第82話 地竜と銀龍とおっさん
コモドオオトカゲという蜥蜴がいる。
スイギュウ、シカなど大型哺乳類をエサにしていて、人間も襲われることがあるというオオトカゲ。それがそのまま巨大化させると、頭に巨大な角が一本を生やし、身体中に突き出した鋭いこれまた巨大な棘を装着すれば、その姿がこの世界の地竜。
全身を鮮やかなダークグリーンをした色が森に紛れて天然の保護色になっていて、足を上げて一歩ずつ歩いてくる迫力のある巨体に、ネシアはおれの後ろに隠れてブルブルと震え出している。
それにしても角が付いているのに、三倍の速さで移動できないのはこれ如何に。
「はっ! アルスでは角付きは三倍遅くなるというのか!」
「バカなことを言ってろよ。もう来んぞ」
ニールのいうことはもっともで、すでに岩をから頭がはみ出るほど、ビッグコモドオオトカゲこと地竜ペシティグムスは祭壇の岩の近くまで来ていた。
その重そうな巨体に似合わず四つの足に力を込めると、ひと飛びして岩の上を大きな揺れを起こしてからおれたちの前で着地した。
森のヌシ様はその名を違わず、ドラゴンの威風堂々たる立ち姿を見せつけてきて、おれたちを下目遣いで見下ろしてくる。
『モリビトの酒があると思ったら人族と馴れ合うモリビトがいるとは……モリビト! わが森に人族を連れてくるとは、なんとする気か!』
地竜ペシティグムスの強烈な威嚇する怒声にビリビリと辺りの空気が震え出し、ネシアが腰を砕けてその両目だけは恐れを示したまま地べたに座り込んでしまう。両手だけはおれの太腿を抱えて小刻みに身震えが止まりそうにない。
お付きのイタチの精霊もヌシ様の威圧に尻尾を巻いてしまってはいるけど、健気にネシアを守ろうと、彼女の前に逆毛を立てて口の牙をむき出しにしている、
だがおれも彼女の気持ちは理解できる。おれだって不老のユニークスキルについている精神耐性がなければ、ネシアと同じようになったことだろうから、とてもじゃないが他人事とは思えない。
『この森から去れい! 人族がこの森に踏み入れることは許さんっ!』
「...あ、ああ...」
「シャーっ!」
森のヌシ様の警告に、エルフのネシアはまともに言葉を返すこともできない状態。辛うじてペッピスが威嚇しているが、悲しいことに全く相手にされていなかった。
黄金色に爛々とした地竜の両目から込められた気迫に、おれは口を挟むこともままならない。自分の考えの甘さで、エルフ様を巻き込んでしまったことを本気で後悔しそうになったとき、事態が大きく変わる出来事が起こってしまった。
『黙れっ、このノロマがっ!』
ニールが人の姿を解け、竜人に戻った銀龍メリジーは飛び上がると、地竜ペシティグムスの頬に全力のフックでクリティカルヒットをねじ込んだ。
『グヘッ!』
ドスンっ!
