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24 トマトと麦のリゾット ~実食編~

「おお……。美味しそうな匂いですね……!」


 甘いトマトの匂いに誘われたのか、遠巻きに眺めていた料理人さんたちがソワソワとした顔で近づいてくる。

 しかし鍋の中を覗くと、微妙な沈黙が訪れた。


「香りはとてもいい……。香りは……」


 リゾットを凝視したまま、独り言のように呟くのを聞いて、思わず笑ってしまった。

 多分、見た目のなんだこれは感と葛藤しているのだ。

 私が勧めると関係性から言って断り辛いだろうし、どうしたもんかなー。

 顎に手を当てて悩んでいると、料理長さんがすっと前に出てきた。


「妃殿下。よろしければ私もご相伴にあずかりたいのですが」

「えっ!」


 まさか料理長さんのほうから、そう言ってくれるなんて思っていなかったので、かなりびっくりした。

 食べてくれるなら、是非是非!

 せっかく一生懸命作ったのだから、興味を持ってもらえるのは大歓迎だ。


「一緒に食べてくれるのうれしいです。どうぞ、召し上がってください!」


 今回も厨房に用意してもらったスペースで実食することになった。

 料理長さんの分も器によそって作業台の上に置くと、彼は恐縮したように身を正し、妃殿下の手を煩わせてしまいごにょごにょと言いはじめた。

 私は笑って流し、料理長さんに席を勧めた。


「それではいただきます」


 料理長さんはものすごく真剣な顔でリゾットをすくうと、スプーンを口元に近づけてから手を止めた。

 すんと息を吸い、香りを確かめている。


 厳しかった料理長さんの表情が、ほんの少しだけ穏やかになる。

 どうやら料理長さんにも、リゾットの匂いは気に入ってもらえたようだ。

 ふふ。

 確かに煮込まれた野菜の匂いって、心を温かく満たしてくれるよね。

 あとは味と食感か。


 口に運ばれる瞬間は、やっぱりちょっと緊張する。


 ドキドキしながら見守る私の前で、ついに料理長さんがリゾットに口をつけた。


「……うむ。これは……」


 二口、三口とスプーンが動く。

 今回もまた、料理長さんは私の作ったリゾットをしっかり完食してくれた。


「ごちそうさまでした」

「あ、はい。お粗末さまです」


 先手を打って先に遠慮なく意見を言ってくださいと伝えると、料理長は頷いてから、取り出したハンカチで口元を軽く拭った。


「正直なところ、調理をなさっている工程を拝見する限りは、不安を覚えておりました。ですが今回は……いえ、今回もですな。妃殿下の不思議な料理には驚かされてばかりです」

