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20 異世界人にまつわる伝承①

 深夜遅く、王宮の西塔にある図書室で、国王テオドールは調べものをしていた。


 もう長いこと休みも取らず働き続けているせいか、最近、夜が更けてくると、偏頭痛が増す。

 それでも休んでいる暇はなかった。

 その皺寄せは部下たちに向かってしまうし、国民の生活にも影響を及ぼしかねない。


 何より今抱えている問題は、睡眠時間を削ってでも対応するべき急務だ。


 軽くこめかみを揉んでから、高く積まれた本に手を伸ばし、新たなページをめくる。

 それを熱心に読み込んでいると、臣下のジスランが、更に十冊ほどの本を運んできた。


「陛下、お探しの資料を王立図書館から急ぎ取り寄せて参りました」

「夜更けに悪かったな、ジスラン。もう休んでくれ」

「私のことより、陛下がお休みになっていらっしゃらないことの方が気になります。最近、本当に寝ていないでしょう。そろそろ強制的に寝室に閉じ込めるべきか、本気で検討しますよ」

「別に眠くない」

「それがまずいんですよ」


 会話をしながらでも、本の中身は問題なく頭に入ってくる。

 テオドールはさらにページをめくった。


「急いで調べないといけない問題だ。手が空く時間が今しかなかった」

「ご命令いただければ、人を動かしますが」

「それには及ばない」

「まったく、どうしたら貴方をしっかり休ませられるのでしょうね。これでも国一番の手腕家と呼ばれているはずなのですが……。そんな私にもまったく解決策が浮かびませんよ」

「私のことは忘れろ。解決を頼みたい案件は、もっと他にある」

「『ルース王国年代記』に『神話録』に『聖女伝承の研究』。これらが陛下の体調よりも優先すべき事柄ですか」


 運び込んだ表紙を確認しながら、ジスランが問いかけてくる。


 テオドールは受け取った本に視線を落としたまま、黙り込んだ。

 ジスランに事実を伝える前に、自分の中で一度、知り得た情報と感情の整理をつけておきたかったのだ。


 エミリアに会い、彼女の人格が変わった事実を目の当たりにしたテオドールは、とある可能性に気づいた。

 こうして調べれば調べるほど、その予想は確信に変わっていく。


(できれば彼女が息を吹き返したのだと信じたかったが……)


「陛下? どうされました?」


 ジスランの言葉にハッと我に返る。


「ひどい顔色ですよ。まるで妃殿下が亡くなられた時のような」


 ため息をつき、珍しく雑な仕草で髪をかき上げたテオドールは、ジスランから目を逸らしたまま口を開く。


「エミリアはもう以前の彼女ではない」


 微かに息を呑む気配がする。

 ジスランは一拍間を置いた後、慎重な態度で口を開いた。


「……比喩という雰囲気ではなさそうですね」

「ああ。言葉通りの意味だ。おそらくあの国葬の日を境に、別人と入れ替わったか、中身が別人になっているかのどちらかだろう。私は後者の可能性が高いと考えている」

「な!?」


 普段は冷静沈着なジスランの動揺は、上擦った声の調子からも伝わってきた。

 それはそうだろう。

 テオドール自身も、エミリアの中身が別人になっている可能性に気づいた瞬間は、そんなことが現実に起こるものかと考えた。


 だがすぐに、類似した内容の伝承について思い出したのだった。


 顔を上げると、顎に手をあてたジスランが、本の山を見つめたまま、何かを考え込んでいる。

 先ほどの言葉と、積み重ねた本のタイトルで、テオドールの思惑を察したのだろう。


「王妃の中身が別人に入れ変わっているなんて話だけでも、国を揺るがす一大事だというのに……」

「それを引き起こした要因を探らなくてはならない」

「ですが、そもそもどうしてそのようなお考えに至ったのですか?」

「エミリアに会った瞬間、違和感を覚えた。彼女からまったく魔力の波動を感じなかったのだ」

「なんですって?」

「国葬の際は、そもそも魂すら不安定な状態だったからな。魔力も感知できないほど弱まっているのだと思ったのだ。しかし今日会ってもエミリアの魔力は戻るどころか、微塵も感じられなかった。密かに鑑定魔法をかけて調べてみたら、案の定。魔力はゼロと出ていた」

「魔力がない……!? ……信じられません。この世界の人間で魔力を持たぬ者など皆無では――」


 最後まで言い終わる前に、ジスランはハッと目を見開いた。

 ここにきて、すべての合点がいったのだろう。


「なるほど。そこで古い言い伝えに思い至られたのですね」

「ああ。エミリアに起こったことは、『異世界人』にまつわる伝承どおりだ」

「異世界人……別の世界の記憶を持って、生まれ変わってくるという存在ですか」


 テオドールは広げている本に再び視線を落とした。

 異世界人。

 その存在にまつわる逸話は、古くから語り継がれてきた。


「国葬以前と比較して、エミリアの人格は別人のものになったと言える。文献によると異世界から生まれ変わるケースは、三つに分類できる。赤子や幼児のうちから、自分の前世が異世界人であると覚えているケース。成長したあと、事故やショックから、前世の記憶を取り戻すケース。そして数は少ないが、死者の体に異世界人の魂が入るケースだ」

「妃殿下の中にいる異世界人は、その最後のケースだとおっしゃるのですね」


 テオドールは無言のまま頷いた。

 確固たる証拠があるわけではないから断定はしないが、もはや確信に近い。

 文献を漁れば漁るほど、妃に起きたことと一致しているのだ。


「妃殿下に、異世界人の記憶を持っているか問われてみたのですか?」

「まだだ。こちらに確信がなかったからな。しかし妃は明らかに何かを隠している」


 エミリアは必死に平静を装おうとしていたものの、明らかに彼女の振る舞いは不自然だった。


「異世界人以外、魔力が皆無な者などありえません。そのうえ、性格が別人レベルで変わっている、死後十日も経過している。ほとんど状況証拠が固まっていると考えていいでしょう」


 ジスランの言葉に、己の無力さを感じたテオドールは、拳をきつく握りしめた。


(あの少女にもっとしてやれることはなかったのだろうか)


 たとえ毛嫌いされていようとも、嫁いできてくれたからには、自分なりに心を尽くして接したいと思っていた。

 だが彼女は嫁いできた三日後に婚礼の儀もあげず行方をくらまし、そしてそのままこの世を去ってしまった。


 彼女に少しでもこの国で晴れやかに過ごさせたかったこともあり、エミリアの要求を呑んで必要最低限の警備にしたが、自分の選択をあれから何度も悔やんでいる。


(もし、あの事故を阻止できていたら)


 そう後悔し続けてきたからこそ、エミリアが目を覚ました時には、本当に嬉しかった。

 しかしテオドールの罪悪感を拭い去ってくれた都合のいい夢は、やはり夢でしかなかった。


「この問題、どう対処されますか?」


 テオドールは複雑な思いでため息をついた。

 ジスランが投げかけてきた問いはもっともだ。

 感情的な問題には蓋をして、現状にたいする判断を冷静に下さなければならない。

 それが王に課せられた使命なのだから。

お読みいただきありがとうございます!

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