48 きっかけ
侍女さんの控え室に通じる扉を開けると、室内は騒然としていた。
部屋の中央には、ハンドクリームをあげた侍女さんが蹲っている。
彼女の周りには、粉々に割れたガラスの破片が散らばっていた。
床に溢れ出た液体を見て、あっと息を呑む。
あれはハンドクリームだ。
じゃあ割れたのは、ハンドクリームを入れていたガラス瓶?
もう一度、侍女さんに視線を向けると、彼女が左腕を庇うようにして右手で覆っているのに気づいた。
その隙間から、腕を伝って、ゆっくりと赤い滴が流れていく。
「怪我をしたの!?」
慌てて駆け寄ろうとした私の肩を誰かが掴む。
振り返る間もなく、侍女長さんが私を庇うようにして前に出た。
「なりません、妃殿下。不用意に近づいて、妃殿下までお怪我をされたらどうします」
「でも……!」
「お任せください」
侍女長さんはそのまま部屋の中に入っていくと、怪我を気遣いながら侍女さんを立ち上がらせた。
「何があったのです?」
侍女さんは言いにくそうに俯いたあと、声を震わせながら言った。
「わ、私の不注意でございます……」
彼女の瞳が微かに泳ぐ。
私だけでなく、侍女長さんもその瞬間を見逃さなかったらしく、わずかに目を細めたあと、感情を隠した顔で頷いた。
「手当をします、来なさい。――他の者はそのまま待っていなさい。この瓶には触れないように。片付けはあとで私が行います。妃殿下はお部屋にお戻りください」
そう言い残し、侍女長さんたちが出ていくと、室内には気まずい沈黙が流れた。
部屋に戻るように言われたけど、そんな気にはなれない。
「ねえ、何があったの?」
私は近くにいた子に尋ねた。
侍女さんが怪我をしていたのは、手の甲だ。
瓶を落として割ったときに、あんなところを怪我するとは思えない。
「あの……えっと」
私に捕まった子は、助けを求めるように他の子たちに視線を送った。
他の子にも同じように尋ねてみた。
けれどみんな顔を見合わせて、うやむやな言葉を呟いたきり、黙り込んでしまった。
いつも以上に距離を取られている。
う。アウェイ感がすごい……!
私が困っていると、侍女長さんと侍女さんが戻ってきた。
「妃殿下。まだここにいらっしゃったのですか」
はい、いました。
それでめちゃくちゃ迷惑そうにされていました。
いや、そんなことはいいのだ。
「それより侍女さんの傷は?」
侍女さんの手には包帯が巻かれていて、痛々しい。
「傷が浅かったのが幸いしました。ガラスの破片なども入っておりません。これなら跡も残らず済むでしょう」
「ああ、それはよかったです」
不幸中の幸いと言える。
ホッとして肩の力を抜いた私とは対照的に、侍女長さんはいつも以上に表情を厳しくすると、室内に残っていた子たちを見回した。
「それで、いったい何があったのです?」
さっき私がしたのと同じ質問だ。
当の本人はやっぱり俯いて首を横に振るだけだったけれど、他の子たちは侍女長さんに睨まれるとビクビクしながら説明をはじめた。
よっぽど侍女長さんが怖いのか。
それとも私の立場が弱すぎるのか。
多分どっちもだな……。
「あの子がハンドクリームを塗って、突然痛いって叫んだんです」
「そのあと瓶の割れる音がして」
「見たら血がすごく出てて、私がびっくりして悲鳴を上げたんです」
瓶が割れたのは、あの子が叫んだあとだったんだ。
となると、やっぱり割れたガラス瓶で怪我をしたわけじゃない。
侍女さんのひとりが侍女長さんに質問をした。
「侍女長。この子の傷はどういうものでしたか?」
「鋭利な刃物で切ったような傷口だったようです」
「例えば、ガラスとかナイフみたいなものってことですよね?」
侍女さんたちの質問に、侍女長さんは頷く。
すると侍女さんの一人が小さな声で言った。
「それじゃあ、ハンドクリームの中に、何か入れられてたってことですか?」
「……」
その瞬間、私に一斉に視線が集まった。
え?
私が何か入れたって疑われてる?
もちろん意図的にそんなことはしていない。
作業中、ガラスが割れたりはしなかったし、細心の注意を払ったはずだけど、何かの拍子に破片が入ってしまったのだろうか……。
私のせいで彼女に怪我をさせてしまったなんて……。
血の気が引いてくのを感じながら謝ろうとしたとき、侍女長さんの厳しい声が響いた。
「いい加減になさい! 妃殿下にそのような態度を取るなど不敬ですよ!」
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