四つの足から力が奪われたかのように、地竜が地響きとともに腹這いになり、口から赤色の液体が流れ出している。
『調子をくれてんじゃねえよ! 辺境の森に隠れて森人相手に粋がんじゃねえぜ、この竜の恥さらしがっ!』
『メ、メリジー……』
2メートルはある長身で、その長い足を倒れ込んでいる地竜の鼻に踏みつけて、銀龍メリジーは地竜ペシティグムスに向かって吐き捨てていた。
「...竜人さま? メリジー? .....そ、そんな...」
銀龍の姿と森のヌシ様の会話を聞いて、絞り出すように言葉こぼしつつ、ネシアは目をこれでもかと見開き、竜人をしばらくの間まじまじと見てから、真実を知りたがっているような表情でおれのほうに顔を向けてくる。
こうなってしまったらニールの正体を彼女に隠せるのもここまで。まっ、ローインの使いである森の守り手なら、このくらいは知っておいても差し支えることはないのでしょう。
「ああ。彼女の神名はメリジー、その真の姿は世界を守護する一柱たる、神龍の使いである銀龍だ」
世界の神話で神がごとく崇められている至高の存在を目の当たりにして、ネシアは可愛らしいお口をパクパクさせているだけ。
なんだか池にあるエサを求める鯉を思い出して、その口の中に飴かチョコレートを放り込んでやりたいと、怖気づいている地竜ペシティグムスを背景、におれはいつものように場違いのことを考えていた。
『――で、お前らは何のためにこの森へやってきた? まさかわれに酒を捧げるというのではあるまいに』
しおらしげに地竜ペシティグムスはおれとネシアに語りかけてくるけど、どこかビクビクしている様子だ。それはそうだろうよ。先からおれの後ろより凄まじい殺気が津波のように押し寄せてきている。
「あー、メリジーさん、もういいですよ。おれのほうが耐えられません」
森全体を圧倒するような雰囲気が一気に消え去り、おれはホッと一息をつくとともに、ネシアのほうへ視線を向けないように気を使う。わずかにアンモニアの匂いがただよい、ネシアがスンスンと泣いているのは聞こえていた。
もっとも、地竜ペシティグムスの目尻にも光っているものがこぼれそうになっていることを、しっかりとこの目で確認している。
いまさらではあるが、おれのそばには世界の一強がいることを改めて思い知らされた。アラリアの森のヌシ様では神龍の使いと勝負できるわけがないよな。
「ペシティグムスさま。願えるのなら獣人族をこの森に帰らせて頂きたく存ずる」
いくらおれの背中に銀龍が付いているとは言え、それはおれが持つ強さじゃない。現実的にそうであっても、虎の威を借りた狐になりたいと思っていない。
『……人族、お前らはケモノビトを騙してこの森を汚したからあやつら共々追い出してやった。それを再び戻りたいというのか?』
「この森のことが好きなんですね」
『無論だ! アルスの森へは二度と帰れぬ今、この森を守り抜くことがわれの思い、このアルスの森とどことなく似るアラリアの森がな!』
「それは、そう思います。本当になんとなく似ているからね」
『なんだ? 人族が妙なことを言う。お前がアルスの森を知るはずもないというに』
疑念に満ちる目線を送り込んでくる地竜ペシティグムスの問いに、おれはただ微笑むだけで返事する気はない。
どうやらこの地竜は精霊王がいる森にいたらしく、それならと別のことを聞いてみる。
「アラリアの森のヌシ様、あなたは犬神ヴァルフォーグスをご存知か?」
『精霊王様が可愛がっていた子犬ヴァルのことか。知ってるもなにも、何度も絡んでくるからよく遊んでやったものよ』
犬神よ、本当にお前は強かったんだな。こんな強さで到底及ぶことのできないバケモノに負けとわかっていて、臆もせずに繰り返して戦いを仕掛けていたのか。
それならお前を倒したおれがここで逃げるわけにはいかないよな。
「アラリアの森のヌシ様、地竜ペシティグムス! あなたに勝負を申し込む!」
高々と宣言したおれの声に、この場にいる全員がそれぞれの感情をあらわにする。
地竜ペシティグムスは驚愕から一転に激怒していて、銀龍メリジーは目を見開いてから、ニンマリと唇の端を吊り上げている。
ネシアは信じられないとばかりに口をパクパクさせていたので、もういいやと遠慮なくチョコレートを放ってやった。
