26 じゃがいものパックと夏みかんのお風呂
木箱いっぱいもらってきた夏みかん。
私はこれで贅沢なバスタイムを楽しむつもりでいる。
昔のヨーロッパ的なファンタジー世界が舞台の場合、史実に合わせて衛生面がとんでもないことになっている物語も多い。
自分がどうやら異世界転生したらしいと気づいたとき、まず最初に危惧したのがその点だったので、この世界にはちゃんと入浴の習慣があると知った時は、心からホッとしたものだ。
私も毎日お風呂に入らせてもらっている。
決まった時間になると部屋の真ん中にバスタブが運び込まれて、侍女さんたちがせっせとお湯を入れてくれるのだ。
ただ石鹸なんかはやっぱり元いた世界と比べて、泡立たないし、匂いもイマイチなので悲しい。
しかも髪も同じ石鹸で洗うから、軋むなんてもんじゃない。
それで乾かすとどうしてもゴワゴワしてしまう。
エミリアちゃんの髪はせっかく綺麗な金髪なのに実にもったいない話だ。
そのうちシャンプーやヘアパックも作りたいな。
ただし今から作るのは、パックはパックでも顔用。
夏みかんの中に豊富に入ったビタミンCには、美肌効果があるからね。
ということで、さっそく生産開始。
「侍女長さん、テーブルの上で作業していいですか?」
侍女長さんは訝しそうにつつも、了承してくれた。
「くれぐれも危険なことはなさらないでくださいよ。ただでさえ妃殿下は危なっかしいお方なのですから。もし何か妃殿下の身にあられたら――」
「はいはい、わかってますって」
侍女長さんのあしらいにもだんだん慣れてきたぞ。
傍に張りつかれ、突き刺さるような視線を感じても、気にしないことにする。
まずはテーブルの上に、厨房でもらってきた材料を並べていく。
箱の中には夏みかんのほかに、芽が伸びてしまったじゃがいも一個と、スプーン一杯分の蜂蜜を入れた小瓶がある。
蜂蜜は貴重品かもしれないから、分けてもらえるか尋ねる前に、入手難度を先に確認しておいた。
妃殿下という立場なら、ある程度贅沢が許されるのかもしれないけれど、私個人があまりそういうのは好きじゃない。
自分のやりたいことのために、お金をかけてもらうのも気が引けるし。
今回の蜂蜜は、料理長さん曰く「王家の領地で養蜂しているため、甕一杯の量を常備しております」とのことだった。
じゃがいもも破棄される予定のものを譲り受けてきたので、食用以外で使っても、まあ許されるだろう。
準備が調ったので、これからじゃがいもの皮を剥き、厨房で借りてきたおろし金ですりおろしていく。
皮むきに使うナイフは、これも厨房から借用したものだなのだけれど、それを取り出した瞬間、侍女長がヒッと息を呑み、「まさか妃殿下……!?」と叫んだのにはびっくりした。
「な、なんですか。ナイフを持ってる時に、脅かさないでくださいよ」
「そのナイフ、一体何に使われるおつもりですか……」
青ざめた顔をした侍女長が、少しずつ間合いを詰めてくる。
まさかこの人、私からナイフを奪おうとしているのか?
別にこれを振り回して暴れたりしないよ!
私はちょっと呆れ気味に、腰に手を当てた。
「ナイフはじゃがいもの皮を剥くのと、夏みかんを切るのに使うんです」
「あら……まあ。左様でございますか……」
納得したような返事ではあるものの、どうにもまだ疑われている雰囲気だ。
一応、邪魔されることはなさそうなので作業に戻る。
しばらくして無事ジャガイモの擦り下ろしが終わった。次は夏みかんの番だ。
大きめの夏みかんをナイフで切って、ジャガイモ汁の上に果肉を絞る。
おお。いい香り!
最後に蜂蜜を入れてざっくり混ぜたら出来上がり。
これであっという間に、じゃがいもパックの完成だ。
「妃殿下……。一体なんですか? この薄汚れた色をした液体は……」
薄汚れた色の液体って。まあ、たしかに色味はちょっぴり残念だ。
「これは顔に塗るんです」
「なっ!? いけません。こんな得体の知れないものを。お顔が荒れてしまいます」
「大丈夫。むしろ肌にいいんです。ジャガイモの汁には、ビタミンCとミネラルが豊富に含まれているので」
「ビタ……なんですか?」
あ。この世界にはそういう概念はないのかな。
「食べ物なんかに含まれている栄養のことです。色素沈着を防いだり、肌荒れトラブルを解消してくれるんですよ」
「聞いたことがございません。薬草ならまだしも」
なるほど。この世界では薬草がお薬がわりってことかな。
「ああ、薬草もいいですね。でも薬草もじゃがいもも植物の一種じゃないですか」
「それはそうかもしれませんが……」
「じゃがいもの中に絞った夏みかんの汁には美白効果もありますし、何よりいい匂いになるんですよ」
パックは付けっ放しでしばらく放置するから、香りは大事だ。
ただビタミンCは肌を乾燥させやすいというデメリットもある。
だから保湿効果のある蜂蜜を入れて、肌を守るのだ。
侍女長さんは無表情を保とうとしているみたいだけど、明らかに困惑している。
ちょうどそのとき、他の侍女さんたちがお風呂の準備をしにやってきた。
バスタブにお湯が注がれる横で、私は木箱にたくさん残っている夏みかんを輪切りにしていった。
これはお風呂のお湯に浮かべて、バスソルトがわりにするのだ。
お湯がいっぱいになったら、さっそくちゃぽちゃぽと浮かべていく。
「妃殿下、いったい何をなさっていらっしゃるのですか?」
「ふふ、いい匂いでしょう?」
「ええ、それは……」
侍女さんたちにも私のしていることは奇行に映っているようで、眉を下げたまま、顔を見合わされてしまった。
私は今すごく幸せな気分だし、皆の反応が冷ややかなのはいつものことなので気にしない。
さてさてー。
準備が調ったので、至福のバスタイムをはじめる!
鼻歌を歌いながら服を脱ぎ、お風呂に入る。
ちょっと熱めのいい温度。
湯船に体を沈めると思わず声が出た。
「はふー!」
最高に気持ちがいい。
いつも通り完璧なお湯加減だし、夏みかんのいい香りが鼻先をくすぐる。
やっぱり入浴剤があると、全然違うなあ。
柑橘系フルーツ特有の爽やかな匂い成分は、リモネンと呼ばれている。
リモネンにはリラックス作用があるので、入浴剤がわりにうってつけなのだ。
「あー……しあわせ……」
心が満たされていくのを感じる。
さあ、そろそろパックもしようかな。
出してもらっておいたガーゼのハンカチと、さっき作ったじゃがいもパックの入ったボウルを、湯船の傍に持ってきてもらう。
ガーゼハンカチを液にひたして、顔の上にペタッと乗せる。
これで二十分くらい放置するのだ。
私はバスタブの縁に頭を乗せて、ふうっと目を閉じた。
こうしているあいだに、侍女さんたちが髪を洗ってくれているので、私は何もせずぼーっとすればいい。
なんて贅沢。
まさに至福のひととき……。
高級サロンに来たみたいだ。
自前の癒し系グッズで幸せな時間を楽しんでいると、今日の疲れが湯船に溶けて消えていく気がした。
今日の疲れだけじゃない。
向こうの世界で死ぬ直前、思い描いていた夢まで実現させられたのだ。
社畜生活によって疲労していた魂が、元気を取り戻していくような感覚を覚えた。
エミリアちゃんの体にもきっといい効果をもたらしてくれるはずだ。
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