第61話 甘い時間を過ごしてみた
「コーチ、今までありがとうございました!もっと精進して一流の選手になります!」
「ああ、ボール球に手を出すなよ」
「はいっ!」
「あたしはコーチを唸らせるピッチャーになりたいです」
「う、うむ。頑張れよ」
そこの意気込みしている女の子、きみはもう頑張らなくていいんだよ? ほぼ直角で落ちて本当に消えるようなきみのフォークボールは誰も打てません。おれの腹に直撃する変化量を誇るシュートはマジで避けようがないんです。
コーチはきみの投げる球でボールが腹に食い込んで、腹を抱えて悶絶しながらうんうんと痛さですでに唸っていたからね。
間違いなくきみはくれないチームのエースだ、本気で夏の聖地に連れて行って登板させたい。
「さあ、みんな。夕日に向かって走ろうじゃないか!」
「「おーっ!」」
なんの茶番だこりゃ? でも楽しいから羊人の子供たちとまだ沈んでいない太陽に向かって走るけど。
陽の日の朝におれたちはパットラスの村を出ることにした。村は再建の真っただ中だがこれは羊人たちに任せればいいでしょうし、村にいる間に心の傷が少しずつ癒された獣人の女性たちをそれぞれの村に送り帰したい。
「是非ともまた来てくれ、アキラ君」
「ありがとう。落ち着いたら一度顔を出すよ」
村長さんは手土産となるものをなにも持たせられないことにかなり気にしていたが、そんなことはどうでもいい。最初に出会った獣人族の村と友誼を結べたこと、羊人の子供たちと野球で遊べたこと、それだけでおれとしては満足のいく結果なんだ。
「せめてこれだけは受け取ってほしい」
村長さんのこの御好意を断ることはできなかった、モビス1頭とくたびれている走車が一台を用意してくれた。同行する獣人の女性たちのために今の走車1台では狭すぎるから、彼女たちのためにもこれは受け取っておこう。
ほかに羊人の女性たちが野球道具を10チーム分を作ってくれたのでこれらはアイテムボックスに入れた。行く先の村で野球を普及させてみようかなと秘かな野望を抱くことにした。
村の人々に見送られて走車が走り出す、滞在期間は長くなかったが異世界移転のイベントの一つである獣人との交流もできた。心なしかニールは寂しそうに村人たちを見つめていて、彼女が人々の生きる日々に混じることができたことにおれは良かったと思っている。
「よかったな、友達が一杯できて」
「……うっせえな」
いつもの憎まれ口も勢いがなく、彼女は走車の後ろから遠ざかる村をただ見ているだけ。そんな彼女をそっとしておいて、おれは前のほうを見ることにした。
次の村はエティリアによると虎人の村であるらしい。パットラスの村の近くに流れる川を沿っていき、陽の日と陰の日が4日ずつ過ぎるとそこにつく。彼女は自分の経験談を語ったし、虎人の女性もその道筋で異議はなかった。マップのほうをチェックすると確かにそこに村の在り処が示されている。
「「コーチ! ありがとうコーチ!」」
子供たちが村のほうからこっちに向かってきて、みんなで走りながら手を振っている。
「「また来てね!コーチ」」
くれないチームの女の子エースとしらゆきチームの男の子エースがそろっておれにお礼を告げている。これこれ、敵同士だから仲良くするんじゃありません。将来的に美男美女のエース同志、今年のベストカップルになれそうな二人をおれはエースとして指名した。
けして醜いおっさんが嫉妬にかられて仲を裂こうとしたわけではありませんよ。
「頑張れよ、お前ら。ほかの村で強いチームを作って来るからな、楽しみにしておけよ!」
「「はーい、コーチ!」」
おれの決め球をことごとく打ち返してくれたが実はまだ見せていない球種がある。密かに練習を続けていたチェンジアップだ。ククク、絶対に習得してお前らを三振の山に埋めさせてやるからな。クハハハハハ!