『人族! 増長したか? メリジーに及ばぬにしてもわれはドラゴンに名を連ねる者、そのわれに刃を向けるとは笑止千万!』
メリジーに対する恐れの震えから、おれへの怒りの身震えに変わっている地竜ペシティグムスへ、おれはある条件を持ち掛ける。
「そうだろうね。だからお願いがあるんですが、あなたに傷を一つでも付けられたらおれの勝ちというのはどうでしょうか? アラリアの森のヌシ様」
『お前になどわれが傷つくわけがないわ! 思い上がるなっ!』
「じゃあ、勝負しないのですね?」
『われが逃げるはずもない。お前こそ命を賭ける勇気がないなら直ちにこの森から消え失せよ!』
鋭利な牙を並べている口を開き、そこから熱さが伝わって来ている。いまにもドラゴンブレスを吐き出しそうなアラリアの森のヌシ様、森の住民たちから恐れられている地竜ペシティグムス。
本当、あんたらは脳筋揃いで助かったよ。これで勝負に乗ってくれそうだ。
「いいですよ、あなたが勝ったら殺してくれて構わない。でもおれが勝ったら獣人族をこの森に受け入れて守ってやってくださいよ」
『その条件で受けて立とう。思い上がった人族にドラゴンの強さを思い知らせてくれるわ!』
たぶんね、怒り心頭でおれの言ったことなんて耳に入っていないと思うけど、承諾したことには変わらないので証人を立てることにする。
「銀龍メリジーさん、もしもおれが勝ったら森のヌシ様に履行させてくださいな」
『合点承知だ。お前たちの勝負、銀龍たるこのメリジーがしかと見届けてやんぞ!』
心配そうに見つめてくるネシアへ、おれは安心させるように笑って見せて、アイテムボックスからいつもの最強の装備を取り出す。
久々黒の騎士様になろうっと。
『人族め。邪龍マーブラスのものを持っているからと言って、われに勝てるなんて思い上がるな!』
はいはい、勝てるなんて思っていませんって。地竜ペシティグムスのどこかに、たったの一筋だけの切り傷を入れるだけでおれの勝ちだからね。
結果を申し上げよう。
勝負に勝って、全身が痛くて動けません。地竜による尻尾攻撃の一振りが当たっただけで全身は砕け散りそうになり、黒竜の装備一式と管理神様に爺さんと幼女の祝福がなければ、その一撃だけでおれは即死だったのでしょう。
失神している地竜ペシティグムスの角には滅龍の槍が突き刺さって、それが勝負を決した証となっているはず。
「くくっ。てめえはおもしれえ、鍛えたくなってきたじゃねえか」
倒れ込んでいるおれを上から見下ろすようにして、色っぽいドラゴニュートは愉快そうに笑っている。おれとしても銀龍メリジーに直々教えを乞いたいと思っているが、それは獣人の移住がひと段落付いてからと考えていた。
「...アキラ、凄いです。森のヌシ様に傷を入れるなんて。...」
「人族のおじさん、ぼくはおじさんを見直したよ」
キラキラと目を輝かせて、ネシアとペッピスは心底から褒めてくれていると思うけど、地べたに這いつくばっておっさんは恰好がついていません。
初撃は地竜ペシティグムスのドラゴンブレス。ネシアはメリジーの後ろに隠してもらっているので、彼女が傷つくことはないはず。おれとしては余計な心配をしないで済んだ。
黒竜の装備一式でも地竜ペシティグムスのドラゴンブレスを受け止めきれることができない。正確に言うと炎とともに、鎧の中に浸透してくる竜属性の殺傷力を消すことができなくて、全身に焼き付くような激痛が走っている。
『なんと! われの火吹きから生き延びたというか!』
驚いている地竜ペシティグムスの言葉を返すつもりなんてない。やつにとっては戯れでもおれは命の賭け合いだと思っている。
命のやり取りで全精根を込めないと失礼になることは、オルトロス戦で高い授業料を支払ってしっかりと学習した。
ユニークスキルの超再生で傷を自動的に治癒させ、おれは走りながら初級光魔法をペシティグムスへ向けてひたすら撃ち続けていた。これは最後の一撃のための布石、短期決戦に魔力の温存なんてふざけたことを考えない。
『うざったいわ! 効きもしない魔法に縋るな!』
地竜ペシティグムスはドラゴンブレスを吐いたり、足についている鋭い爪をおれに振り払ってくるが、素早さだけはおれに及ばないことを闘いの中で体感することができた。
バシッ!
