25 持ち帰った夏みかん
厨房を使わせてもらったことに対してお礼を言って、また遊びに来てくれという嬉しい言葉をいただいた私は、腹ごなしに少し庭を散策してから部屋に戻って来た。
手には厨房でもらったお土産の入った木箱を持っていたので、あんまり長いこと散歩をしているわけにはいかなかったのだ。
「えーっとこれはどこに置いておこうかな」
今日の夜には使うつもりだから、テーブルの上に載せといてもいいか。
木箱の中身は、不揃いの夏みかんたちだ。
ひとつ手に取って、鼻を寄せてみる。
持ち運んでいる間も香っていた甘酸っぱい匂いが一層濃くなって、爽やかな気持ちになる。
部屋が夏みかんの香りでいっぱいになっていくのを感じていると、ノックの音がして、侍女長さんが姿を見せた。
どうしたんだろう。普段はこんな時間に来ないのにな。
「妃殿下、やっとお戻りになられたのですね」
あれ、もしかして何か用だったのかな。
待たれていたっぽい言い方だったから尋ねてみたけれど、どうもそういうわけではないらしい。
「お部屋から出られる際は、侍女をお連れになるようにとお願いしたはずですが」
「あ」
しまった、すっかり忘れていた。
厨房に出かけようと思ったときも、部屋に侍女さんたちの姿がなかったから、まったく思い出さなかった。
「ご、ごめんなさい!」
「妃殿下のお姿が見えないと、探すのに人手を割くことになります」
「そうですよね。以後気をつけます」
「ちゃんとお戻りいただけてよかったです。行方をくらませられるおつもりかと、冷や冷やしておりましたので」
侍女長さんが冷たい口調で、責めるように言う。
行方をくらますって……。
さすがにそんな気はなかったので、一応反論しておく。
「別に逃げ出すつもりはないですよ。今のところ行くところも他にないですし」
「当たり前です。妃殿下の居場所は、もうこの離宮だけです!」
ぴしゃりと言い切られて、ちょっとびっくりした。
それに『居場所は離宮だけ』なんて、全然うれしくないポイントなのに、あえて念を押すのってどうなんだ?
あんまり争うのは好きじゃないけど、モヤモヤを心に溜めておくとストレスに繋がる。
せっかく食生活に気を使っても、それじゃあ意味がない。
よし。
ちょっと戦おう。
私は侍女長さんに向き直って、にっこり笑ってみせた。
「私の居場所は“離宮だけ”ですか。厨房に遊びに行くくらいであーだこーだ言われるので、侍女長さんは私の居場所を“この部屋の中だけ”だと思ってるのかって疑いはじめてましたよ」
侍女長さんは細い眉をピクリと上げて、私の顔をまじまじと見つめ返してきた。
「正直そうしていただける方が、こちらとしては都合がいいのですが。あちこち気ままにフラフラされたら、かないませんから」
「そうやって監視しようとするから、逃げ出したくなるのもあると思います」
「監視されるような振る舞いをなさる妃殿下にも問題があります」
監視してるって認めちゃったよ。
「どうせ監視するなら徹底的にお願いしますね」
「え?」
「だってそれなら、たとえ私が離宮のどこかで倒れて動けなくなっても、安心じゃないですか。すぐに見つけ出してもらえますし!」
私の屁理屈に驚いたのか、侍女長さんの冷たい無表情が崩れて、おやまあという顔になる。
どうですか。
私だって黙ってやられてるだけじゃないんですよ。
ちょっと得意に思っていると、侍女長さんは小さく息を吐いてからポツリと呟いた。
「……以前の妃殿下らしいご発言が出て、少々安堵いたしました。ここのところだいぶ大人しくなされていらっしゃったので」
しまった。
以前と違うって思われてたのか。
たしかにエミリアちゃんの性格、私とはかけ離れてる。
私、もしかしてもっとエミリアちゃんっぽく振る舞ったほうがいいのでは……。
でも彼女のように迫力のある感じで話せるかというと、自信がない。
「……ん? 安堵ってなんですか?」
「そのようなこと申しましたでしょうか?」
言ったよ!
侍女長さんはツンと澄ましてそっぽを向き、なぜか素知らぬ顔をしている。
いやいや、白々しいからね。
でも、さっきのあらまあといい、これまでの侍女長さんとはちょっと違う一面だ。
「ふふ」
蝋人形みたいにとり澄ましてるより、こっちの方がずっといいよ。
それにわたしのほうも、冷たくされたまま、なんだかなーと思っていた頃に比べて、軽い言い合いをした今の方がずっと心が軽い。
侍女長さんが意外と人間臭いこともわかったし。
私が口元に手を当てて笑っていると、侍女長さんの額の皺がますます深くなった。
その直後、侍女長さんの視線がテーブルの前でピタッと制止した。
どうやら夏みかんの箱に気づいたようだ。
でも今さら……?
部屋中みかんの匂いがしていたのに、私の気ままな振る舞いを注意することによっぽど意識が集中していたのだろうか。
「妃殿下、これはなんですか?」
「あ、それは厨房でもらってきたんです。落っこちたもの。肥料に使うしかないって言ってたから、少しわけてくれるよう頼んで――」
「妃殿下にそのような品を渡すなど!」
侍女長さんはとんでもないという顔で夏みかんを睨んだ。
「厨房に抗議してまいります!!」
木箱を持ち上げようとしたので、慌てて止めに入る。
「だめだめ! 落ちてたやつで問題ないんです! これ食べるわけじゃないから!」
たしかにおいしそうな匂いだ。
ただ柑橘類は消化に悪い。
もう少し胃が正常な状態になるまではお預けだ。
そうなったら、朝どりの美味しい夏みかんを持ってきてくれるって、料理長さんも言っていたし楽しみにしている。
というわけで、今回のこの夏みかんには別の用途で活躍してもらうつもりだった。
「それなら、いったい何に使うおつもりですか?」
怪訝そうな侍女長に向けて、私はにやりと笑ってみせた。
「それは夕方までのお楽しみです」
どうだろう。
いまのはちょっとエミリアちゃんっぽい、不敵な感じの態度を取れたのではないだろうか。
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