「アキラっちはまたなんかセコイことを考えているもん」
「無視しとけ。どうせ器のちっせえ男だからな」
呆れかえて感想を分かち合っている二人に妄想の中に入り込んでいるおれは言われていることに気が付くはずもなかった。
食卓の肉が牛肉やオークの肉ではわびしい気がするので、せっかく川があるのだからここは魚を獲ってみようと思う。斬鬼の野太刀を抜いて、その剣先を川面に当ててからわずかな魔力で雷魔法を流した。
予想通りに川の魚が感電して浮いてきていて、それらをせっせとアイテムボックスで回収していく。
「アキラっちは変わった方法で魚を獲るね、あたいはこんなの見たことないもん」
「こういうセコい手を使わせたら天下一品だな」
外野がうるさいよ。お前らは口だけを出して、獲物も獲らずに料理までおれにさせているだけのごくつぶしじゃないか。だけどそれを言うことができない。エティリアがそれを聞けば泣くだけだし、ニールは喚き散らすだけで何もしない。
今に薪を集めたり、調理を手伝ってくれている獣人の女性たちのほうがよほど役に立ってているので、彼女たちのご飯が増量することは決定だな。
「おい! あきらっち。なんで俺だけがおかずの魚が少ねえんだよ!」
「働かざる者は食うべからずってことわざがおれの故郷であるんだ」
お魚を口に入れた。うん、たまには肉の種類を変えるというのもいいもんだな。獣人の女性たちとエティリアが美味しそうに炭火で焼き上げて、塩だけで味付けしたお魚とパンを食べている。
「くっ……わかった。働きゃいいんだろ、なにしたらいいんだ?森を焼き尽くせばいいのか、人族の滅ぼせばいいんだな? ああ?」
切れそうな顔でニールが凄んでいる。まずい、ご飯の量を減らされたやつが本気で怒りそうだ。ちょっとおれの食事での脅しが効きすぎたか。
「いやいやいや。ニールさんにはですね、牛肉の煮物を出そうと思っているところだ」
素早くやつの目の前に貴重なファージン集落でもらった郷土料理を並べさせてもらう。それを見たニールが険しくなっている顔を綻ばせて、煮物を木製のスプーンでがつがつと食べ出している。
「人族を滅ぼすなんてニールっちも言うことが大袈裟だもん」
焦げ目の付いた焼き魚の皮を剥きながら白身を食しているエティリアの感想に獣人の女性たちも同感したようでそろって頷いている。
あなたたちは知らないでしょうが、この人にはそれが出来ちゃうんですよ。おれも竜人の姿しか見たことはないが、こいつはドラゴンに変身することができるとアルス神教の教典で描かれていて、それはそれはどうやらとんでもない化け物らしいですぞ。
今の彼女はとてもそうは見えない。正体を隠して獣人たちと交流している銀龍メリジー、自分に正直で感情が豊かな麗人。願わくば彼女もおれたちとの旅を楽しんでくれれば言うことはない。
食後に獣人の女性たちが水浴びしたいと川の畔に集まっていたので、おれはその場にいることを遠慮した。その中に飛び込んでおれも交えてのキャッキャウフフをしたいのだが、ニールとエティリアの目が厳しくなっているので自重することにした。
一つしかない命は大切に。
彼女たちからはかなり離れた所の川で斬鬼の野太刀の雷魔法を使って、おれは魚の貯蓄に勤しんでいる。なにせ、大食いが二人もいるから食糧の備蓄が多ければ多いほどに越したことはない。
「アキラっちは魚を獲ってるの?」
振り向くと風呂上がりのエティリアは髪の毛が乾かしきれなくて、薄めの肌着にその見事な体のラインをシルエットで曝け出している。
「うん。これで料理の品数を増やせるんだ」
「いつもありがとう。アキラっちに大切されているのがよくわかるもん」
彼女は漁をやめたおれの傍に来ると頭をおれの肩に乗せて、体の力を抜いてから全身を預けてくる。仄かな女性のいい香りがおれの鼻に刺激してきて、最初は身体を避けようとしたが、よく考えてみればもう二人でイチャイチャしても名分は立ってるから、彼女の肩を引き寄せても誰に気を使うことはない。
「なあに?」
「えっと。きみのことが好きだ」
「うん。アキラっち、好き」
おーい、だれかおっさんにこれは夢じゃないと抓ってくれ。女性から異性向けの好意をまともに向けられたのはいつ以来だろうか、ガッと襲っちゃいたい気持ちを抑え込んで、片手で彼女をおれのほうへ引き寄せる。彼女の顔におれは顔を近づけて、鼻と鼻の接触を試みてみる。
「んん……くすぐったいもん」