鑑定が地竜ペシティグムスによって弾かれて、やはりツワモノたちには鑑定スキルが通用しないみたいだ。
『意味もない無駄な技を。ちょこまかと逃げてないでとっとと死ね!』
戦いに臨んで持っていた破滅の斧の破壊力でも地竜ペシティグムスの鱗に通すことはできない。さすがというべきか、名付きのドラゴンはとにかくその地力が人では推し量れないほど恐ろしい。
『逃げてばかりは勝負に勝てぬぞ。死ぬ覚悟を決めろ、人族!』
地竜ペシティグムスは大きく息を吸い込んだ。
これは今までにない、タメのあるドラゴンブレスを放ってくるつもりと直感したので、こんな大技は使わせてはならない。おれのほうもここで勝負を決しようと腹をくくった。
想像するはいま知り得る最強の幻影。
行く手に立ち塞ぐ全ての阻害を貫通させる銀龍メリジーの光魔法斉射だ。
初級光魔法のアイコンを連打し、だけど今は撃ち出さないように心で念じる。メリジーが撃つ魔法のイメージして、小さな光球を身体の周りに数多く作り出す。これらを射出させるのは一瞬だけでいい。
よしっ!想像した通りに光球はタメられた。
『なんと、メリジーの星の光かっ!』
目を見開く地竜ペシティグムスから聞くメリジーの必殺技の名。カッコいいよな、いずれはおれも自分だけのオリジナル技をじっくり思考して作り上げてみたいものだ。
「いっけーっ!」
『そんな威力では効かぬわ! メリジーの偽技が!』
言わなくてもおれの魔法ではあんたに効かないことは知ってる。おかげでごっそりと魔力は持って行かれて、もうこれ以上は魔法を撃つことができない。
うるさそうに地竜ペシティグムスは首そのものを大きく振って、一斉に射出されたおれの初級光魔法をかき消した。先からおれの上級光魔法はこうやって消されていたので、この魔法消しの技もう見知っている。
地竜ペシティグムスはこの瞬間だけにおれから視線をはずす。これがおれの狙い、最後の決め手を打ち込むのに欠かせないタイミング。
破滅の斧を放り投げて、アイテムボックスから滅龍の槍を両手で持ち替える。
狙いどころはたった一つ、地竜ペシティグムスの大きな角だ。やつに屈辱を与えて、負けを認めさせるにはドラゴンの象徴である竜の角に傷を負わせねばならない。
地竜ペシティグムスが首を元の位置に戻したとき、おれは全力で駆け抜け、やつの目の前ですでに滅龍の槍を突きさす動作に移っていた。
「くらえー!」
『お、おま――』
滅龍の槍の槍先が地竜ペシティグムスの大きな角に当たった。
竜の防御力による抵抗を感じたが、残された最後の魔力と全ての体力を腕に込めてやると槍先が抵抗を突き破って、地竜ペシティグムスの象徴である角の中へ刺し込まれていく。
『人族風情が! 死ねえ!』
ペシッ!
「グヘボッ!」
逆上した地竜ペシティグムスが大きな尻尾を振り払って、それは避けようもないおれの全身を強打した。
一瞬で意識を刈り取られてしまい、薄れていく視野の中でメリジーがおれの横を通り過ぎ、地竜ペシティグムスの頬へとんでもなく切れのいい右ストレートを打ち込んだのが見えていた。
目を閉じる前、飛び込んできた光景に、誰にも聞こえないような喉の声でおれは言い残す。
メリジーさんや。
もうペシティグムスはダウンして両目がペケ印になって気絶しているから、あなたの左ジャブによる連打はやめてあげてね? それはマジでシャレにならないくらい、強烈なダメージが積み重ねられちゃうんですよ――
ありがとうございました。