「えっと、それはつまり?」


 まずい時も美味しい時も驚きはある。

 どっちの意味なのだろう。

 私が首を傾げていると、料理長さんが言葉を足してくれた。


「やはり薄味に感じることは否めませんが、その優しい味を私は好ましく感じました。トマトに塩だけというシンプルな味付け、煮込んだ麦との調和……」


 料理長は自分の想いを伝えるための言葉を探すように、ゆっくり続ける。


「見た目も含めてまったく未知の料理であったのに、試してみたいという好奇心を抱かせてくれました。そんなところも含めて、妃殿下の料理は実に面白い」


 私のことを見つめてそう言ってから、料理長さんは瞳を細めた。

 リゾットが心を満たしてくれたと表情で伝えてくれている。


 その眼差しを見て心底ホッとなった。

 料理長さんのくれた『面白い』という言葉。


 もし他の人に料理の感想で面白いなんて言われたら、戸惑っていたかもしれない。

 でも、料理長さんの言葉だとうれしく感じられた。

 子供みたいな好奇心で料理と向き合い、率直に思ったことを伝えてくれる人だとわかってきたから。

 彼が面白いと言ったら、本当に言葉どおり、面白いと思ってくれたということだもの。


 私は安心して、自分の分のリゾットに口をつけた。


 ああ、やっぱり、思っていたとおり甘く熟したトマトが大活躍している。

 よく煮込んだことで酸味が薄まり、かわりにまろやかなコクが生まれていた。

 麦もちゃんと柔らかくなっている。

 ゆっくり咀嚼して飲み込むと、胃のあたりがぽあっと温かくなる。

 これは絶対体にいい。

 味も美味しくできたし、料理長さんからも嬉しい言葉をもらえたし、今回のリゾット作りは成功と思っていいかな。


「料理長さん、美味しいトマトを仕入れてきてくれてありがとうございました!」


 私が笑顔を向けると、料理長さんもふっと口元を綻ばせた。

 その途端、他の料理人さんたちがざわめきはじめた。


「料理長が笑った!?」

「俺、初めて見ましたよ!?」

「俺だってそうさ!もう十年料理長の下で働いてるけどな」


 えっ。

 料理長さんの微笑みってそんなにレアなの?

 びっくりして料理長さんのほうを向くと、今度は険しい顔で眉間に皺を寄せている。

 あ、耳が赤い。


 私は口元が自然と緩むのを感じながら、残りのリゾットに手をつけた。


 すると、他の料理人さんたちもおずおずと手を挙げはじめた。


「妃殿下、自分も味見させていただきたいです……」

「お、俺も!」

「妃殿下、お願いします!」


 おお、口にしてみようって思ってもらえたんだ。

 これも料理長さんが褒めてくれたおかげだ。

 私は喜んで、料理人さんたちにもリゾットをふるまった。

 その場にいた料理人さんたちが全員名乗り出たため、大きな作業机がいっぱいになってしまった。


「申し訳ありません、妃殿下。俺たち、妃殿下と同じテーブルで食事なんて畏れ多いですよね」

「全然気にしないでください。いつも一人の食事で寂しかったんです」


 大勢でごはんを食べるのって、前の世界も含めて、本当に久しぶりだから、それだけで楽しくなる。


「こういう煮込み料理だと思うと、だんだん食感がくせになってくるな」

「妃殿下の言うとおり、これなら消化不良を起こした時でも食べられるぞ」

「トマトってこんな甘みのある味だったんだなあ……!」


 料理人さんたちもよそった分をすべて平らげてくれた。その後にお代わりまで希望されたほどだ。

 多めに作っておいてよかった。


 食後に教えてもらった話によると、料理長さんは最近、食事の味つけを調整しているそうだ。

 濃い味付けだとどうしても、素材の味がソースの後ろに隠れてしまう。その欠点に気づいたから、研究中なのだと伝えられた。


 そんな理由から、私以外の料理を作るときにも、塩分を少しずつ少なくしているのだという。

 いきなり薄味にしたわけじゃないので、今の所苦情は来ていないし、自分が味見をしていても、違和感を覚えることはないそうだ。


「妃殿下。今回のリゾットのレシピ、メモさせていただいてもよろしいでしょうか?」

「あ、はい。もちろんです」


 工程について改めて説明しようとしたら、料理長さんは黙って首を横に振り、私がやったのとまったく同じ手順を完璧に書きあげてみせた。

 一度見ただけだし、説明をしながら作ったわけでもないのに、さすが『料理長』なだけある。


 さらにその翌日から、料理長さんは“体調チェックシート”を回収するようになった。

 チェックシートは、離宮で生活している全員の分が用意されていた。

 料理長さんはこれを使って、健康管理と食事についての分析をはじめるらしい。


 すごいな。

 このままいくと、いつか現代でいうところの管理栄養士さんみたいな存在になるのでは?

 健康管理に関して、妃殿下さえよろしければ相談役になって欲しいとお願いされたので、ぜひ協力したいとお返事をした。


 これ以降、離宮の人々の健康状態が徐々に変化していくことになるのだけれど、それはまた別の話だ。

お読みいただきありがとうございます!

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