先生、これは拒んでませんね。次の異世界のふれあいを踏み込んでみますので、可愛らしいその唇におれのを軽く突くようにしてキスを交わしてみました。キャー
「ん、んん……これがキスなの? ……気持ちいいね、蕩けそうだもん」
はにかむように両手を自分の頬に当ててのうさぎちゃんに、おっさんはもう湧き上がる独占欲を抑えられずに彼女を強く抱き締めてしまった。
「あん……ちょっと痛いかもだもん」
「ご、ごめん!」
あわてて両手を解こうとしたが彼女のほうからおれを抱きしめてきた。柔らかな小さな体と臭覚を満たしてしまうほどの微香がおれの全てを包み込んでしまいそうな感覚におれは酔い痴れている。
「いいもん。アキラっちならいいもん」
なにがいいのかがよくわからないが、おっさんもここはゆとりをみせないとな。身体を合わせるのはもうちょっと場の雰囲気を作り上げてから。肉欲のみで動ける若い青春の衝動に駆られるのは大昔の出来事のはず。
「……川が流れていくね」
「……うん。アキラっちと一緒で見るとなんでも違って見えてくるの、不思議だもん」
「おれもだ、こんなに気持ちが落ち着くのは久しぶりだよ」
「ねえ、アキラっちの夢ってなあに?」
「夢か……夢というわけじゃないが世界を自分の目で見たいんだ」
「ふーん。壮大なのね」
そう。動きのないあの色褪せる世界じゃなくて、今みたいに人と触れ合えて、語り合える世界。出会えた全てのことをおれは記憶に刻み込んでおきたい。
遥か遠き世界のことしか考えていないからか、おれはこのとき、食い入るように見てくるエティリアの視線に気付くことはなかった。
それから他愛のない話に時々混ざる触れるだけのキス、甘い一時がこんなに心を休ませることをずっと忘れていたと思う。今はうさぎちゃんとこんな時を気怠く過ごしてみたい。
「では、オークが理由もなく全部消えたと諸君らは言うわけですか」
「はい……申し訳ございません」
上質な白いチュニックを着ている眠たそうな青年はその足元に跪いている黒い鎧を着込んでいる数人の男と執務室のような一室で密談している最中。青年は片手で口に手のひらを当ててからなにかを考え込んでいる様子を見せて、その間にも黒い鎧の男たちは微動だにしない。
「オークどもを繁殖させたのも一苦労しましたが、騎士団の貴殿らを責めてもしょうがありませんね」
「……」
「……いいでしょう、オークはこちらで何とかしてみましょう」
「誠に申し訳ございません」
謝罪する黒い鎧の男たちの言葉に安堵したようなニュアンスが滲ませている。青年はそれを感知することができたが敢えて何も言おうとしない。
「できればオークどもが消えた訳を探ってきてほしいですね」
「お任せください!」
青年の命令に黒い鎧の男たちの中でも一際大きな男がみんなを代表して音調が低い声で返答をした。
「それでですね、手分けして獣人族の村の様子も調査してきてほしいんです」
「畏まりました、そのように手配をしておきます」
「では下がって休憩を取りなさい」
「はっ」
黒い鎧の男たちの全員が退室してから青年は穏やかに笑みを絶えない顔から一変して憎々しく目を開き、吊り上げた口元を震わせている。
「バカなのかな? 騎士団はバカの集まりだけなのかな? まったくどいつもこいつも使えないやつらだな」
テーブルにあるガラス製のコップを取るといきなりそれを床に叩きつけて、砕け散ったガラスをさらに足のつま先で蹴りつけた。
「獣人族も人族もバカばかり。選ばれたぼくがみんなを導かなくちゃダメだよな」
青年はそれだけ呟くとテーブルにある金属製のベルを取り、眠たそうな表情に戻ってから優雅そうにそれを振って音を鳴らせた。すぐに開けられた扉からは一人の侍女が入ってきて、床に散らばるガラスの破片を片付け始める。
「ごめんね、コップを落としちゃって」
「い、いいえ。直ちに清掃致しますっ」
「そう? じゃあ、お願いね」
青年はそれだけ言うと窓のほうへ移動してから窓の外を眺めながら動かなくなった。
緊張した面持ちで床を片付けている侍女はここに配備する前にウワサを聞いたことがあった。彼女の前に勤めていた侍女は青年の言いつけに少し遅れただけで故郷へ返されて、二度とその姿を見せることはなかったと。
そして、居なくなった侍女は彼女の仲の良い先輩であり、この城塞都市ラクータで生まれ育ったことも彼女は知っていた。
ありがとうございました。




