45 さよならの前に①
侍女さんたちが片付けを終えて撤収し、ひとりになったところで、私は室内をぐるんと見回した。
「エミリアちゃん、今日はいる?」
そっと呼びかけてみる。
ここ数日、エミリアちゃんを呼んでも返事がなかった。
昼だけじゃなくて夜もだ。
「いないのかな」
やっぱり返事がない。もう消えてしまったんじゃないかと不安になってくる。
「エミリアちゃーん?」
衣装タンスを開けて、中をのぞき込んでいると、不意に上から不機嫌な声が降って来た。
「ちょっと、どこ探してんの!? そんなところにいるわけないでしょ!」
あ。やっと来てくれた。
ホッとして振り返ると、エミリアちゃんは空中でふんぞりかえっていた。
幽霊にこういう言い方もあれだけれど、元気そうでなによりだ。
「何か用?」
「話がしたかったの」
あんまり考えないようにしていたけど、エミリアちゃんがいなくなるまで、今日を入れてあと二日しかない。
エミリアちゃんからは、そのことを意識して過ごしてほしくないと何度も言われていた。
だから私も彼女が希望するように、普通に過ごしてきた。
だけど、やっぱり心の中になんとも言えないやもやが渦巻いているのだ。
「ねえ、よかったら今日は私と一緒におしゃべりしない? エミリアちゃんと過ごしたいんだ」
「……ふん。しょうがないわね」
きっと、私の気持ちを察してくれたのだろう。
エミリアちゃんは渋々ながら承諾してくれた。
「ここ数日どうしてたの? 姿が見えないから心配したよ」
「せっかく自由になったんだから、ふらふらしてるのよ」
「人に見られちゃったりしない?」
「バレないように行動するのが楽しいのよね。気配がないから、大胆に振る舞っても意外といけるものよ。あなたのことだって時々こっそり様子を見ていたわ」
「え! そうだったの?」
声をかけてくれればよかったのに。
「陛下がこの部屋で過ごしたってのは最悪だけど、人間関係は順調そうじゃない? 使用人の心を掌握しとくと得よ」
「そういうものなの? まあ、でも嫌われてるよりは好かれたほうが嬉しいな」
「嫌がらせされたらどんどんクビにしちゃっていいのよ」
エミリアちゃんは悪魔のような顔でニヤニヤしている。
「どうなの? 気に入らない侍女とかいる? あなたのことをじろじろ見てる侍女が何人もいるじゃない。そいつら全員クビにしたら?」
「いやいや、しないよ! 警戒されてるだけで、嫌がらせをされてるわけじゃないしね。そりゃあなんか害があることされたら、私も考えるけど……。ただ今は、お互いどう接していいかわからない状態だと思うから。結論を出すのは早すぎるよ」
「ふーん。お人好しね。王妃なんて舐められたら終わりなのに」
そうかなあ。
みんな、そういう感じではなかったけどな。
「まあ、あなたと私は違うから。好きにしたらいいわ」
「ふふ、ありがとう」
「この離宮での人間関係は心配なさそうだから、問題は陛下よ。それからあの従者と……」
エミリアちゃんがあれこれ考えてくれるのを、私はにこにこと見守っていた。
「なによ、にやけて。気持ち悪いわね」
「いやあ、エミリアちゃんいい子だなーと思って」
「はあ!? やめてよ!」
ぷんぷんと怒っている美少女はやっぱり眼福だ。
「そういえばエミリアちゃん。私があなたに聞いておくべきことってある?」
例えばエミリアちゃん自身の趣味嗜好、人生、知人について。
万が一、彼女のふりをしなければいけないとき、何も知らないんじゃまずい気がする。
ところがエミリアちゃんは鼻に皺を寄せると、私の目の前に指先をつきつけてきた。
「何度も言ってるでしょ! あなたには私の演技をして生きて欲しいわけじゃないの。だから私のことなんて覚える必要ないわよ」
「でも、バレちゃまずいときとかってない?」
「この国の人間相手ならバレようがないわ。死ぬ前に接点なんてほとんど持たなかったから。そのままのあなたでいけるわよ」
「エミリアちゃんの祖国の人たちは?」
「それについても気にしなくて平気。そもそも私の家族の顔も見たことないのに、教えてもしょうがないでしょ。だいたい他国に嫁いだ王妃は実家に帰らないものだから、今後会う可能性もほぼないわよ」
「そうなの!?」
十五歳の女の子が嫁いだきり、家族に会えなくなるなんて……。
電車で一時間足らずで実家に帰れた私ですら、家を出た当初はホームシックにかかって大変だった。
王妃っていう立場って、本当に大変なんだな……。
思わずしんみりしていると、むすっとした美少女に顔を覗き込まれた。
あ、同情すると怒られるんだった!
強引にでも頭を切り替えるため、私はソファーのほうへと移動した。
「エミリアちゃんのふりをしなくてもいいってことはわかったよ。あとは、妃殿下としての振る舞いについて何かある?」
「それも別にどうでもいいわね。だいたい、そっちは問題があるなら、陛下がなんとかするんじゃない? 今みたいに離宮で暮らしてるぶんには、ほとんど関係ないし。重要な式典のときだけ、練習したらいいんじゃないの」
「え。でも今後陛下のご家族と会うときとかに、へましちゃうのでは!?」
「それこそあの甘ちゃん陛下がなんとかするでしょ。それに家族って、あなたすでに……」
「すでに?」
「……まあいいわ」
え。なんだろう。
「ともかく、お妃教育も別にしなくていいから。心配事は人間関係ぐらいだったし、これで心置きなく転生できるわね」
「エミリアちゃん……」
ずっと抱いていた寂しさが、現実的なもの悲しさとなって私の心を覆う。
せめてエミリアちゃんが幸せに転生できるといい。
彼女が消えてしまうまで、あと一日。
明後日の夜0時にはお別れなのだ。
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