!? 誰かに言ったら承知しないって言ったじゃない!」
指をさされた女性は、真っ赤な顔でそう叫んだあと、ハッとしたように口を手で塞いだ。
「どうやら荷物をまとめてもらう人間が絞り込めたようですね」
「ち、違います!」
「いえ侍女長、彼女です」
「彼女がやりました!」
「……っ」
みんなに告発され、とうとうその子は癇癪を起こした。
「なによ! 私だけ悪者ってわけ!? みんなだって一緒になって、喜んでたくせに!」
「私たちは見ていただけよ! 侍女長、あの子、ガラスの破片を入れたのが妃殿下の仕業だって思われれば、面白いことになるとも言ってました!」
うわあ……。
社会人になって数年。このノリを完全に忘れていたけれど、これは学生時代にありがちなイジメだ。
まったく、なんてことだろう。
百歩譲って、私はいい。
でも、なにも悪くない子に怪我をさせるのは、ちょっと許せないぞ。
私が出るまでもなく、侍女長さんがきちっと対処しているので、余計な口出しはしないでいるけれど、内心では結構怒っている。
「侍女長! 聞いてください! 私だけが悪いんじゃないんです!」
「言い訳は結構。あなたのしたことは職場の和を乱すだけでなく、妃殿下への侮辱にもあたります。相応の罰を受けなくてはなりません」
「そんな……」
「衛兵を呼んで参ります。そこで大人しくしていなさい」
本当にまずいことになったと実感したのか。
犯人だった女性の顔がさーっと青くなる。
直後、驚いたことに、彼女は私にすがりついてきた。
「妃殿下! どうかお許しください!」
「わっ」
「ほんのいたずらのつもりだったんです! 私、ここでクビになったら困るんです!」
「何をしているのです! 妃殿下から手をお離しなさい!」
侍女長さんが引き剥がしてくれようとするけれど、侍女さんの力は思いのほか強い。
しかも彼女が無理矢理離される反動で、私は勢いよく吹っ飛ばされてしまった。
「うわわ!!」
アッと思ったときには遅く――。私は派手な音をたて、テーブルの上の花瓶をなぎ倒しながら、床に転倒してしまった。
「ひ、妃殿下ーーーっ!?」
侍女長さんのあんなに慌てた声、初めて聞いたな。
床に倒れて、痛みのあまり起き上がれない中、頭の片隅でそんなことを思う。
やばい、おでこがとにかく痛い。
机の角にもろにぶつけてしまったようだ。
「いたたたた」
侍女長さんに助けられて、なんとか体を起こす。
そのとき、こめかみの脇をつーっと冷たいものが流れ落ちた。
ん?
そっと指先で触れる。
あ。血だ。
そう認識したのと同時に、地を這うような呻り声が聞こえてきた。
「よーくーもー……」
「ひっ!? こ、この声は何!?」
「よーくーもー、怪我を、させたわねええええええ……っ!!」
部屋中が地震のようにガタガタと揺れている。
窓ガラスがバタンバタンと開閉を繰り返す。
外は明るいのに、気づけば部屋の中だけが異様に暗くなっていた。
どす黒い闇のような塊が、隣の部屋の壁からゆっくりと姿を現すのを見て、ヒッと息を呑む。
あ、あれは……。
うそ!?
え、エミリアちゃん!?
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