第76話 ネシアというエルフ様
「集落でみんなと一緒に暮らせばいいのに」
ネシアと雑談して、彼女の住居への道に生えているツタをおれはハチェットで切り倒しながら道を広げていく。
「...いいんです。長い間住んでいるから愛着が湧いちゃって、みんなと住むのもなんだか照れるし。...」
「ネシアがいいんならそれでいいが、長老さんが泣いていたよ」
エルフの集落の奥にネシアが幼い頃住んでいた先代巫女の住居があって、長老たちはそこにネシアが住まいを構えることを望んだが、ネシア立っての願いで今まで住んでいた所に変わらない日々を送りたいと、彼女は今まで通りでいいと宣言した。
「...いずれはこの集落からも去ることになりましょう、それまではここでペッピスといつものように暮らしたいわ。...」
ネシアの肩にだらけるように身体を預けている彼女を守る小さなナイトはその言葉に嬉しそうに五つの尻尾をしきりと忙しく振っている。尻尾の先がネシアの鼻先を掠ったのか、彼女は思わず可愛くくしゃみしてしまった。
森の守り手がローインに認められたことは、文字通り風の便りでエルフの村や集落に知らせを駆け巡らせた。随分長い間に森の守り手がいなかったため、各地の森に住んでいるエルフたちは狂喜し、ネシアが自分たちのコミュニティに来ることをどの集落や村も熱望しているらしい。
「...みなさまが望むなら行ってまいりますわ。...」
長老たちの前に寂しく笑ったネシアは役割を果たすべく、できる限りエルフのコミュニティへ行くことを承諾して、それを風の便りに乗せてエルフの村々や集落に届けさせた。
「...ここはいい所なのよ。忌子だったあたしを匿うようにして、ひっそりと生きながらえることをみんなが願ってくれたわ。...」
道を切り開いたおれにネシアは慰労のためにお茶会を用意してくれた。ここにあるものはほとんどが暇を持て余していたネシアがお手製で作っているらしい。もっとも、時々不足していたと思っていたら、欲しかった木材がなぜか切り揃えていて、取れそうにない高い所から木の実などの材料が、ちゃんと家の外に置かれていたことを彼女は驚いていたらしい。
犯人は間違いなく、今は彼女の胸に抱かれて睡眠を貪っているイタチさんだと彼女も謎解きができたことだろう。
ネシアが入れてくれたお茶は彼女の特性でアラリアの森のウッスクルという植物の新芽から作ったものらしい。仄かに香りに誘惑され、飲んだ時のわずかな苦みは喉に通してから不思議に甘みへと変わっている。
「すまない。おれが来たばかりにネシアはこの集落から離れる羽目になってしまった」
空になった木で彫った手製のコップへお代わりのウッスクルのお茶を、ネシアは優雅な手付きでコップになみなみと注いでくれた。彼女の上品な仕草と手作りのスポンジケーキみたいな焼き菓子で、今まで俺が行ったどのカフェテラスよりもこの森の空間が寛がせてくれる。
「...なにをおっしゃるのよ。あたしは母上のような巫女になりたかったわ、それが今は畏れ多くもローイン様がお認めになられた森の守り手になることができたのはあなたのおかげよ? お礼の申しようもないわ。...」
「ならよかった。迷惑になったらどうしょうかと悩んでいたからな」
「...母上はアラリアの森だけじゃない、ここ一帯のエルフたちにも名が知れ渡っていたの。幼い頃に尋ねてくるエルフたちからお菓子をもらうのが楽しみだったわ。...」
「へえ、凄いエルフの巫女さんだったんだね」
昔を懐かしむようにアラリアのエルフの集落へ目を向けてから、彼女はおれではなくてここにいないだれかと話しているように呟いている。
「...母上のような巫女になるのが夢だったの。だから火の精霊イヴァーゼ様の祝福を受けているって、母上から聞かされたときはこの世が終わった思いだったわ。...」
「エルフの巫女さんにはそれがわかるんだ」
「...ええ、そうよ。限られているものの、魔力が高いエルフの巫女には人の本質が読めるわ。...」
「それは、すごい技能だね」
おれが思うにそれは彼女が持つ人物看破というユニークスキルだと思う。それをネシアの母が持っていたということか。もしかするとネシアにもそれが受け継がれているかもしれないから、おれは確かめてみることにした。
「ネシアにもその人の本質を読むことができるのかな?」
おれからの質問にネシアは悪戯っぽく両手を胸の前に合わさってからおれのことを真剣にその透き通った瞳で凝視して、魔力の波動を引き起こした。彼女の魔力に反応したペッピスが目を覚ましてキョロキョロと辺りを見回したりしている。
「ええ。例えばアキラが神龍と精霊王という、伝説の守護様から祝福を受けていることがわかるわ。...」
ネシアの一言でこの世界にもおれの称号が読み取られることがわかった。できることなら異世界移転のテンプレである隠蔽スキルがおれにもほしいところだな。
「へ、へえ。ほかにおれのことはなにがわかるんだ?」
「...この世界に熱い思いを抱いていることがわかるわ。もうひとつのほうはモヤがかかっていてよくわからないの。...」
世界を探求する者がネシアにも読まれているが、迷い込んだ異界人のほうはぼやかされて読まれていないみたい。よかったよ、ここで検証できたことは今後に役立つだといいな。
「...アキラは何者なの? 伝説の守護様から祝福なんてありえないわ。...」
ネシアからの飾らない問いにおれはハッキリと答えを返すことができる。
「獣人好き森人大好きな遠い故郷へ帰れない旅人だよ」
「...クスクス。やっぱり変な人族なのね、あなたは」
目を細めて笑うネシアはただただ美しい。だけど、それは情欲の湧かない美しさ。だれも辿りつきそうにない崖の上で咲き誇る無名の美麗な花のような彼女は、これからエルフを導き、その名をエルフの世界の歴史に残すことになるだろう。
その彼女におれはなにも手伝っていない。任命したのはローインだし、認められたのはあくまでネシア自身に力が備えていたからと思う。もしおれが彼女になにか手伝えたというのなら、それはローインを彼女の前に呼び出したことだけ。そのきっかけとなり得て、歴史の瞬間に立ち会うことができたおれは幸福と言えるかもしれない。
「...森の守り手はエルフの誇りよ、あなたに会えてよかったわ。...」
「いえいえ、こちらこそ。もしお役に立てたのなら、本当によかったと思うよ」
それだけ言ってからおれは右手の手のひらを彼女に向けて差し出す。きょとんとした彼女は少々考え込んでからおれの意図に気が付いたのか、同じく右手を突き出してきて、おれの手を柔らかい手のひらで握ってくる。
若干低めの彼女の体温を感じ、ネシアの両目には熱い気持ちが込められていることにおれは読み取ることができた。それは男女間のお互いを確かめ合いたい愛情ではなく、友情という信じ合いたいかけがえのないもので、おれは美形のエルフの友人を得られたことの幸福感に包まれていた。
「あきらっちのことだからその森人を手籠めにするかと思ってたぜ」
「バーカ。もう年中発情期の盛るほどの若さじゃないよ」
エルフの集落に帰ったおれを本日の若者たちの稽古を終えたニールが揶揄ったので、そっけなく切り返すことにした。
「ふんっ! いまでも俺の胸を覗き見してんだろうが」
あ、バレテラ。だって、あなたのお胸様はいつでもどこでもたわわに揺れるですもの。
ありがとうございました。




